わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

丼(どんぶり)考

ヤフーニュースから「丼モノ」を考えます。

www.moneypost.jp


松屋の券売機が使いにくすぎる、という記事。
ヤフーニュースはすぐ落ちるのでオリジナルを掲載。こんな記事をGWの最終日に目撃した。



「みんな思うことは一緒だなぁ」



と感じた。
松屋の券売機はいつからかタッチパネルのデジタルUIになったがこのUIはひでえなぁと思ってたから。
なにが一番ナッてないかと言えば、



精算の概念がないこと。



ポチ、ポチ、とほしいものを選ぶまではどこも一緒だが、そこから注文の確認画面=精算画面がない



これがファッキン気持ち悪い。


あとは勝手に小銭入れてね、判断するから


彼らはそう言いたいようだが、客ゴコロをなめちゃあダメ。精算画面がちゃんとあって支払いたいのが人情だっての。支払、という大切なフェーズのアウト点が「とろーん」と極めて中途半端なのだ。
これで顧客満足度がいいわけないじゃん。そういうオレの想念をこのニュースは暗に伝えている。笑

今日はこの記事から派生して、丼屋さんについての最近の感慨を徒然と書きます。



◉丼(どんぶり)屋に敏感たれ

高校時代「吉野屋」にアホみたいに通ってからもう数十年が経つわけで、かつ時台は2020年代
それもラーメンなんてもはや「男の国民食」と化し丼モノはこの国の食文化を支えている。
もう今さら何を、という感慨もあるが、いやそれ故


今さら何を、こそを疑え


と私は思うのですよ。
当たり前を疑え、ということなんですが、どの駅前にも丼系はあって一様に「固い座席」なわけだが



フレッシュさを失わず
慣れすぎないこと



は客としても極めて大事なことだと思うのだ。
なんでこんなことをクドクド書くかというと、当然となりすぎ「なにも感じん」(と思われる)たいへん太っちょの方のヨコで喰っていると





ああ オレも同族か
まるでエサくってるみたいだわ





という想いになるから。
さながら「千と千尋」の両親ですよ。
ただでさえ「仕切られた」、回転率・効率重視の店内で迷いなきファッターのヨコに座ると申し訳ないが、この思いを禁じ得ない。ルーティン化・TIPS化などせず「我々は鶏ではない」マインドを心にもちたいものです。



◉養鶏場感あふれる店内

「今さら」で今に始まってないが、丼系の設計は本当に考えもの。もうやっと禁酒法が解かれるようにコロナも一区切りついたが、コロナで発生した、あのアクリル板の「間仕切り」は余計に「エサ」感を助長した。

おまけにナッてないのが、一席ずつの幅。



一人の客に対して
「何十センチメートル」の
空間が用意されているか



満足度にたいし、きわめて大切ですよ。
このクリアランスがなってないのが「ラーメン屋」である。それも「つけ麺屋」はひどい店が多い。
回転率を考えるのも大概にセエよ? という1席あたりの狭さ。基本「狭い」ってのが丼系の悲劇だ。

今やラーメンも千円いくわけで、それで狭いのはよっぽど味がよくファンがいないと成立しない・・これまたそんな当たり前を今一度定義したい。



以上、よく行くからこそのナニカでした。
そんなわけで我々は「めぐみをいただいている」。
とにかく慣れすぎず、フレッシュで居たいね。