わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

スパマロットを観劇

【追記】2021年1月。再演に際しブログ庫から蔵出ししました。
12年だから9年ぶりなんだな・・。

今読み返すと辛辣だが、心から書いてますよ。悪しからずや! 今回が素敵な公演であることを願ってます。
でも高え! 高すぎる。とても手が出んよ、チケット代!
ということで、前回初演の記録。はじまりはじまり。


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1月21日ソワレ
スパマロット赤坂ACTシアター観劇。

2008年、NYブロードウェイで観たエリック・アイドル作「Spamalot」の大爆笑と幸福感が忘れられず、日本語バージョンを不安も半分に観に行った。
ちなみに当時NYはオリジナルメンバーではなく、第2弾キャスティングだったようだが、それはそれは素晴らしいものだった。

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さて。日本バージョン。
率直な感想はただ一点。ぶっちゃけ料金高すぎ
コレに尽きる。S席1マン5百円。オンタックス。
これは日本では主要キャスト・オケピもろもろギャラ加え、さらに関税+なんとなく税ものっけたくらいアレだが、決してオリジナルプロダクションではないので認めたくない、この料金設定。
ここまで高額になると、逆に、ある程度脳みその批評スイッチを落として観ざるを得ず、

コメディなんだから笑ってナンボだよね!
批評なんてそれこそナンセンス!

とのぼせながらのデッドロックがどうしても必要となる。
むろん、本場のブロードウェイなんてその最たる例であり、NYという場所にのぼせ、どんなミュージカルだってその歌と踊りの強烈な底力と、

「張り子の煌びやかさ」

による圧倒的マジックが絶対条件だと痛感するが、日本で1マンも超えるとその効きも悪くなる。
逆にこの料金をポンポン払える人たちってどんな種族だよ?ってフツーに思う。
いくら「ミュージカルは都会の持ち物だ」っつってもだ。やる側だって過度なプレッシャーに陥るし、双方とも不健康な立場に置かれつつ「幸福感」を模索することになる、そんな1マンという値。

もちろん笑ったよ。
日本語バージョンもある程度楽しいが、そんなわけで「こちとら自腹」っつー権利を使い、敬称略で気難しい感想を書く。批判するのってパワー使う。パワーを使いながら得られるものは少ないがあえて書くのみだ。

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主要キャストの歌と踊りの実力が、オリジナルに遠く及ばない。ここが決定的な差でマジックが効かない。
一人、宝塚出身の彩吹真央がその基礎力を持ち得て安定感がありリッチだった。
だがそんな彼女でさえ、もっと脱ぎ捨てていいと感じた。湖の貴婦人の「Whatever Happened To My Part?(私の出番は?)」はこのミュージカルの心臓部で、日本語版も宝塚ネタできわどさを演出している。

だがもっと脱ぎ捨てられる余地がある。このシーンではとにかくその人の人間力バイブスが観たい。
そのバイブスに鍛え上げられた歌唱力が相まって感動を呼ぶわけで、その点演出や自分の中のエクスキューズなんてもっと捨てちゃってもこのシーンは際限なく素敵なのに!と思う。

つまり、素っ裸の感動が観たいわけ。

このパートと並んで楽しみにしていたのが、ランスロットが我慢しながらもゲイに目覚めるダンス
このオリジナルは本当に腰がクイックイする傑作ダンスなんだけど、残念な出来でがっかりだ。
ランスロットを演じた池田成志フランス兵ニの騎士で間違いなく、この日本語版のMVPであり屋台骨なんだが、ランスロットとしてはダメだ。そもそもNYという土地でゲイのシークエンスを観るから笑えるのかもしれず、ゲイがそこまで根付いていない日本の土壌では観る側の困惑も漂う。
というか漂っていた。

で、やる側も百歩譲って踊りは抜きにしても、この終盤のランスを掴み切れていない。
演出もまとめきれていない。そんな迷いすら感じた。(1マン払って迷いは観たくない)
迷いで言えばユースケ・サンタマリアだ。
彼はなんとなく戸惑っている。そんな印象すらあった。観る人によっても意見が分かれるだろうが、僕はミスキャストだったと思う。意外にあてるとウェットだった、そんな手応え。
たしかにゴーストバスターズスキャットはユースケらしさが弾けるアドリブだが、それは彼本来のバイブスであり、そのバイブスで終始通すような演出の狙いがある訳ではない。ユースケの良さ・ケーハクさを全面にフューチャーしたアーサー王に煮詰められている訳ではなかった。
彼本人を非難してはいない。
むしろ声を抑え重厚さを出し、役がぶれないように苦心して役者としてとても好感が持てる。その人に役を似せるのか、徹底して役にその人が近づくのか、その決断は結局演出の責任だ。

しかしどうしたってこの役にはマッカーサーばりの威圧感とその実、透き通る程の空っぽさが必要だ。
空虚なんだけど尊厳あふれるこのアーサー王に近づける配役は正直難しい。
が、そういう意味では極私的に西田敏行アーサー王をやったらどんなに素晴らしいだろうな、と思ってしまった。(若手・中堅ではちょっと思い浮かばない!)
あるいは名前なんて知れていなくていいから歌/ユーモア/尊厳/ふてぶてしさの全てを兼ね備える実力者がこのアーサー王には必要だという思いが残る。


この要素。
つまり、本人のバイブスと役のフィット感という点で、この作品はどうにも納得できない。
笑いの起きるシーンのほとんどが劇上のロジックではなく、その各々の俳優のバイブス&アドリブというのが、このミュージカルのどうにも解せない点なのだ。

つまりSpamalotファンとしての見方をなんとなく自主的に閉ざし、日本独特のアドリブ劇に幸福感を探っていく感じ。それでいいと言えば無問題だが、良くないと言えばオレのマン札はどう配分すべきなのだろうか?


演出的な穴の一つが、日本オリジナルシークエンス、Kポップのくだり。これがまったくダメ。
ここで笑えるのはむしろ観客の反応だ。あーみんな、コリアンポップをそこまで支持してないんだなーというのが透けて見えてくるのが興味深い。あきらかに戸惑っている。
演出側も「Kポップ万歳!」とも「Kポップなんてくそくらえ!」ともニュアンスを示さない


なら使わんでくれ


というのが僕の感想。
オリジナルでは「ブロードウェイにはユダヤパワーが必要なのさ!」ってバカでかい六芒星が降りてくる。
その皮肉で大胆な政治的ウィットを出し切れないなら捨てるべきだ。

この辺は真に受けるのが日本人のデリケートで難しい特性で、移植が難しい。
しかしそうであれジャパナイズするなら、スポンサードを逆手にとってTBSのどデカい看板が降ちてくる!
ってくらいの気概が必要だ。日本では舞台をやるのもTV局パワーが必要なのさ、TBS万歳!ってね。
そういうリミッターの解除を見せて欲しかった。
肝心な所でモンティっぽさがしぼんでマーケティング&政治臭のみが残った中途半端なシーンだった。
(決してその後の「新大久保」がモンティっぽさではない。)

日本人は「欧米人ほど野蛮ではない」とわかる点は興味深い。
死体が起き上がり歌い上げる序盤や黒騎士の手足がバッラバラに切られちゃうシークエンス。
NYでは欧米人が、ゲッラゲラ笑ってるシーンだったが日本では滑る、ということがわかる。「I'm not dead yet!」が合言葉として舞台を統一するが、日本版に統一した合言葉はついに見当たらなかった。
繰り返しになるが、その場沸点の日本独特のアドリブは僕も笑ったけど、これをはたして、

Spamalotらしさと言っていいのか?

ということも付け加えておく。
パンフレットで主要メンバーの誰一人もオリジナルを観劇してなかったのにはドン引きしたし、コメントに言い訳が目立って萎えたパンフだった。

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さて、いい点を書こう!
モンティパイソンらしさが東京で輝いたシーンを挙げるならばダントツで、罵声好きのフランス兵だ。
僕は感動して爆笑した。
池田成志の仕立てたフランス兵は絶品であり、NYで欧米人が死ぬほど笑っているシーンに言語を解せず乗れない自分が、母国語で理解できた瞬間といってよかった。これは池田氏のもつ胡散臭さとモンティらしさが融合したこの現場ならではの幸福感だった。
ランスロットの穴」は書いたけどニの騎士も含めサイドスケッチで素晴らしかった池田氏はこの舞台のMVPだ。逆に言うとランスのようなストレートな役を彼は苦手なのだろう。

舞台の楽しさの一つには、その舞台でもっとも輝いている人を発見することにあると思う。
ダンサーガールズたちも頑張っていたし、いいパフォーマンスだった。


というわけで長文になったけれど、笑えるがいくらなんでも高すぎるぜ、その感想!