わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

自意識と演技 V 最終章

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前回。
自意識と演技 IV - わが心のBlog


長々と「自意識と演技」語ってきました。
序章から数え第6回。
一応のフィナーレ、最終章となります。

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1)と2)を振り返って。

(1)「顔合わせ・初読みが一番いい人」

(2)「本番急に自意識に走る奴」


の問題点を示してきました。
まあ(2)「本番急に自意識に走る奴」はフツーにレッドカードなだけなので省略しますが。
ホント(1)「初読みだけ絶好調な人」は多くを語る「現象」です。気をつけて点検してほしい。
なぜなら


「自分はホンが読めません」
(けど認めてねー。チヤホヤされたいんでー)


と言ってるに等しいから。
それに(1)の保有者が、ぬくぬくと進化を遂げ最終的に(2)というレッドカーダーになりえる、そんな可能性もあるからです。(その前に、未然になんとかしたいのでココまで書きました。)

そして本当によく陥ること。パフォーマンスしたくてウズウズする気持ちもわかりますが、だからといって言い訳にはなりません。
それってそのうち飽きたらおしまいか? 君にとって物語ってその程度か?って想うからな。


何度も読んで確認することです。
何度も読んで新たな発見にハッとすることだ。



「待てよ・・今、オレは私は
 自分くん(自分さん)になってないか?」



「見落としているト書き、言葉、
 構造、狙いがあるにちがいない」



ナルシメガネは捨てることです。大丈夫、いやでも君自身はへバリついてくるんだからさ。笑。

まっさらに読む努力のほうが何より大切だ(このブログもですよ)。なお、合う合わない好き嫌い、だけの単純さなんかではとても言ってません。とりくむ姿勢とバランスと、なにより敬意の話。



番外)わたしのつくる物語

番外篇として「私」の話。
今までも私論ですが、自分のことなのでよりリミッター外して公表します。
私が俳優を選ぶ基準。について。

それは「ナルシストかどうか」が本当に重大な問題になります(今まで語ってきた通りですが)。
で、私はその者のナルシス度をチェックします。真っ先に必要としてないから。
第一、私のつくる物語では、その


自意識」を俯瞰で語ることが多いから。


「人間の自意識」をモチーフにする。そんな作品を(これからも)創るしそこを【越えてない】人材には、まず無理なんだよね。

それに大抵、
その者が想う出来なんか越えるからだよ。

決めつけずにやってこい、って。
脚本も同様、その小さな自意識で決めつけないことだ。まだ気づいてないことばかりですよ。あらゆる可能性を信じて世界に飛び込むことです。

ともあれ、ナルシストにはとても無理な所業です。ナルシストだと自分がナルシストであることを客観視できないから(前述した通り対話にならない)。恩讐を越えてきなさい。


自分の名誉のためにも付言しますが、

美しく・良く撮るに決まってんだろ」です。散々意地悪を書いたのは「美しく撮るに決まってる」からです。私に限らず、それが我々創り手の仕事です。そもそも役者のみならず、美しい物語を創りたいのだから。
(で、その美しさをどこにおくか、は演出家の方針や企画にも拠る。私に関してはどんな企画でもナルシストは要りません。)

俳優は俳優で安住などせず、道を精進して下さい。という伝言を全6回に渡り書いてきました。


もちろん。
これらは「未来への助言」でもあります。

遠くない未来、素敵な才能とまた出逢えることを愉しみにいます。
気持ちいい人材とこれからも出逢い刺激を分かち、良い作品を造り上げたい、そう想っています。




■さいごに

「序章」に書いたことを再度伝えます。冒頭で、これから語る現象は仕事上の


部下


の話でもあります、と書きました。
今まで語ってきた

物語」は 仕事・ミッション」に


置き換えが可能でしょう。仕事(物語)に対する部下(役者)の話でもあるのです。

役割(役割)を越え、自意識ボンバーでノイジーになりがちな、仕事の新人社員のことなのです。
役者に限らず、スタッフもそうでしょう。ミッションを自意識から勘違いして捉える人間の現象は、哀しくも多いものです。しかし、



誰もが通る道



です。あなたも、私も。
むろん自戒をこめて書いています。
演技や俳優に留まらず、人生の「何か」を著しました。「I」でお伝えした通り、これらは特定の人物ではなく「現象」のオハナシ。誰もが保ちうる、人間の意識の話です。


気づいて成長する。それだけのこと。(負けない人は気づく事すら恐れ逃げます。そうならないで)
この手記が多くの人の糧になれば幸いです。




俳優の皆さん。君たちはたいしたことない!
(こう言い聞かせておけば気が楽でしょ?)




悪しからずや。お元気で。
折角あるコロナのこの時間、自身をみつめてみてはいかがでしょうか。

というか、あれだ。
今まで携わった脚本や戯曲をもう一度この時間に読めばいいよ。しまったー・・って思うんじゃないかな。で、そうであれその気づきは次の成長に繋がる「生きた発見」なんだから。



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それと最後の最後に——。


ここまで読んだ人はお気づきかもしれない。


「どんなに言ってもサボる」
「他者を知らない、見ようとしていない」
「思い上がるな」
 ・
 ・

これらってなにかに似てませんか。
新入社員はおろか、これって世の


パパやママの小言なんだよね。


要するに子どもに言い聞かせているようなものです。そしてその「幼児性」は誰もが持ちうるもの、という証しでもあるでしょう。だって大のオトナ(俳優・役者)に私は語りかけているのだから。

その一方で同時に。
表現には、幼児性さながら「大胆さ」がまた重要です。鮮烈にフレッシュに——。高等技術です。

与えられた枠・フレーム(物語・脚本・現実空間/競技ルール・仕事プロジェクト・掃除/宿題というミッション・・要は何でも)の中でどう動くのか。
それらのバランスであり、バランスと書いたからと言って「縮こまる」ことでは決してなく、多重の、大きな円を描く深遠な作業なのです。
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養成所(あるいは家族・スクール)では


「いいねーいいよーその調子だよー」


と言って聞かせ行わせ、時間の許す限り徐々に成長させるものでしょう。そしてその上で、頃合いを図り、今回書いたような「不文律」も伝承されることだろう。(え、されてない?そんな所は出た方がいい)

その点私のようなフリーの身は、プロジェクトというイカダに乗った海賊です。ここは違いますよ。



「おう、おめえさんは何ができんだぁ!
 よぉーし。機関室に廻れーぃ」



即戦力の「オトナ」じゃないとそのイカダは沈むんですよ。笑。







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【後記】



この記事、どう抑えて書いても過激でした。

普段「ひとことふたこと」で伝える事を、ちゃんと伝えようとしたら、これほど長くなってしまった。なので1年以上(2020年初頭に草稿)も寝かせ、さらに6巻に分けてお届けしました。
寝かせたところで・・
「内容」がアレなんであまりかわらなかったし「です・ます」で覆ってもその過激さは抜けねっての・・と自分でも想ってますよ。笑

(なお6巻にしたぶん分量増えましたがこれでも削ってます。「んー。今これは余計だ、消そう」など添削の嵐でした)


実践にしか本物の宝はない。ともちろん思います。が、言語化しておきたかった、という事です。
そして言語化するほどに、繰り返すがデフォルトで、初歩的にして根源的な問題ばかりです。
長年感じてきた表現者(志望者含む)が生じる課題を、大切なことなので書きました。


どう感じましたかね。


かなりの脱落・ブロックも予期しています。
ここまで読んでくれたってことはかなり同じ問題を共有しているのだとも感じます。実はそういう人、何度でも読んでほしいと想っています。
一度で覚えられることを書いたとも思ってません。
欲張って情報も詰め込んでます。が、何度でも読めるようにも(極力抑え)書きました。


第1回「序章」☟



むろんずいぶん意地悪も書きました。
(・・いじわるしか書いてない、って?)


今回は「現象」の理解に終始しています。延々と。
(まあ。それほど人間の自意識って「スバしっこいもの」だと考えていましてね・・捕物帖です)

しかし「じゃあどうすんの」というその先の「ヒント」も、至る所に埋めつけてあります。

これまた作者の自意識を許してもらうなら——
いい俳優になる秘訣しか書いていません。ですから「ショック療法」、必要悪の薬膳として活かしてもらえたら著した甲斐もあり嬉しく想います。


それと。
この「本丸」を著してようやく初めて、派生する細々な事象が言え「アドバンスド・コース」がやっと広がります。本稿を前提にした新しい記事を書くことがあるかもしれません。

むろん私も道の途中。日々の営みを通してこれからも様々に感じ、おこない、人間臭くいきますよ。




長きに渡りここまで読んでくれてありがとう。

では豊かな日々を。また会いましょう。


ごきげんよう