わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

アルゼンチンの奇跡

By サッカンさん(往年の名作!)


アルゼンチンのメッシにとって最後のW杯。
その決勝戦が日曜日に行われる。
今日は今大会のアルゼンチンの話。


もう今回、自分の予想はまったく当たらずただのポンコツと化してるが、アルゼンチンも、



「こんなサッカーしてて
 決勝までいけるわけがない」



とがっちり予想してた。笑
ちょっとその事と心のプロセスを語ります。



◉メキシコ戦とポーランド

今回のアルゼンチン。
私はかのアップセット劇となった「サウジvsアルゼンチン」をライブで観れず(ハイライトのみ)、つづく2節メキシコ戦から「今回のアルゼンチン」をチェックしたわけだが、こう思ったのだ。



・・・。
なんだ、このサッカーは・・。
走る9人と、歩くただ一人。
なんてサッカーしてるんだ・・。



と。歩くのはメッシ。
彼は守備に参加せず一人ほっつき歩く。
その差分を補うように走る他の9人のフィールドプレイヤーがあまりにも涙ぐましく、そうして目前に広がるサッカーはあまりにも前近代的に映った
このメキシコ戦を観て「こんなサッカーをして決勝までいけるわけがない」と想ったわけだ。

GL最終戦ポーランド戦も押さえたが、むろんその様子は変わらず私はため息をついた。
うーむ、と。今回のアルゼンチンのスタイルを割り切れずに捉えていた、その時までは。




◉メッシとハイライトと信奉者

GLでは左様な感慨をもっていた。
が、口外は避けていた。なぜなら、




信奉者達がガチだから。




笑。いやほんとうに。
メッシの信奉者は世界中数多居て、こんな感慨を公言すれば非難の的確定で、口を噤んでいた。
——いや、でもね。オレなりの感慨があるのよ、メッシ論として。それは、



ハイライト・キング



である、ということ。
メッシはハイライトの王様だ、と以前から想っていた。得点シーンをダイジェストして報道するハイライトには、それはそれは「素晴らしすぎる」彼の得点あるいはアシストシーンが拝める。
それは認める。本当にすごい。そりゃそうさ!

しかしハイライトではなく90分でみるとどうだ?って話は以前からあって。試合を通した時、複雑で現代的な心境も去来する。

この感慨は久しぶりの、やや「懐かしい」感覚でもある。彼のバルセロナ在籍時代最後の数年に感じた違和感でもあり、元を辿ると90年代にマラドーナバルデラマにも感じた懐かしさ。つまり、



地蔵系ファンタジスタ



の系譜であり、その完全に絶滅危惧種の様態は今の現代サッカーにあってあまりにも浮いていた。
少なくとも2022年のオレの目には違和として映り、先述の感嘆を禁じ得なかった、その時までは




◉彼らが「わかった」瞬間

そうして臨んだベスト16。
彼らアルゼンチンはオーストラリアと対戦し、そこでも同様に同じサッカーをくり返した。

9人の走る選手と歩く一人。

しかしこの試合を観ていて、私はようやく彼らが「わかった」。——それもほとんど電撃のように。





そうか。
彼らは完全に
コミットしているんだ

9人で守ること
9人で走ることに
一切迷いがないんだ





と。
彼らは、メッシが「ジョーカーであり特権があり、攻撃しかしないこと」を完全に飲み込んでいるのだとわかった。ここがちゃんとわかるまでオレは3試合かかった。が、そうなのだ。



彼らは「御意」として
このサッカーをしてる。





・・でもこの決断は並大抵なものだろうか?
否——。並大抵の決意ではない。


なぜならメッシ以外の選手も欧州のクラブチームで現代的な戦術の薫陶をうける選手ばかりなんだぜ?
この決断が並大抵なものなんかではあり得ない

ただでさえ「わがまま」なサッカー選手の面々がここまで献身的に「メッシをめがける」——このサッカーはほとんど奇跡であり、それが目の前でまさしく行われているのだった。

想えば前回ロシア大会のアルゼンチンは「空中分解」する普通のチームだった。
アグエロディ・マリア、ディバラもいる中のメッシというバランスは、サンパオリ監督と攻撃陣との衝突を決定打として最終的にはベスト16で散った。
その挙動は現代として「よくある普通」と言えた。が、今回のチームは現代として普通でないのだ。

その「差分」こそが深遠で、むしろ前近代的」であればあるほどこの犠牲(サクリファイス)と献身性は、得も言えぬ人間の迫力として眼前に提示されるのだ。


——これらがわかってから。
ようやく今大会のアルゼンチンを受け入れられるようになり、オランダ戦(これは荒れたな)もクロアチア戦も、この異形な犠牲(サクリファイス)とメッシの技術を味わえるようになったのだった。




◉祈りと奇跡、カソリック

この「献身性」は試合を重ねる毎に練度が増しクロアチア戦は今大会のアルゼンチンのベストゲームだったことは間違いない。
それくらい9人が走り、そしてメッシは神業を披露した。私はこの純粋な「練度」に奇跡を看る。

チームは一切迷っていない

そのうえむろん、アルゼンチン国民もこの一般化不能のバランスを熱狂で迎えているからだ。

そうしてこの現象がなんであるかがわかった。
これこそがカソリックであり、これは祈りだ、と。




メッシとは彼らが支える「祈り」なのである。
10人の使徒が支える、メッシという名の救済。


勝戦が終わった日には、
メシアは天に召されるのではないだろうか——


などと半ば本気で想ってる自分がいる。