わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

デジタルに考える、愛と幻想のストーリー

最近、ふたつのネットサービスを覚えた。


出前館
くらしのマーケット


だ。この二つ。
どちらも「なにを今さら」という人も多いでしょうが、とにかくマイブームでした。


出前館

ウーバーイーツと双璧をなす、大手デリバリープラットフォーム。



デパートのフードコートが
あなたの玄関前に!




・・って様相なんだから、参っちゃうわね。

マイブームとして結構楽しんだのだが、微妙だったのが「麺類」である。いや・・。出前そのものが「麺」をそもそも苦手にしている、とは判っている。が、頼んでみたくなるもので、頼んだ。


つけ麺


やーん。ごめん、「微妙!」だった。
麺ノビノビ、風情なく。しかも「出前価格」にもなるのでなかなか評価上厳しく、そこで学んだのは「麺は現地に出向くしかないっす」という、至極当たり前の教訓だった。


■くらしのマーケット

このサービスもたいへん良い。

生活のニッチな作業から大規模なリフォームまで、近くの業者さんを繋げてくれるプラットフォーム。事前に相場やレビューも知れ、登録する業者さんは「評価経済」の渦中にあり、かなり明朗会計という印象ももつ。

が、トラブルがないわけではない。
なぜなら実際、トラブりそうだったから。

事前に見積もりを(写真とオンラインチャットで)取ってもらったところ、どうも怪しい。怪しい、というのは「税込」表記なのにそこに「消費税」を乗せようとしてきたから。


(うーん。なんて初歩的な・・)


と想いつつ、その点を柔らかーくソフトに指摘したところ、こじれた。むろんその後丁重にスルーすることになったが、気分はよくないよね。
なお他の業者は全然OKだった。こちらにリテラシーあれば問題のない「素晴らしい」サービスなのだ。



■そしてつれづれと考える

二つのサービスともほんとうに


今っぽい



今の時代だよな、とつくづく思う。
出前館(ウーバーでもいいが)は「店」の垣根を取っ払っている。むろんその概念は以前「フードコート」が提案済みだが、今度はそれをすべてデリバリーする、と。「店」の次は「距離」である。

くらしのマーケットは「職人」の垣根が取り払われている。「工務店」の垣根、と言った方がいいかもだが、要するに「中間マージン」がそっくり除かれて「職人」の選別が実現、と言った処だ。


これからは何が起きるだろう?



「●●おばさんの作るオムレツ。
 アッツアツで、めしあがれ



個人の作った手料理が売り買いされる時代。
そういう領域までデリバリー業界はいくだろう。

くらしのマーケット的未来では、これからさらに市民権も獲得して「もはや工務店要らなくね?」という事態になるのかもしれない。


「オフィス要らなくね?」


とざわついたのが、コロナでのリモート慣れの時期だったろうと思うが、そういう


「あらゆるサイズがスモール化してゆく時代」
「あらゆる物事・個人がフラット化してゆく時代」



どう思う?

良くも悪くも、だよな・・。

便利だが、ごっそり抜け落ちるものがあるから。
単に「プラットフォームの覇権が移行してゆくだけ」という悠長なことではなく、既存の価値がスモール化してゆくことがセットだから。「大きなものがより大きなものに飲み込まれてゆく」様相をどう見るか、どう考えるか。

ウォルマート(イオンでもなんでもいい)が個人店を閉店に追いやり、今度はそういったスーパーが「アマゾン」に根こそぎヤられていった流通戦争と等しく、なんとも言えず気が遠くなるわ。
このことは「プラットフォームの覇権が移行する」だけでなく、社会の在り方もより変えてゆく。
まさに「なにを今さら」だが「ザ・空洞化」「ザ・フラット化」。現代の、中心を串坐す問題だ。


■愛と幻想のストーリー

しかしながら、楽観的なこともオレは言える。


現にもう出前館は「マイブームではないから」。
出前館(ウーバー)に確実に足らないのは「風情」だからだ。そして毎度毎度「プラスチック」なお皿でいいわけがないだろうに。
くらマ(くらしのマーケット)も同様。
必要に迫られると選択肢の一つだが、大きな工事を任せるだろうか、オレは。と自問する。

結局は素晴らしいサービス、ってだけだ。
「玄関でたら即サービス」ばかりが人間の構成要素ではない。そこに欠けるものは何か。それは、



ストーリー



だ。人間は「物語」「プロセス」や「幻想」を大切にする生き物なのだ。
リモートの浸透で「オフィスに行かなくてもいい、仕事だけしてくれればそれでいい・・」。
そうあったとしても、どうだろう。ヒトはどこか「関係」を求める生き物であり、仕事以外の話も同僚としたいものではないか。(個人差ありますが)

楽天ヤフオクでなく、路面店で洋服を買うときに欲しいものは一体なんだろうか。「お似合いですよ」という優しい言葉と店内をいい香りが包む中、紙袋を手渡される、その瞬間自体ではないか。


デジタルなサービスで利便性は更にあがった。
良かった・悪かった・どうだ・あーだ
皆、グルメだ。評価を書くのも饒舌だ。でも




んで。どうする?




でしかないなあ、結局。
・・毎度毎度の帰結で申し訳なくも。もしこれらで時間が浮いたならその浮いた時間を


どう・ナニに使うか


それも代えがたい自分だけのストーリーなのだから。



結局は足。



人間の足が問われるように思う今日この頃。
デジタルプラットフォームは電脳力を要求するが、どうであれ自分の足は細くなる。
どうであれ、ね。 がんばろっと。