わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

ガワとインサイド

声の御仕事。ナレーターや声優さんと一緒にやる最後のMA作業、のお話を少し。


特別なことではないが、先日とある映像のオシゴトの最終工程「ナレ録り」があった。
そしてこれも特別ではなくなってきた手法だが、それは〈デジタルでのやりとり〉だった。

ZOOMで挨拶ののち企画をオリエンし、ある程度ディレクションすると、ナレーターさんに録音を任せる。そして何日か(あるいは企画によっては何時間か)待つと届けられる、という仕組みだ。


時代だなぁ


と痛感する。もちろん通常の「ブース」に入ってのミキサーさんが居ての通常MAもたしかにある。
(私はそんな通常スタジオワークが大好きだ!)
だが、その企画は予算もさほどなかったのでこのようなスタイルを執った。し、執れるのがすごい。
まさに時代だなぁと想う。なんなら、


ZOOMなどの挨拶すらナシ


も(私が)望めばできてしまうわけだが、それはさすがにデジタルすぎる。文字だけのやりとりの味気なさも知っているので、はじめの挨拶はこういう手法でも必ず入れるのが私なりのやり方だ。しかし


そんな(無理を言い)入れ込んだ打合せも、
ものの15分でおわってしまう。


ああなんてことだ!
さみしいじゃないか!笑



●ガワとインサイド

ここを語り出すとキリないので寸止めるが。
そしてむろん、これは「声の仕事」に留まらずコトは表現全般の事象すぎるが、



ガワインサイド



という要素が、表現を測る上で超重要項目となる。
ガワ(私なりの言葉)とは「表層」であり、対してインサイドは文字通り「内面」だ。


ガワ(表層)の表現を追うか
インサイド(内面)の表現を追うか


これらは二元論ではなく、道は結局同じ頂上に辿り着くものなのだが、



たいていの声優さんはガワ



からやってくる、というのが私の見立てだ。
まずこう捉えておくと失望することも余りない。


もっとも、声優はガワ・外側・表層の表現をこだわるもの。だからそれでいいと言えばいいのだ。
が、たいてい多くの声優さんは「やろうとして」やる、という印象がある。10人いたら7,8人は「やろうとする」。


これが「ガワ」派の大きな問題点の一つだ。


やろうとしてやったもの、って悉くオーバーアクティングなんだよ。ということにガワ派のヒトって案外気づいてなかったりもする。


じゃあインサイダーがいいのか?
もっと言うとメソッダーがいいのか?
というと、そう単純なものでは全くない


今度はフロー(流れ)が自然でも、表現も言葉もなにも立ってなかったりする。「テキストを大切にしてねぇなぁ」ということもすぐバレるし、ただぼんやりすることがインサイドの表出では決してない。

で、そういうヒトに今度はアウトプットを意識させると、とたんにギクシャクしたりするものだ。これはこれで「表出技術」の修行が足りてないんだわ。

だから頂上は一つ
表現にはガワもインサイドも両方必要だ。(むろん声優に限らず表現全般の話。)
どのルートから入ろうと頂上は一つだが、本当にナレーターさん声優さんは外側表現から入るよね。



●セリフが一つでもあること

今回通常ナレーション以外に「セリフ」があった。
今回に限らずなのだがもうね、セリフというものが一つでもあると、



宇宙なんだよ



ということは改めて言っておきたい。
「セリフ」が一つでもあれば難易度は格段に跳ね上がる、と私は悲観さえしている。




「ただいま」


「おかえり」




こんな二つのセリフが有り、この二つのセリフの間と外で「やりとり」があるのだとしたら、



もう、
宇宙ステーションばりに大変なんですよ。



秒速100メートルの中、宇宙でドッキングするくらい技術が要る。・・本来は
本来はこれくらい集中力と総合力が要り、それでいて「やろうとしない」ことが大切だが、まあ、ほとんど何言ってるかわからないでしょ。笑。

それがすなわち「技術」であり「空間把握」であり日々の鍛錬なのだが・・ホント言うは易しですよ。
とにかく一つでも「セリフ」があれば、難易度は絶望的なほど跳ね上がるものなのです。



これ以上は長くなるので、今日はこの辺で。
ナレ録り。私は大好きです。いろんな声の主とやり合えるのは愉しいことです。