クソ、がつくほど面白いです。
飲茶著「史上最強の哲学入門」。
飲茶著「史上最強の哲学入門」。
右が第一弾で西洋哲学、左がつづく「東洋の哲人たち」。
近年まれにみる、読書体験でした。(おっと。これも「同化」ですね)
とくに「東洋」篇の出来たるや、すさまじく感動!耳、赤、たとえにハンパなし!
「西洋」篇もここまでガイドが行き届くと流れを追え、時空を超えた反復すら超絶ためになる。
人生を「真理」に捧げた哲人たちの飽くなき、闘争。「サトリ」という伝達不能の奥の奥の停止の停止。そして今、が言外に拡がっています。両書とも大推薦します。
なんでも、つづく第3弾は「中東(イスラム)哲学」に分け入るらしい!
発売日に買ってしまいそう…
【追伸】いま、2巡目(笑)。
それだけただならぬ愉しさがある。
その感想は以下。
その感想は以下。
第一弾、西洋哲学の「真理の真理」篇を読み直す。
中古転売なんて考えてないから、ボールペンで線引きまくりのメモしまくりです。
中古転売なんて考えてないから、ボールペンで線引きまくりのメモしまくりです。
たまにやります。こうすることで、頭に入れるのです。
自分で「書く」ことは本当に大事です。それだけのホンですよこれ。
※しかし作者さん、文中「そもそも」が多すぎるね。
途中からその多さが気になってしまい、修正ペンで消していったよ。頂けないな、そんなエクスキューズは。
※しかし作者さん、文中「そもそも」が多すぎるね。
途中からその多さが気になってしまい、修正ペンで消していったよ。頂けないな、そんなエクスキューズは。
さて、そんなわけで第一弾の第一章。
西洋における「真理の真理」の旅。
西洋における「真理の真理」の旅。
このホンはこんなリレーで「真理の真理」の旅を紹介しています。
《》でくくったのは、オレ自身。
じっさいデューイ、デリダって聞いたこと、あります? オレは知らなかった。
デリダは真理とは「理解」ではなく「解釈」だとしています。なので解釈分、真理はちがう。
「真理なんて西洋のおごりだ」と爆弾を落としたレヴィ=ストロースの西洋批判、ひいては現代哲学の理性・真理批判という「潮流・トレンド」から出た(だろう)デリダの「脱構築」論ですが、
理解ではなく、解釈なんだから、人それぞれだよね
で、それはちょっと哀しいぞ。なんとも釈然としない、と思う。
むろん今は「その時代真っ最中」だが納得はできん。笑
今回その話をする。
たとえば映画の、あるいは演劇の台本がここにあるとする。
映画・演劇自体が前時代的な、まさに「構築」系だからなんだけれど、話をすすめる。
映画・演劇自体が前時代的な、まさに「構築」系だからなんだけれど、話をすすめる。
その台本を俳優がよんで、
「ふむふむなるほどね、
でもオレはこー解釈するんだよね、
こー演じたいんだよね!」
大いに研鑽結構だが、それがドラマツルギーに反しては、結構ではない。
次にその役をうけて、姉の科白が
「あらあら、そんなに取り乱して」とあった場合
「あらあら、そんなに取り乱して」とあった場合
せめてある程度以上、取り乱してないとこまる
のである。
そこで俳優が自分を良く見せようと「取り乱さず」演じられても、姉は困るし、演出も客も困る。
「受け手の解釈なんだから、人それぞれだよね!」ではすまされない、なにかは確実にある。
ということ。ドラマの文脈を理解した上での行動の「適用」に、いやでも俳優の個はでる。で、それでいいとおもうが、それ以前の話だ。
そこで俳優が自分を良く見せようと「取り乱さず」演じられても、姉は困るし、演出も客も困る。
「受け手の解釈なんだから、人それぞれだよね!」ではすまされない、なにかは確実にある。
ということ。ドラマの文脈を理解した上での行動の「適用」に、いやでも俳優の個はでる。で、それでいいとおもうが、それ以前の話だ。
つまり。
やみくもな「脱・構築」は迷惑なだけではないだろうか?
やみくもな「脱・構築」は迷惑なだけではないだろうか?
とデリダのパートを読んでフツウに思ったり、した。
しかし時代は待ってはくれず、ポピュリズムも真盛り。
「受け手の解釈」が拡大し猛威をふるってる気がするがどうだろう。
自分にももちろん憶えがあるが、ちょっとこのデリダの論は《》カッコだな、としたい。
し、オレ自体が理性や青臭い理想が好きなんだな、と改めて想う。
「受け手の解釈」が拡大し猛威をふるってる気がするがどうだろう。
自分にももちろん憶えがあるが、ちょっとこのデリダの論は《》カッコだな、としたい。
し、オレ自体が理性や青臭い理想が好きなんだな、と改めて想う。
・・・って、ああ知ってるさ。普遍主義はこうして脱構築主義に敗北したよ?
で、オレの言う「迷惑」も「理解」もまさに恣意的だよ。ともすると同調圧力に振れもする。
それも認める。が、それこそ
「足るを知れ」のソクラテス好きなんだよオレは。
人間は「みたいものだけを、みたいようにしか、みない」。そういう性質を持っている。
そこに「さらに」脱構築が来るとよ、もう歴史の意味がなくなっちまうぜ?
パンク?
いいか? ほんとのパンクは常人には耐えられんほどハードだろうによ!というのもあるわ。
今、ココ。