以下、敬称略で綴ります。
またMCバトルや「フリースタイルダンジョン」の説明等も割愛します。感慨と追憶を綴る。
一昨日、5月14日火曜日深夜。
テレビ朝日&AbemaTVの人気番組「フリースタイルダンジョン」で、ラスボスの般若が引退した。
そこで行われたR指定との3本マッチは、言うのが野暮なほど最高の、名シーンとなった。
「フリースタイルダンジョン」は名バウトで彩られている。そしてラスボス般若戦は全戦に渡り名シーンに溢れている。ここで無邪気に番組の名バウトの数々をお伝えしたくもなるが、泣く泣く割愛しようと思う。ここで書きたいのはそれじゃない。
追憶に関すること。
オレも番組を見て去来してしまったということ。
それはシェア不可能な、極めて個人的なことだ。
だから度台ブログでもシェアなんて不可能なんだが、できるだけ言葉をつくして今の自分の感慨をお伝えしたい。それくらい、般若の引退戦は去来するモノがあった。私も自分の思いを吐露したい。
めったに出さない、想いと記録を書く。
(Bible Of The Battle ●タイトルの上はゴムの溶けた後だ)
BBOYPARK2001。
日本ヒップホップの祭典で、オレはその大会の様子をビデオに収めた。実感はないがもう18年も前だ。
誰に頼まれたわけでもない。
本気でオレが撮りたいし、撮る必要があると想ったからだ。そこで大好きな、伝説的なダンサーでありBBP主催のCrazy-Aに直接コンタクトをとり、直訴した。(繰り返すが敬称略で綴る)
そこで大会の様子の撮影が許可された。
いっとくが無償だ。完成する保証だってじつはなかった。オレも若かった。いずれにせよ、それは
「Bible Of The Battle BBOYPARK2001外伝」
として、完成した。
30時間分のDVテープ。当時ノンリニア技術はまだまだで、編集にオレは独りかかりきりで半年以上かかった(むろん協力者への感謝がある、後述する)。そこには当時の(当時としては今、の)MCバトル、BBOYバトル、DJバトル、そして祭典のブロックパーティーの様子が収まっている。むろんそこには、映像作家としてのメッセージも込めていた。ただの記録、にはしない。
楽しかった。が、同時に悔しい想いをした。
喰らった。
若いと言えばそれまでだが、版権をなめていた。夥しい既成曲の数々。作っている段階で「海賊版」決定のシロモノだったが、主催側に突きつけられたのは「手売りはきつい」という厳しい現実だった。
「Bible Of The Battle」はこうして陽の目を見ず蔵におさまった。このあたりは筆舌に尽くしがたい。
むろんオレが始めたことだ。自分のケツ。そうでしかなかった。オレは自費で二本組みのVHSのパッケージを作った。プロモーションオンリーだ。
ロットはたしか20。
No.20しかない。オレの手元にも今は一つを残すのみ。
翌年だったろうか。次節BBOYPARKで、オレはラブレターのようにそれを関係者に配って廻った。
関係者と言ってもほぼ売り込みでもない。去年の出場者、影響者へ現場で見つけては配った。
「矜恃」だよ。オレのプライドと愛のみ。
そんなビデオがあったんだよ、みなさん
映像作家なら、いや・・、多くのヒトがそうであるように、大切な記憶なんて「昨日のこと」のように憶えているものだ。当時の多くを記憶している。
とくにオレは今でも、MCバトルの「前」に行った、会場脇でのセッションが忘れられない。
バトルを前にして、予選を勝ち抜いた挑戦者たちのインタビューコメントを拾った。時間が許す限り。
現在の「ダンジョン」を照らして言えば、晋平太にもお願いした。みんな駆け出しだ。のちに個人的にメッセージをくれたHIBIKIやキンダシャーロック、多くの出場者もインタビューに協力してくれた。愛すべき素晴らしい挑戦者たちだった。どこの馬の骨かわからないオレにちゃんと想いを届けてくれた。
そのなかにKREVAと、般若もいた。
KREVAはすでに二連覇。
そのプレッシャーを感じるには充分なセッションだったし、予選を比類のないインパクトで勝ち上がった、般若の横顔にも触れた。
もっと言えば極めてオフレコな横顔も刹那知ることになり、般若の、KENSHIN戦での敗北にオレはそうか・・と感じ入るのだが、それはついにKREVAに辿り着けなかった、という歴史になってしまった。
むろんリアルタイムのアートであり、不可逆だ。
が、とにかく。
IFもしもの「前」の二人に逢えたことは、幸運だったと言わざるを得ない。今でもオレはそう想う。
それらのほとんどが現像された作品だった。極めて、パーソナルな話だが。
長い前置き。
そして今週、ラスボスの般若は「フリースタイルダンジョン」での引退を宣言した。
最後の、R指定との一戦があった。
そしてこの記事を書かざるを得ない、
そう思わせたのは、DJ Celoryの選曲だった。般若とR指定へ贈る、最後のトラックに「I REP」というビートを彼は選んだ。それはKREVAがフューチャーされた銘トラック(2010年)だったからだ。
グッときたよ、第3ラウンドは。
2001年BBOYPARK。
そのバトルDJを務めたのは、今とかわらず、DJ Celoryだったんだから。彼なりのメッセージが、そこには溢れるほど詰まっていた。
むろんそのビートの上で般若がどう示したか、に私の付言はない。言うことがあるわけがない。
その場の全てが結晶体だった。
彼は彼自身で自分の全てを許容していた。そう私たちに示し、目の前のR指定に示す姿だけがあった。
全てがパンチラインだが「俺が般若」。
このフレーズは18年前のあの時にも既にあり、この一戦でも、ラストに放たれた。
多くのメッセージが詰まっていた。グッとこない方が、どうかしている。
これを書いたからと言ってなにがどうなるものでもない。
ざらついた想いを抱え、前に進むだけだろう。
オレはオレをがんばるしかない。自分の壁を、越えていくしかない
般若、ラスボスお疲れ様でした。
今まで数々のバトルをありがとう
b boy park2001 MC battle 般若 vs KENSHIN
テロップを打ち込むのが辛い一戦だった
b boy park2001 MC battle KREVA vs KIN DA SHER ROCK
これを挙げた人、Shinobu morimoto。
勝手にしやがれ
貴重な少数ロットを手に入れた一人なのだろう。勝手にしやがれってんだこのやろう。
ただし。これで広告料を貴様が貰っていたら話は別だ。それははっきり言って許さない。
そのつもりでよろしく。
最後に。18年前。
Bible Of The Battleの撮影に付き合ってくれた、
布施・吉本・タツオ・ジョニー・竹内君・まいこ
ありがとう。
貴方たちなしではこれは完成しなかった。
そしてMC達、キラ星のようなブレイカー達(とくにYOKO)、DJ達。好きなスタイルのバトラーはキリなく割愛するけれども、あの熱い体験を本当にありがとう。
今一度改めてここに感謝したい。
以上、敬称略で贈る。
敬具