わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

大人になってはいけない国

以前、【ドラえもん=アメリカという願望】説をひらめいたが、元来、そういう話が大好きだ。
それにサッカー日本代表について論じるのが好きなのも、結局のところ、日本人論にぶち当たるから、という面が多大だ。(ハリルホジッチ周辺を書いた【この記事】でも読んでほしい)
文化面からアプローチして、日本人の特徴を「こうではないか」と推察することが好きなのだ。
専門的に体系化しておらず、飽くまでひらめきで無責任だが、今日もそんな最近思うことを書く。


コレを主張するのは全く新しくもナントモないのだが、オレも思う!、という事に、



AKB48が生まれるのは、
世界でも日本だけだろう



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という感慨がある。アイドルは日本の特徴なのだ、ということ。めっちゃくちゃ、今さらだが。
しかも、おいおい、というツッコミもわかる。
お隣、韓国もアイドル文化は盛んだし、ジャカルタ48など東南アジアのアイドル事情もあるだろう?——と。しかしそれらは、日本のアイドルカルチャーを雛形とする亜流であり、ある意味で年下の兄妹ではあるが、オリジナルではない。

原初的にアイドルカルチャーは日本の内部から企画/規格として勃興した。そして、このレベル(内輪の総選挙がTVでぶち抜きで放送するレベル)まで積極的に、自らの事として「アイドル」を迎え入れ、許容する国は日本以外なかろう、と思うからだ。

では、そう感じる根拠はなにか。
なぜ、そうなのか。それはーー




日本は成熟してはいけない、
大人になってはいけない国





だからだ。
ここで、昨今賑わわせた、いや、結局戦後じゅう常に横たわる憲法」問題が登場する。

武力を永久に放棄する、憲法9条
そして、アメリカによる安全保障条約。

戦後70年武力を放棄しアメリカの庇護下にある、という状態は「こども」状態をさすものだ。
この認識に、右も左もないと思う。憲法と安全保障条約により日本は「こども」であり続ける。


成長してはいけない。大人になってはいけない


これは戦後文化で、第一級に重要なファクターとして存在しているはずだ。

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たとえば、マンガ。アニメ。


クレしんは決して小学校に上がっては成らず
サザエさんも決して年老いては成らず
ドラえもんは決して問題を解決し、
のび太成長「させすぎてはならない」


彼らは永遠に年を取ることが許されず、そのように暗黙に決められたモラルラインの内にある。
しかしマンガやアニメが、この国でここまで高度な発展を遂げることができたのも、この「大人になってはいけない」システムそのものにあったのではないか?
ある意味「永遠に幼稚でいられなければ」この文化モデルの発展もなかった、とオレは考察する。


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それに。
この「大人になってはいけない」という強い制約があったからこそ《反逆・アンチテーゼ》として、


ガンダム」や「AKIRA」などの傑作も生まれた


といって過言ではなかろう。
ガンダム子供達のおとり部隊ホワイトベース)の物語だし、AKIRAはなんたってアキラ君だぜ?
マサルやキヨコの姿を見給えよ。チカラを扱いきれず暴走し苛立つ鉄雄の姿も思い出して欲しい。
独立できないコドモオトナ問題は、常にこの国に横たわっている。


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こうした意味で、アイドルとは、まさに「大人になってはいけない」祭り、すなわち呪祭なのだ。
その、アイドルという呪祭は

70年代(キャンディース・ピンクレディ)
80年代(ミポリン・キョンキョン・オニャンコ)
90年代(第●次多様化・モームス)
00年代(モームス・AKB)

を経て純粋培養し、言葉をかえればその祭りは「ガラパゴス化」して、今自分たちの前に、AKB48として結実して存在しているのだ。(いや。つーかAKBもだめか、古ぃわな。とにかく!)

ももクロでも、きゃりーぱみゅぱみゅでも、無数の地下アイドルでもいいのだが、これらの多様すぎるバリエーション一つとっても、世界的にかなり「ありえない」、全世界唯一と言っていい文化体系であることに異論はなかろう。

そしてそういう事態がなぜ起きたのか、と言うと、オレは上記戦後の「大人になっちゃだめ」問題にあるとしか考えられないと思うに至ったわけだ。


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AKB48のコンサート


以上、今日のひらめきのほぼすべてを言った。
以下、追記として!
 


冒頭で、韓国やジャカルタ48(インドネシア)の例をあげて「亜流」「年下の兄妹」と言ったが、ここにも必然のような特徴があろう。つまり戦後その国が「どんな支配体系を辿ったのか」という背景だ。

日本のアイドル、アニメ、マンガ文化はまずもって東南アジアに受け入れられるわけだが、そこにも列国の管理下に置かれている事によるある種の去勢・「大人になってはいけない」事情を見て取れる。

その証拠にお隣、韓国を地図でみてごらんよ。上を北朝鮮に閉じられ、窒息しそうな半島の地理を。

韓国の人のメンタリティはこの窒息しそうな地理に、既に現れている。いびつな民族の分断により、大人になることを妨げられている。
見つめる方角も地理的に日本しかないわけで、そりゃ日本を羨むし、ストーキングもするっつーの。

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ミドリが韓国


こう捉えると、台湾が「親日」である理由もわかってきそうなものだ。

台湾は、独立国だろうか?

非常に解釈が難しく、その意味で日本と等しく「大人になってはいけない」去勢された状態に台湾もある。ゆえにシンパシーとして親日に振れてなんらおかしくない。


去年SMAPの「独立」問題があれだけ話題になったのも、きわめて日本的現象だったと言える。
独立」すなわち「大人になる」ということを裏に知るからこそ、あの見せしめのような会見を多くの日本人は気の毒に捉えたわけだ。
その後たまらず決壊し「解散」になったのは「今」という時代を象徴しているようにも想える。
独立ではなく解散。この意味をどう捉えるか。不吉に思うか啓示に思うかーー。


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トランプが米国の大統領になった時、一定数の人が「これで大人になれるかも」と色めきだった。
オレもうっすら「これで米兵を撤収したら、日本は大人にならざるをえんな」と思っていた。
でも時が経つにつれ、なんだか内実は違うようだし、本質もちがうと気付く。

大人になるって(この国ではいつもながら外圧でいいのか? という問いも常につきまとう。
自浄作用というものは尊く、それだけに難しい、痛みを伴う行為でしかないだろう。

が、ともあれSMAPだって解散したのだ。
これからすこしずつ、色んなものごとが変化していくだろう。

さあ、その変化への主語が問われている。
日本なのか、世界なのか、それとも、自分なのか。



最後は当然のように尻切れトンボだが、筆をおく。
ここまで読んでくれて、ありがとう