わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

型とアレルギー

今日、ボクは38才になりました。
それを記念して、恥ずかしいことを書こうと思います。
 
 
 
みなさん、 「ワンピース」というマンガをご存じですか?



はい。そう。
国民的マンガ&アニメ「ワンピース」。ボクは「ワンピース」アレルギーでした。
その話をします。
たとえば合コンに行ったとしましよう。(おっと何年前のハナシ?)
そこで話題につまりました。
 
 
オレ 「好きなマンガなに?」
女子 「ワンピース!」(それもオレ以外全員うなづく
 
たとえば隣の客、会話につまったバーの一角。
 
オレ 「好きなマンガなんすか?」   
男子 「ワンピースっすね・・」(それもしみじみと
 
ハ・・・。ま、まただ・・・・・。読んだことねぇっつーの・・・。
 
 
なんだよそろいも揃ってワンピースワンピースってよぉ!
 
 
と完全に食わず嫌いのワンピース嫌いになりました。本当にここにぶち当たることが多かったから。
 
 
・・・・・・。
 
 
いや。JUMP、チラ見とかありましたよ。
しかし連載当初から、あの画の「タッチ」がだめだった。読もうという気が起きなかったのです。これにかぎらず、そういう画のタッチがだめで話題のマンガのことごとくを読んでいないわけですが。 しかし、そんな前節はファンの前にはあまりにも無力です。「画のタッチだぁ? はぁなにそれ? 」と。
しかし逆にこうも思うのです。オレよ、オレ自身よ。
 
 
 
 
「じゃあ好きなマンガが、なんだったらいいんだよ?」、と。
 
 
 
 
ヒトの趣味の嗜好をきく質問には、この不毛な自問がついて回ります。
「好きな映画なに?」
「好きな音楽なに?」
「好きな惑星なに?」
なんだっていいが好きなものなに?
これらの質問には、すでに答えが質問者のアタマに勝手にでていると言えやしないか?
 
もっと言えば、型にはめたがっている。
問う側の質によって、ただ暴力的にむなしいだけかもしれない。
それに、この質問にはそこへの「愛」を強制して問うている気もして、いやになるときすらある。 たとえばガンダム好きなら、ちゃんと名称・年表やらしっかり叩き込んであんだろうな? みたいな。
 
やだねー。じつにいやらしい。
それって外周だ、なんだその忠誠度を測るテストみたいな強要は?
 
つまりボクのワンピースアレルギーの根っこにも、自分自身のいやらしさへの嫌悪が裏返しに滲む。
きっとね。認めたくないがそういうことなのだ。
知らないことへの恐怖も多分に、いや、大いにある。 と同時に「国民的」という、マスの賛成票に背を向けたがる、天の邪鬼な一面も追い風となっている。 ということは、
 
 
 
 
 
 
・・・・・・。
 
 
 
 
 
 
だめだこりゃ、読んだ方が早え
 
 
 
 
 
 
 
観念ばかりが肥大してほとほと面倒くさくなり、これでは精神が不健全だ。
意を決して、マンガ喫茶に行ってどかっと40巻まで読みました。最近の事です。
ワンピースとりあえず40巻。まだ途中ですがマンガ喫茶に、3回通って読めた量。
 
1.jpg 逆Supported by 快活CLUB
 

ガガガガガガ・・・(アタマに入れる音)
 
 
読もうと思って読むから、画のタッチなんて、そのうち気にもとめなくなります。 みんながなぜ話題にしたくなるのか、それもよくわかりました。 OK。
 
 
 
面白いな。
 
 
 
このマンガの「ラブ深さ」が支持されているのだから、とてもいいことかもなぁ・・・
そうだよなぁ・・合コンとかバーで逢ったファンのみなさんは、・・きっとイイヒトたちだったんだなぁ・・・いやむしろ、話題を提供してくれていたんだ・・、むしろ、気をつかって? コイツでもこれならいけるだろ・・? ああああああ! 
 
 
と、そんなアホみたいな感慨すら沸いたりしてさ。
偏見なんてないに越したことがない。そんなアホみたいな反省しかでてきません。
しかしそれにも増してなにより。
アレルギーを解消することがもたらす「軽さ」。そして自分の中でのマンガ熱のあらたな「再燃」。
これらがフツフツとうれしいのでした。
 
 
 
ワンピース自体の感想はわきに置いておきます。これは自己治療についての話だからです。
この治療はまだまだ続きそうです。つぎはもちろん、進撃の巨人となるのでしょう。
 
 
 
 
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これもなー。画のタッチがなー。 と四の五の言わず読んでみよう