わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

FOR と AND の深刻な差

ちょっと今日はねえ、かなりのクリティカルポイントを書くよ。
(あ。今年もよろしくのすけ)

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私の好きなサッカーについて。
というよりサッカーやバスケなど、空間球技の分野で日本が《常に後手を踏む》理由についての自論を披露する。ひいてはイノベーションなどビジネス領域でも日本人が弱い一因としても同様の考えを挙げる。


◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆


さて。サッカーはイングランドで生まれたスポーツである。
で、このスポーツは本当に欧州に最適化されているのだ、という話をしたい。



なぜか?



それは前提として
言語体系からしてそうなのだ、という結論から言ってしまう。

主語動詞目的語
● 私は + 行動する + 〇〇を


これが、英語(ほか欧州圏言語)の基本だ。「私は、食べる。魚を」ということになる。
たいして、日本語は

主語目的語述語
● 私は + 〇〇を + ・・・します


である。しかもご丁寧に「ですます」という丁寧語も普通の場合強要される
「私は、魚を、食べます。」となる。ひとことで言って



初動が遅い




アクションが遅いのだ、言語的に(しかも丁寧語だからパワーも落ちる)。
価値観のベクトルもちがう。以下()カッコがココロの流れである


▶︎欧米語
オレは食べるよ(なにをなにをなにをなにを?)ーー魚をね

▶︎日本語
オレは魚をさ(どうすんのどうすんのどうすんの?)ーー食べるよ



まどろっこしいのだ、日本語は。
初動・決断の速さは間違いなく、欧州語なのだ。へたすると


オレは魚をさ(どうすんのどうすんのどうすんの?)ーー海に返すよ



と、行動の内容さえもかえてしまうのだ、日本では。
つまり初動判断が遅い分、日本語は《塾考》にはとても向いた言語であるが、アクション・行動の《決定》はきわめて遅いことも宿命づけられている言語なのだ。だから宿命的に日本人は「優しい」かもしれんが、その分同時に宿命的に「意志が弱い」のだ。早々に《アクションを定めない》からだ。



で、サッカーに戻る!



初動の遅さは命取りだろ、空間スポーツでは。(鼻ほじほじ)



という当然の帰結に辿り着く。



欧州▶︎ 私は、打つ。シュートを

日本▶︎ 私は、シュートを、打つ




おそいおそいおそいおそい!

トゥーレイト!! クソがぁ! ということなのだ
しかももっとひどいのが、行動をやめるときだ。


欧州)私は、打たない。シュートを・・・・・・
日本)私は、シュートを・・・・・・打たない



はっきりしろゴルァー!!! 
ということになるのだ。「決定力不足?
フ、笑わせんな・・・こちとら2千年の歴史があんだ。なめんなよ?決定力なんてハナからねえんだこのやろう!!ってところである。


モノ・目的語の方がてめえの決定・行動より先にある、日本語って。
だから型・スタイル・雰囲気を行動以上に気にするしアクションまでが遅いのだ。欧米では「打つ」ことを神格化するのに対し、日本では「シュートそのもの」を神格化する。これは言語レベルで《奇習》なのだ。JUST DO IT



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しかしこの奇習への理解は《大前提》である。
日本人であれば、当然のたしなみでさえあろう、この言語理解は。
これからだ。本丸をつくぞこのやろう!
これはオレの導いた《ガチオリジナルリキッド》だから、かっぽじって聴きやがれ!


なぜ、空間球技スポーツで後手を踏むのか。
それはなぜかーー。


日本は
A AND B でありつづけているからだ。対する欧米の考えが
A FOR B なのに。だから日本は弱いんだっての。



サッカーの基礎の話をしよう。日本では自称コーチが小さなちいさな、これからサッカーを覚えようとする児童に「はいトラップして〜、パスだよー」と実直風に教える。
それに対し欧米では「はいそのトラップは〜パスのためかなー?」と教えることが可能なのだ


日本)TRAP AND PASS
欧米)TRAP FOR PASS



これはきわめて重要で深刻な「差」である。もう、読んだとおりだぞ?
トラップするための、トラップと。
パスするための、トラップと。
どれだけの差がトラップ一つに生まれると思う?
トラップ一つで、どれだけその身体の態勢に影響が出ると思う、次の行動へのさ?
当然だがこの差は決定的に ス ピ ー ド の 違 い を う む よ !


日本)TRAP AND PASS AND GO AND TRAP AND SHOOT AND GOAL
欧米)TRAP FOR GOAL



以上。おしまい。
ってくらいの差だっつーの。彼らはこう言うだけだ。


「べつにトラップもしないよ? ゴールにつながるならね」



だから言うのだ、サッカーは欧州に最適化されたスポーツだよ、と。
(ちなみに南米もスペイン・ポルトガル語圏だからね? しかもずっとずっと貧しいから更なる独自の進化を遂げたんでしょうによ!)

もう行動に対するカッコの括り方が違うんだって。因数分解がちがうの。目的の遂行に延々AND 並列つなぎするんだ日本は。FOR で括ることがヘタすぎる。打ちゃいいじゃん!?という好形であれ《平気で》横にパスできる民族が日本人なんだよ。欧米人はこのミステリアスな現象を理解できないし、それは当然のことだ。日ごろ染み付いてる言語が(順序からして)違うんだから。
アメリカ発祥のバスケでなぜ「アリウープ」がうまれたのさ?
ものすごく直列でしょ? パス・フォー・ダンクでしかないでしょ!笑
いかにもアメリカ人の考えそうなことじゃんよ。もう、徹頭徹尾そういうことなんですよ


大相撲はもちろん日本に最適化されてるよ。
おじぎして塩まいて、やる!とみせかけて戻って塩まいて、やるぞ!とみせかけまた塩まいて、やっとハッケヨイ、ノコッタ!って本番のアクション・行動!
やるまでの儀式の長いこと、ながいこと!
しかも(度々ある事件のように)角界は忖度の嵐でしょ? 丁寧語・謙譲語の嵐でしょうよ?
これはなにも皮肉でも批判でもなく、本当に日本に最適化されてる証拠なんだよ。


この言語的奇習因習はどのジャンルでも適用する。
冒頭で少し挙げたイノベーションの枯渇、誰がアクションするか不明の長い社内会議、モノ・スタイル・雰囲気への拘泥も、《行動ではなく目的語が先に来る》民族的特徴だろう。しかし同時に(比較的)優しく温和で、塾考を必要とする《研究》分野ではノーベル賞受賞者も多い国が日本である。
また、映画も欧米が発祥だ。もちろん古来から演劇もね。そういう原初の認識は重要だ。演繹的であり、ダイレクトな表現に端を発する。主語→動詞→目的語。そこから派生し最適化したカルチャーであることをまず肝に銘じなければいけない(こっちの話はもっともっと長くなる)。



しかし今日のトピックはサッカーだっ!
(つーかサッカーくらいにトピックを絞らんと、収拾がつかないからだっ!)



強くなるためには、言語を理解する必要がありすぎる。
サッカー語を理解するしかないのだ。
だからみんな欧州へ移籍してその言語を習得せんとするのさ。それが手っ取り早いことだからだ。何度でも書きたいが、


A AND B ではなく
A FOR B である。



もう一つだけ例にとる。パス・アンド・ゴー。


日本・・・ PASS AND GO !
欧米・・・ PASS FOR GO ?  WHY ?  PASS FOR GOAL !


手垢についた有名な「一枚はがし」のメソッドだが、もうそこには「大目的」がなさすぎる。
なんのためのパスアンドゴーなんだ? たしかにパスアンドゴーで一人は「剥がせる」かもしれんよ?
でもさ、そのあとどうするのさ? という目的が大事すぎるからだ。「パスアンドゴー」という響きの、ありがたやー、な雰囲気と安心安全さにかまけて無目的脳死状態で続けていく限り!


ただでさえ、
日本は言語的に相当なハンデを背負っているという認識でないとダメだ。
いわんや国内でコーチする人々は、このことをかっぽじって理解することだ!



またこう論じると反論もあろう、
サッカー脳が発達している子もいるぞ?、と。もちろんその通りだ。
が、そこのことを今は言っていない。
むしろ民族的奇習が、そういう子の進化を《いかに邪魔するか》ということを述べたわけだ。トラップのためのトラップ。ではない。なんのための、トラップか?、である。育てるべきは。
それはあなたが掴まないことには、教えることはできない。
サッカーは欧州に最適化したスポーツなんだよ


A FOR X



以上、オリジナルリキッドだ。