時の洗礼ほど、強烈なモノはない。
先月「さらば、あぶない刑事」を見たときもそう思った。
あの「チャラさ」も何十年と積み重ねることで、とんでもない迫力として提示される。
(誉めています。)
先日も、ラジオを聴いていて感じ、ギョッとした。
火曜日のはなし。ラヂコでJ-Waveの「Hanging-Out」という番組を聴いていたところ、
長文になりました
完全に当時をその時代ごと瞬間冷凍したような、この長い楽曲は、時の洗礼によって豊かに熟成されたことに、あの番組を聴いていた誰もが気づいたことだろう。
今ではもう、すっかりこの曲「天使たちのシーン」は名曲として誉れ高いが、発売当初はアルバムの中の、一つのたんなるイイ曲という認識だけだった。 いや。そのはずだよ?
しかし「いい曲だ」という記憶は誰もが補完していた、ここが大事だと想う。みんな、この曲の重要さに「気づいて」拡散していた、当時から。その共有するキモチが何よりステキだったように想う。
「あーいすべーきー♪ うまれ〜て そだぁってく サークルぅー♪」
正直に言って、2度目に聴いて、泣いたねえ。大槻ケンヂ版・・。
ホント。泣けたなぁ・・・・。
えええ? まじで? という人こそ、続きを読んで欲しい。(あと、ニコ動もぜひ見て。)
一度目はいわゆる「コメント表示」つきで見た。それはそれで色々な葛藤が見えていい。
で、只ならぬものを感じ「コメント」を落として聴いてみよう、と二度目を流したのだ。
この話をしたい。
しかしその感動の内訳を述べる前に言っておくことがある。
しかしその感動の内訳を述べる前に言っておくことがある。
いわゆる、ヴォーカルにおける表現法のちがいについてだ。それは、
謳いあげるべきか、
訥々と言葉をおくべきか
ということ。
演技でもそうだが、本人が歌い上げることによって観客が逆に白けちゃう場合はよくある。
むしろ淡々と歌うほうが、聴衆の脳内で培養され残るのだ、とする考えは一つの真実だ。
オリジナルシンガー小沢健二は訥々と置いていく。だからこそ、広く愛されてもいる。
一方、この楽曲をカヴァーした大槻ケンヂは、のっけから歌い上げる。
オリジナルに親しんでいると間違いなく怯むし、ハッスルカラオケのようにも聞こえるだろう。
オリジナルに親しんでいると間違いなく怯むし、ハッスルカラオケのようにも聞こえるだろう。
しかしそれだけでは10分以上保たないのが、この曲のいいところなのだ。
その個人がもちうる裸の「よろこび」と「哀しみ」 がちゃんとないと、この曲はとても保たない。
その個人がもちうる裸の「よろこび」と「哀しみ」 がちゃんとないと、この曲はとても保たない。
泣いたねえ・・・
そう、讃える態度だ。それもバンドを挙げて。
何度聞いても泣ける箇所が5分すぎにある。
冷たい夜を過ごす 暖かな火をともそう
暗い道を歩く 明るい光をつけよう ギター!
暗い道は、より暗かったろう。
だからこそ余計にこみあげてくる。ピアノとギターも最高に泣ける。
傍目に愚かであればあるほど、魂がアーバンソウルでなくメタルであればあるほど、つき刺さる。そこでヴォーカル法のメソッドやちがいなんて、・・くそすぎる。
これも「天使たちのシーン」なのだ。
これも「天使たちのシーン」なのだ。
(上がニコ動。下はコメントによるDISがない分、言いたいことをとても伝えきれないが、楽曲のみ。YouTube。)
さあ、当分脳内ループが切れるまで 脳内に流しておこうと想う。カモン!