わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

才能と実力

ヒトの才能や実力ってなんだろう。

先日もそんな話になり、しかしこの話は大好物すぎて「1日掛かる」と寸止めの話に終始しました。
このトピックは(大好物なんで)その後も思いを巡らせ、ここにすこしだけ随筆します。



◉才能とは、なにか。

まず物事には「名前」があり、意味がある。
才能という単語を辞書で調べると、

【才能】
ある個人の素質や訓練によって発揮される、物事をなしとげる力。
(OXFORD LANGUAGESより)


とある。「物事をなしとげる力」だとこの辞書は言い切っています。すなわち、


実行力
実現力


その周辺が「才能」の近似語だとわかります。
逆に言えば成し遂げる前に「才能(≒実現力)のアリナシ」は測れない、ということがわかります。


ヤツは成し遂げた!(実行した!)


と感じる(=「伝わった」)からこそヒトは「君には才能がある」と本人に言うのでしょうし、またその未来に対しての《エール・応援》方向の「君には才能がある」・・という投げかけであれ、因数分解すれば同じです。

つまり、そのヒトは闇雲に(彼に対し)可能性を見たのではなく、すでに成し遂げられた成果物をもって想い測るからです。
どのみち、評価・アトヅケとして「その物事」事後について回る言葉ということです。他人に何も見えず、何も成し遂げてない時、この「才能」という言葉もまた使い道があまりな・・


——いや、あるか。・・使い道はある。


「自分には才能がある!」


というとき、そのヒトは


「自分には成し遂げられる!」


と自ら発奮するに等しいわけですが、しかしこの思い込みは、ことの大小なく物事の実現にはマストで必要です。「成し遂げるのだ!」という自信(自分を信じる)もまた「才能」という言葉を支える燃料でしょう。(この点はあとで振り返ります。)


まとめると「才能」という言葉の正体が、

「実行力」
「実現力」

の類似形態であり、それらは《相対的なもの》だということです。——きわめて相対的ですよね。
だって「料理の才能」と言うとき、世界中でほとんどの健康なヒトは料理「できる」のだから。
でも「料理の才能」と言う時、どこかぼんやりと前提条件がある。で、それ自体が相対的な証拠です。


そして辞書はこう補足しています。
素質や訓練によって」——と。


この辞書は先天性(素質)と後天性(訓練)を注意深く併記しています。実にニクイですね。



◉実力、とは何か。

もう、これはすでに内包した言葉ですよね。

実(行)力
実(現)力


実力とは実行力・実現力で(たぶん)間違いない。
で、こっちの単語はより一層即物的でダイレクトな力(数値)を要求する言葉でしょう。

「政界の実力者」とは言えても
「政界の才能者」とは言えない

てか「才能者」という言葉自体がナイ。
「実力」という言葉には「才能」以上に、事後評価的な即物性が隠れています。ここが面白い。



◉才能と実力の違い

この両者の違いをぼんやり大掴みに語るなら、


レイヤー・土俵が違う


と言えるでしょう。今、当たり前を言ってますが。
両者は共通する部分を含めながら、実力とは「才能」という言葉よりはるかに「小さなセクション」「分野」の絞られた言葉です。
「〇〇の実力」という限定です。むろん「才能」だって「料理の才能」とか「サッカーの才能」など「〇〇の」がないと成立しない相対的な言葉です。

が、ヒトが「才能」という言葉を持ち出すとき、「実力」という言葉を使うときよりはるかに、



「なんか、新しいなにかを成し遂げそう」



そう想い、そんな時に使うのでしょう?
君には才能がある!」とヒトに伝えたい心情はまさにこうではないでしょうか。それに対して、


君には実力がある!


なんて褒め言葉にすらならないわけです。笑


「実力? あるにきまってんだろ なめてんのか」


と詰められる可能性すらあるわけで、実力とは「ある」か「ない」か。過去と現状に向いた数値的な言葉と言え、未来を測るところまで求められていない言葉なのです。
才能には「未来へのエール」も含む、と触れましたが、まさにここが才能の「生命線」でしょう。



もし君に才能があるなら。
夢や希望に向かって進もう
でないと実力者でおわってしまうよ
たしかな実力をつけ、善なる方向に進みなさい



と、この二つの単語は語りかけてくるようです。
さあ最後は、辞書を捨てオレの主観を語ろう。


才能にはセンスとクオリアが関わるし、それはことごとく相対的なもの(で、大多数のYESが得られると人気が動く仕組み)だ。残酷だがその「伝達のウデ」もまた才能(=実現力=実力=後天的努力)に拠る——そう考えるのであまり話は進まず(笑)、才能のもう一つの「生命線」、情熱について最後書くことにします。

才能の「燃料」は《成し遂げられる!》という思い込みと信念でまず間違いない。逆に言えば、そんな未来への情熱こそが、この言葉を支える一番大切な成分と言って過言ではないだろう。

キング牧師の言うとおり。「I Have a Dream」。
で、これが言えるだけで、もう才能の塊だろうに。

謙遜することなど必要ない。何才だっていい。
情熱をもち、ビジョンを描くこと自体が立派な才能なのです。


才能者
のみなさん、ともに情熱をもちつづけ、がんばっていきましょう。