わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

自意識と演技 IV

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自意識と演技 III - わが心のBlog
前回「自意識と演技 III」


これでようやく

1)顔合わせや初読みが一番いい人



の問題点を語りました。(長かったですよね・・しかしそれだけ「取組む姿勢と発見」が大切です)

「自意識と演技 I」の冒頭で二つの問題を提示した、もう一つは足早に語ります。それが

2)本番、急に自意識に走る奴


です。


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2)本番、急に自意識に走る奴


2)も、同じ現象ナルシシズムです。
これは特に舞台の話だが、映像でも適応します。

ですがこれは怒りも相当宿るので、苛烈ですよ。

道中、ご注意を。



でももう(1)で長く長く割き、とても重要なことを書きました。本稿は急ぐし、語らずとも大体内容わかるでしょう?


2)とは稽古やリハーサルで長い時間かけて築き上げてきた事を、本番で無視する行為のことです。
演劇をやっている方ならほぼ100%遭遇、もしくは「身に覚えのある」ことではないかな。
「本番、急に自意識に走る奴」は各年代各地域で無数に存在します。しかし、1)で語った現象より



こっちの方がはるかに質(たち)の悪い現象だ。



なぜ質が悪いか?
舞台本番という後戻りのできない時点で奴らは発動するからだ。悪質と言わざるをえない。で、そこには必ずてめえの「お手柄意識と自己肥大」が強烈に刻印されている。


「今までの稽古は君にとってなんだったの?」


と彼・彼女に訊きたいほど、結局信用も信頼もあったもんじゃないって現象のことだ。彼らは要するに「自分語り」がしたいんだろうさ。で、そういう奴ほど「打ち上げ」では満足げで饒舌なもんだろ。
先の「III」に書いたようにそんな輩は


他のメディアいってくれよ


の骨頂という現象。レッドカードに近い。
彼らはチームでも、向かう先が世界(=自分以外)でもなく、自分しかないからだ。
そもそも邪魔だし、そういうメッセージを自身で発してるんだから違うメディア行けっての。
これなぁ。本当にこの現象も多い

これは先の例で言えば、


たいしたことない」を本人に撃ち込み
 稽古場では理解を示しても本番になって
たいしたことある」に勝手に変更する


ということとも同義だ。
要するにハナから腹オチすることを拒んでんのさ。で、大抵(安心安全の)手グセに走るものよ。

特に演劇ではわんさかある事態だろう。お前ってなんなの?って言いたくなるようなさ。前回「III」で


B(表現)に移行すると
A(物語)をすっかり忘れる



と書いたがこの現象と、原理も症状も同じだ。
長く過ごした稽古場を飛び出し、華やかな現場(ライトアップされたステージ)に観客の気配・・。


「ああ・・私のあの人も来てる・・」

「ファンもきてる・・いい顔見せなきゃ・・」

「私・・俺・・・・・アピール・・」




それでイカちまうんだろ?



今まで築いてきた全てを忘れて
横にいる共演者なんてすぐ忘れて



申し訳ないが 素人もいいとこ、だ。


今までの積み重ねの方が大切だばかやろう。
そのてめえの「浮かれっぷり」を疑えよ。




・・ということです。


この項は本当に怒りも苛烈になる。

戻ります。


___________________




戻り中。


🏃‍♂️


戻り中。



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しかし(2)を語る筆致になぜ怒りが強いかというと、それは「現象に留まってない」からです。
この現象が起きるってことは結局その者の内訳は、


稽古での約束事 なんかよりぃ

アノ一角に座ってる ファンのみんなに

「よく見られる」ことを選ぶぅー!

「役」どころか「座組」自体ナメててぇー


「舞台」なんて自分を輝かすアクセサリー


そう思っちゃう私・俺 最高! てへぺろ



要約すればこうだろ。その破壊力はどうだろうか。
舞台と同時に信頼も壊れる。要するにレッドカード(退場)です。「本番急に自意識に走る」奴は役者など目指さず、自意識&承認欲求に特化した違うメディアはたっくさんあるから


そっち行ってくれ。頼むから。


ということです。
少なくとも私の目の前に現れないで欲しい。それ位(2)は現象自体がアウトです。

その傾向がある人へ。

1万歩譲ってその自覚は「大切」です。まずは今からでも遅くないから各所に電話して猛省を伝えた方がいい(ほんとに)。
で、よくよく気をつけることです。なぜなら、



いつまでたっても本番は「特別」なのだから。

特別じゃない、って奴も嘘臭いので必要ない。

その特別に打ち克つ、強い信念をもってくれ。



ということです。そもそも
「君の目的って一体何だ?」自問して下さい。




(A)物語を中心に据えているか


(B)自分のパフォーマンスが中心か





実は——。
ここではじめてAかBか問えると想っています。



「ああ、やっぱBだわ、私・俺」



がいていいさ。なにも驚かない。
だがそれなら、出演する以前に自覚して辞退するか、それが不服ならもっともっとAを鍛えなさい
厳しいことを言う? ——とんでもないね。
A物語・全体への軽視は邪魔なだけです。養成段階の話をしていません。が、養成であろうと、だ。

個性を尊重する、思うようにやる、美辞麗句が世の中にはたくさん溢れています。しかしそれは上の句を隠した風味の甘い惹句です。上の句とはその「メディアの本質の上で」に他なりません。

すでに台本・脚本がある時点で——
自分に向かうメディアではありません。世界(=自分以外・他者)に発信する総合芸術です。個性の尊重にあぐらを掻き甘えてはいけない。その前にあなたが準備すること用意することは実に多いのです。
(むろん内向きの公演もドラマもあるがこの前提はマストだ。 それと今「2」の方々中心に語っています。念のため)


てへぺろ」——。
これは内向を示す言葉として使った。自意識に甘えず目の前のホンと格闘しなさい。ずっとくり返し書いてきたこと。読みたいように読んでないか?(読んでるっての。)筋はどうで役はどうなる?何にハッとした?どこを発見した? 宝を見つけなさい。しっかり受け容れてから発信しなさい。


ファン——?
だったら何だ? それはファン公演なのだろうか。その存在はありがたいだろう。だが、ファン以外の人物が横に座っている。その横にはまた知らないヒトが座っている。見渡せば、誰も知らないだろう。
そんな彼らが、君を視ている。冷たい目で。
唯一君の目の前には相手役がいるだけだ。このこともまた、なんてありがたいだろうか——。
だが、それも、知らない。 この相手が一体なにをするのか知らない——。そう想って臨め。


手柄かどうか——。
その者がすごいかどうかは、観客が決める。お前じゃない。観る人は視ている。それも即効性はない。役に集中しなさい。たとえ君が、小さな会場の、小さな小さな役であれ。


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本当に。

深呼吸して、考えてほしい。


緊張やその「舞い上がり」は特別な事じゃない。

大なり小なり起こるヒューマンエラーの一つだ。
が、本番日こそが自意識の最も発動しやすい




魔の日である




と知り抜く事だ。ここに無自覚な奴が多すぎる。
一人のその軽率な自意識過剰が、ストーリーを台無しにする事は普通にある、と肝に銘じることだ。

本当に本番当日なんて魔物しかいない
至る所で湧いてるぞ、自意識という魔物がな。
それがグロテスクな口をあんぐり開けて、今まで積み重ねた繊細な営みを壊しにやってくるんだよ。
むろんロケも一緒。大魔境さ。


私はこう想います——。


毎日「黄色い声援とスポットライトの中」
毎日「大きなカメラが長玉レンズで狙ってる」
と思って稽古に励んでくれ。

それが誰も居ない闇の中でも、妄想の中でも。
これは逆説だ——、孤独になれる訓練をしろ。


そして 舞台の上では


そんな注目や 歓声とは 無縁の

集中した役自身であれ

期待したフィードバックなど どこにもないぞ

おまえは どのみち

闇にむかって吠えるんだ


物語と スタイルという 檻の中

相手を感じろ耳を澄ませろ そして 

役を生き抜き しっかりと 死に切れ





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ラスト「V」に続きます。
長く続けたシリーズも、最終回です。


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