わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

紅白について考える



紅白歌合戦
毎年見るのだが、考える。で、ここで考えるとどうしても難しいことも出てくる。
つまりは、要するに、私も映像制作に携わる身なので我が身に不利が働くということだ。

が、

忌憚なく、それも完全「自分の好み」全開で感慨を書く。これは「ファン」には許容できないかもしれない。けど、思うことを書きますよ。
それくらい、くるとこまできたな、と。




◉企画って、いる?

毎回思うのだが、歌と歌の間の企画、いるか?
舞台転換の為だが正直、どうでもいいのが多い。
いや、どうでもいいならまだしも、キツく退屈なら逆効果だ。早く曲いってくれ、と本気で想う。

本来「歌合戦」なんだから、ひたすら歌でいい。
本当に。舞台も絞りきって簡素化した美術でいい。

たとえばコンサートやライブで歌と歌の間のMCとかあるじゃない? あれでさえ、私は「そんなに要らない」派だ。歌唄いは歌を歌って欲しいし、粛々と、歌という薪を心の火にくべて欲しい。


告白するが、私は歌以外音声をミュートする


見てられない/聴いていられないからだ。
で、歌が始まったらミュートを解くのだが、ここですぐにミュートする事態も余裕でありうる。



◉口パクってどうよ?

紅白は「1部」と「2部」で構成されるが、そもそも口パクの多さには閉口する。
退屈な企画+口パクのコンボはまじでクル)

「1部」はほとんど諦めざるをえない様相だ。
歌から何かのメッセージを感じることは稀だし、私には本当に空虚に映る楽曲が多い。

おっさんみたいだが、そのとおりだが何か?だ。
オレに刺さる曲はほとんどない。

だって男女共にグループアイドルにどんなメッセージを感じるんだ? それも口パクなのに
そんな口パクのパフォーマンスで「うわーすげーさいこー」とか言わなければいけないのか?

「紅白 口パク」でググるとそりゃでるわ出るわ。で、みな「ハテナ?」印が頭に灯るのだろう。
いやホントにね、意味がわからないから口パクは禁止にしていただきたい。
で、口パク禁止なら自ずと歌唱力も露わになる。そして、それでいい。歌合戦なんだから。


今回、哀しい口パクもあった。

篠原涼子の伴奏を務めた小室哲哉だ。
それは紅白ならではのサプライズだが、小室サウンドの肝心な「小室コーラス」はミュートされてたよ。——これってどうなんだ? 彼は歌ってたぞ?

彼に対してそもそも失礼だし、コーラスをミュートするくらいなら出すなよ、と思ったわ。
NHKが小室の前科を気にしたのならナンセンス。
なら出すな、だ。そういう所も中途半端なんだよ。



◉ブラボーがきつい

これホントにきついんだ。歓談をミュートするのはこの「ブラボー」要素も大きい。本当につらい。

もうよくない?


「XXさんの演奏でした。
 続いては〇〇さんです!」


と進行すればよくない? 今、そこに置かれた楽曲の感想を「言わなければいけない」のか?

そうではないだろ。
もし聴いて「良かったら」


テレビの前の皆がちゃんと反応する。っての。


それだけの話。もっと視聴者を信用しなさいって。
司会者のブラボーなど手前味噌過ぎて気持ち悪い
これも好きなヒトがいそうだからアレだが、本当にオレはイヤだ。大泉洋氏が苦手ってのもあるが。



◉毎回愉しみ才能枠

しぶとく紅白を見る理由のひとつに「才能枠」というものがある。この事件性が毎回楽しみだ。

一昨年は藤井風で、今回はバウンディだったね。

そんな藤井風やKingGnuなどすでに常連っぽくなっているが、そのある意味「紅白っぽくない」ラインナップは死守してほしい・・というか、間違いなく「才能枠」こそが紅白の生命線なのである。

で、そのあたりの生命線は心得ているんだよな。

YoshikiHyde、MIYAVIのバンドにはビジュアル系ヘッズは狂喜したろうし、安全地帯にAORオールスターズ(凄い面子)、ユーミン工藤静香・・80〜90年代の「サムシング・リニュー」。
それらも紅白ならではの魅力であり、こんな企画こそがいつだってマストだ。(歌合戦なんだから)



津軽海峡天城越え

「2部」になると口パクは急激に減り、さすがに歌で魅せる「紅白らしさ」が息を吹き返す。
昨今は「演歌」が淘汰されたが、石川さゆりは健在である。が、それももっともだと思う。


冷静に、ポピュラリティがあるからだ。


たとえば石川さゆりに、郷ひろみ
彼らは「演歌」やジャンルをしょってない。彼ら自身のポピュラリティの高さゆえに選ばれている。
そんな実力社会を歓迎するし、石川さゆりなんて



今回は  どっちだ



と毎回楽しみだ。笑
で、オレは断然、




天城越え派。




今回も石川さゆりの「今から人、殺します」的な佇まいと情念がイルすぎてたまらない。
こういうのがまさに「ポピュラリティ」の正体だ。
楽曲は「津軽海峡冬景色」の百万倍完成されていると思う。階段式にサビまで高まる、あの展開と情感は「津軽海峡」ではまだ弱いのだ、天城越えの完成度はそれほどまでに高い。

ポップスか演歌かは関係ない。
イイものはちゃんと良いのだ。



◉老人無視か問題

ここも語ろう。
読売新聞の記事では「老人無視」を謳っていた。この論調は今に始まらないのでちっとも驚かないが、上記「石川さゆりがなぜ選ばれ続けるのか」を考えるのがいいように思う。


世代を超えて伝わるから


でしかない。そのポピュラリティを測るべきだ。
それに今「青い山脈」を聴いてジワル層がどれだけいるだろう? 軍歌は?
要するに今までも世代間の「足きりと移行」は残酷にも存在してきたし、その時ドキの流行歌もある、ということ。しかしその上で改めるが、


イイものはちゃんといい。
真のアーティストは世代を超えて伝わる


という審美眼への信頼で充分だろう。
我々は世代を超えて美輪明宏の「ヨイトマケの唄になにかを感じる。そういう普遍性が肝要だ。
逆もまた真でたとえ「老人」であれ、聴き馴染みなくともいい歌をいいと感じるのが人間の力である。
(それも感じないバイアス強い老人はさよならだろう)

翻り今回は安全地帯、AOR工藤静香篠原涼子。80ー90年代のポップスがいよいよ「シニア」層になったんだな・・、と感じ入るのみだ。そんなメッセージはビンビン感じた。


むろん「では」ということで。
今回の「若者シフト」「これからの層シフト」もどうなんだ? とは上記でしっかり語った。

口パク」とそれに付随する舞台転換「企画」。
こんなことでは完全に「どっちつかず」になる。
もっと歌を届けてくれよ。そのアーティストの「フルスペックが拝める」のが、紅白なのだから。



◉老いも若きも地平線

今年も歴代視聴率ワースト2という所だが、私はそれも含めて面白いと思う。
だって企画だとか口パクだとか進行だとか。



そのガチャガチャ感が
いかにも「今」じゃないか。



いつだって紅白は「今」を映す。
その混乱も「今」だし、粋じゃないのなら、それも「今」だ。そうであれ2部はちゃんともっていくし、相変わらず問題も山積するし。


それらは現代の現身(うつせみ)だろう。


「(衰退する)テレビ・メディア論」という切り口でも語れるだろうし、世代論で語っても「NHK論」で語ってもいいだろう。音楽論は当然だし、エンターテイメント論なんて大好物だ。

それらを内包する、大晦日の番組。それが紅白歌合戦だ。たぶん。今年の暮れもみるでしょう。
まあ、改めて一つ言うとすれば繰り返しだが、



「もっと視聴者を信用してくれ」



だ。ブラボーと口パクは禁止してくれや。

以上、ガス抜きが主体だったが。ではまた!




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関連ブログ:紅白についても少し書いてます。

これも。グループアイドル劇論です。