わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

アメリカを支えた「SFX」

スティーブン・スピルバーグと、リチャード・ドナーと、リドリー・スコット
アメリカ映画、、、というか、アメリカそのもの救ったのは、彼らなんじゃないか?とボーッと考えることがあります。


未知との遭遇(77)
スーパーマン(78)
エイリアン (79)


ここに「スターウォーズ」(77)を入れてもまったく問題ないですが。
 
 
SFX。特撮。
 
 
よくよく考えると、SFXとは、スーパーが付く、超「発明」だったと思うのです。
大げさではなく、70年代の傾いた米国を復活させたのは映画産業の、それも「SFX」だったんじゃないか? と半ばまじでボーッと考えてしまうのです。(いまさら? いやいや、前からですが最近とくにつよく。)


ふー・・・。
しかし伝えるのはとても大変だ、こりゃ・・。


大雑把にしたってかなり入り組むので上記3作品が生まれるまでの経緯を(乱暴に)おさらいしたい。
 
以下目次(まとめんと読みづらいので!)
A)アメリカンニューシネマ
B)オカルト・ホラーの隆盛
C)SFの発生             
E)ドナー
F)スコット
G)俳優の側面
X)まとめ
 
 
A)アメリカンニューシネマ、その進化形

俺たちに明日はない(67)」を先駆とするアメリカンニューシネマ(←実はこれは和製用語)。
その特徴はベトナム戦争の泥沼を象徴する、弱い、あるいは迷う、アメリカの象徴でした。70年代が折り返すまで、世界市場で台頭したのがこの映画群でした。言わば、辛気臭い期間です。(イギリス映画「わらの犬」を観ると、どれだけアメリカが当時弱含んでいたかが理解できます。)
 
またストレートプレイ型の「進化形」を、アメリカンニューシネマは提示しました。このストレート型「進化形」の系譜が強烈に興味深いのです。

ゴッドファーザー(72)」が生まれ、「タクシードライバー」(76)「アニーホール(77)」「ディア・ハンター(78)」「地獄の黙示録(79)」と、ストレート型「進化形」はニューシネマから旅立ち、開花します。とにかくこれら「進化形」のクオリティの高さは半端ではなく、70年代のスピードは驚異的です。
 
観客はここにおいてナマの「リアル」を愉しめるようになった。(その意味で「フレンチコネクション」も超重要)今でもスコセッシやウディ・アレンは「特撮のヒト」ではなく、こっちのヒトであり続けています。
このストレートプレイの系譜も「アメリカの強み」ではあるが、後述する「強み」とは異質だとボクは思います。
 
 
B)オカルト・ホラーの隆盛

むろん60年代までも怪奇モノは時に流行り、いっぱいありました。SF的なホラーも「ボディ・スナッチャー/恐怖の街(56)」を極北に、チープものまでいくらでもありました。
で、これらは確実に「SFX」のゆりかごだった。とくに特殊メイクの点で。

ローズマリーの赤ちゃん(69)」でオカルトが勃興(←SFXはない)、「エクソシスト(72)」が生まれます。リンダ・ブレアに施された特殊メイク、あるいは特撮的仕掛けは驚異的で、ホラー表現のエポックとなった。
 
ここで観客は、怖さに「リアル」を覚えたのです。
前時代的な「チープさ」がここには、全くなかったのです。そして「悪魔のいけにえ」「13日の金曜日」「ゾンビ」とエポックな作品が同時多発的に次々と産まれます。
ここで大事なのは、「怖がらせる」ということ。(そこにはストレートプレイ技術も助力しました)日常ドラマの機微ではなく「怖がらせる」ことに価値(娯楽)を前時代よりさらに、見出せたことなのです。
 
今では当たり前な「怖がらせる」も当時まではニッチ。日の目を見るのはこの時期からです。
 
 
C)SFという可能性 ーD・トランブルの存在ー

前時代的「チープさ」の除去。SFの世界でもそれは押し寄せ、本格的なジャンルとなる。「2001年宇宙の旅(69)」が見せたチープ感のなさ。それは観客に「大事件」として受け入れられました。

この作品のメインスタッフであり、70年代のSFXのカリスマはダグラス・トランブルという特撮技師でした(ストップモーションのカリスマ、レイ・ハリーハウゼンとは違う意味で。伝統芸ではなく新発明として)。71年の彼の作品「サイレント・ランニング」は新たなSFの幕開けだっただろう。確実に新言語です。
 
ダグラス・トランブルが居なかったらSFXはどうなっていただろう?
気が遠くなるほどのオリジンなのです。
彼の技術はのちに83年の大傑作「ブレードランナー」に結実することになります。
 

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こうして。
70年代のアメリカ映画はオーセンティック表現の変化、ホラー、特撮の可能性をフトコロにもっていた。この三要素の一つでも極めたらそれは、すごかった。
しかし冒頭で述べたように、スピルバーグ、ドナー、スコットの3監督がそれらの要素をすべて統括した。

という考えが今回の趣旨です。
(前置き、相当長いですが・・)

この3人が、斜陽のアメリカを「まじで」復興したのではないか? それくらいハリウッドで興った70年代後期の「福音」は国の外交レベルで、すごかったんじゃないか?ということを言いたいのです。
 
 
「彼ら」が新たな
「米国=娯楽」を定義したのではないか?
 
 
ということです。
で、80年代はその「娯楽」をもってアメリカは復興したのだとラジカルに言いたい。
 
 
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スピルバーグの処女作「激突」はアナログでした。
とてもよくできた、傑作アナログホラーでした。しかし続く「ジョーズ」は明らかにちがいました。
彼は発明をモノにしたのです。ここが面白い。
 
サメを「作った」。

まさに新技術「SFX」であり、それはSFXとホラー(パニック)の融合でした。
かつ、「弱き」アメリカンニューシネマの残り香もします、この時点ではまだ。
主人公3人に政治的な背景を込めています。ドラマ作りはそういう対立を丁寧に描いているのです。「ジョーズ」でも充分新たな「娯楽」を規定するパワーと発明の威力をもっていました。
 
彼が本格的にぶっ飛ぶのは「未知との遭遇」。
言わば彼はここで「デジタルになった」のです。
 
SFXという新言語の権化ダグラス・トランブルを招聘し、オプチカルエフェクトを極めます。
ストーリーにはもはや、アメリカンニューシネマ的「挫折感」はありません。
博愛にちかいヒューマニズムを全面に採り入れ、新たな「娯楽」の方向性を規定した、とボクは考えます。じっさいスピルバーグは「シンドラーのリスト」の免罪符を得るまで映画作家としてのジレンマを抱えます。
「アンブリン」的な、ET的な観客の想念のスタートは「未知との遭遇」であり、アトラクションとしての映画。その担い手として80年代をひた走るのです。じっさい、スピルバーグの人気はアメリカを代表しました。
 
 

彼がじつは「オーメン」の監督だったことは、今ではなかなか結びつかないことです。それくらい「スーパーマン」が遺した福音はすごかったのです。

うそだと思うならもう一度観てみるといい。父性をめぐる、丁寧に作られた大傑作ですから。丹念に描かれる少年時代はまるで「大草原の小さな家」。アメリカンオーセンティックの極みです。
 
つまり、オーセンティック表現SFXの大融合でした。主人公がスーパーマンなので「うしろめたさ」もありません。この大融合は、バットマンスパイダーマンなど後続ヒーローモノを引き合いに出すまでも、ないのです。(ノーラン版バットマンの功績は「より現実に近づける」というアレンジでアップデートしたことでした)
 
なお主演のC・リーブはスーパーマン俳優というレッテルにジレンマを感じます。
しかし逝去後も彼が世界中で愛され惜しまれるのは、それなりの強い強い衝撃が元になっているのです。(ちなみにボクの映画館体験の最古の記憶がスーパーマン。当時3才くらい。よく覚えています)
 
 

リドリーの衝撃は「エイリアン」です。
とにかく「エイリアン」。これは60年代にはゼッタイになかった映画でした。まさにチープさを排除しきったSF特撮ホラーなのです。
 
だれが宇宙にいったことがあるでしょうか?
だれがその状況に「リアル」を感じるでしょうか?

しかしみんな、怖がった。映画館でまるで「当事者」のように怖がったのです。
誰が生き残るかわからない、どんな状況かわからない。それがエイリアンとS・ウィーバーに収斂してゆく。そのドキュメントタッチも特筆に値します。まさにアトラクション映画としての大成功でした。
 
実質処女作というリドリー・スコットは恐るべき子供だったことでしょう。
むろん、ココはじまりの彼にはアメリカンニューシネマ的な「挫折感」は皆無です。「スタートレック」「スターウォーズ」も前年までに超がつく特大重量級ヒット。

さあ。ハリウッドがその後採る態度は決まりました。


 
G)俳優技術という横糸

ここで少し俳優の側面をみてみます。
50年代、エリア・カザンら、J・ディーンやマーロン・ブランドが、メソッド演技を世に広めました。
 
観客は彼らに「リアル」を観たのです。その後ポール・ニューマン、S・マックイーンなどスターになってゆく。この「俳優史」も横糸として密接につながっています。
なぜならアメリカンニューシネマというものの正体は、ほとんど

 
 
アクターズスタジオなんじゃないか?
 
 

と思うからです。それくらい、彼らの「発明」と伝播力(と政治力)は強烈だった。
70年代はかくも複雑なのです。だから面白い。もしSFXが発明されていなかったら、さあて映画の覇権はどうなっていただろう?とも思います。しかし、
 


70年代がおわり勝利したのは、SFXでした。
 


デニーロという70年代最後のスターを輩出したあと、彼らの80年代はアウェイだったはずです。

スピルバーグも、ドナーも(ブランドを起用するが)、スコットも「それどころ」ではなかった。

真実の演技?
それよりオプチカルはどうなってる!
新しいアメリカのゴラクじゃあー!

に邁進しました。映画をハイウェイビジネスとみるか「アート」とみるかで強烈に話は別れますが。
80年代ももちろんフレッシュな俳優は登場しました。アメリカの俳優技術は向上の一途を辿っています。しかしたとえばデイ=ルイスがヨーロッパやインディペンデントで鍛えられるように、本格的な俳優ブームの再来は90年代の小さな映画まで待つことになります。


ボクは特撮の80sと乱暴に振っておきます。


そう振ることで、費用対効果がわかるからです。
つまり当時SFXという発明のほうが、早い話「儲かった」わけです。
あるいはスタローンやトムクルーズという「アクション/アイドル俳優」の出現。これも興行として「儲かった」のです。つまり80s中頃のハリウッドは(50年代水準まで)復活した。そういうことだと思います。
 
完全に国の「特産物」としての輸出品です。
アイドルを出すゆとりを持つまでにアメリカは復活したのです。


 
X)ゴーインにまとめる

以上みてきたように、
 
 
エイリアン
 
 
はその後のアメリカ映画を規定する強烈なパワーをもった、ブロックバスターでした。そしてニューシネマ経由のストレートプレイ側の監督たちの多くは80年代苦労します。俳優は前述の通り。
そのあとの彼らの数年後の監督作を追うと、その意味がよく分かると思うのです。
 
 
レイダース(インディージョーンズ)(81)
 
 
もう、ガチで80年型娯楽の完成系です。はっきり言って全部大好きですが。
ブレードランナーなんて(今思うと)不朽のSFXの金字塔です。

アメリカ映画はここに、世界的専売特許を宣言したように思います。
ニューシネマ的「迷い」なんて微塵もないです。日本では雑誌「ロードショー」や「スクリーン」が売れ「西高東低」なんて言われました。
 
日本人が「洋画」と言う時、ほとんど「アメリカ映画」を差しています。それは今でも脈々と。


ツタヤやゲオなんて行くと、洋画コーナーはすなわちアメリカコーナーです。タルコフスキーヴェンダースでさえ、地域の店には置いていません。
そんなリテラシーでありこのマス感覚が浸透したのは、70年代からじわじわ起こり、80年代に加速したのではないでしょうか。
 
じっさいSFXの前に、フランスもイタリアもソビエトも、手も足もでなかった、という印象があります。彼らとそして日本の映画人もいまだに「SFX」へのコンプレックスがあると思っています。つまり、SFXへのコンプレックスは、
 
 
日本のみではないのです。
 
 
それをうまく扱い続けたのは、アメリカハリウッドをおいて、なかった。
この認識は大事です。
アメリカ以外で作られた映画のほとんどが、ストレートプレイである。この認識は今でも通用するでしょう。それほどのギャップを作った「SFX」。だからボクは「SFX」の以前と以後で区切りたいのです。
 
そしてこの「SFX」は80年代、アメリカそのものを復活させた、まさに輸出品目だったのです。その糸口を作ったのはまさに映画人たちの融合でした。彼らの研究と飽くなきプラグマティズムでした。ボクはこのギャップを考えるとき、どうしても国民性を考えずにはいられません。その精神性についてです。
 
 
日本人が特殊なように、イタリア人が、ロシア人が特殊なように、アメリカ人もまた、特殊すぎるのです。でなければSFXは産まれなかった。
 
 
で、冒頭にもどり、彼らがとくにその「功績」に値する人物だったのではなかったか?
 
 
彼らの功績は計り知れません。
アメリカ人のすべては彼らを拝むべきではないでしょうか。そして映画、そのものを愛するすべての映画ファンも敬意を表すべきでしょう。好き嫌いはおいておき、です


 
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ふー・・・。書いたぁ・・・
まとまるかわからんなか、なんとかまとめたぞー
えっらい長文になりました。ほとんど自分のために書いております。(もう写真とか探して貼る余力なし)ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。
 
また、ここから始めないといまの映画人気の下火感や「東高西低」現象も見えてこないと思うのです。もちろん90年代の「揺れ戻し」などあるのですが、話は尽きず、筆を置きます。 ふー・・
 
なお、SFXは「VFX」のことです。
しかし当時感を想い敢えて「SFX」としました。
それに、VFX? SFXだろ?派ですので。