オカルト、古代・超古代、ミステリー、都市伝説が大の大好物な私には、YouTube は刺激的な箱だ。
が、注意が必要だ。
なにもオカルト好きでなくとも、ですが。
その「注意」として
歴史的な定規とコンパス
とも言うべき、尺度があるからだ。
その尺度が表現者側でとっちらかってる場合がある。説に対し「なんかピンぼけだよな」という時、どこかそんな定規が引かれてないことが多い。
今回は
ふたたび日ユ同祖論について触れたいとおもう。
もうひとつは、超古代について。
この二つをさらっと(大掴みで)語ります。
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◎日ユ同祖論について
日ユ同祖論。日本人の祖先は〜、というものです。このブログでも一度触れてます。
こちらの、祇園祭のトピックの帰結でね。
で、ここで私としての結論も出しています。
渡来豪族「秦氏」は古代ユダヤ教の影響下にあった部族であることはほぼ間違いない。と。
しかし、このあとこそが大切だが、
彼らは「そう」だが、
それが即ち「自分たち」とはならんよ?
とーー。
あなたは「秦さんなんですか?」ということ。
で、時の権力者と あなたとのご関係は? ということなんですよ。
そもそも、だぞ? 神社を教会とする
「神道」とは一体何か。
こういう問いを立てないと色んなものが混同していき、日ユ同祖論にすり替わると想うわけです。
◎記紀とは何か
まず、年表で言うと
645年 大化の改新
712年 古事記編纂
720年 日本書紀編纂
これほど大切な年表もない。
日本史の試験など関係なく覚えておくべきだと想うんですが、この3つの事件が本当にコアだ。
だって、712年古事記編纂より「前」、公式には
この国に神話は存在しない
のだから。
そして勝ち組を決める天王山の一戦(クーデター)こそが、それから遡ること60年前の宗教戦争「大化の改新」なんだから。声を大にして言うが、
宗教戦争
だよ、大化の改新は。オレはそう捉える。
そこで勝った藤原氏。彼らが50年掛け編纂した古事記も日本書紀も勝ち組が「推す」物語なだけだ。
それも712年&720年。ですよ、言うても。
新しくね?
と想うけどね。8世紀初頭よ。
少なくとも今の形となり「神道」がこの国共通の宗教になったのは彼らが「大化の改新(645)」に勝ったからだ。その勝者。それが藤原家であり、彼らの後ろ盾である秦氏であり神道なんだよ。
この認識はかなり大事だと想う
だって、これだけで日ユ同祖論はおかしくなっていくから。いつからの日本人を言ってますか?ってなるから。それも仕掛け人たちが7世紀に覇権を争ったこととどれくらい結びつけていますか?、だ。
秦氏はそうだろうと想うよ?
秦氏の祖先は古代ユダヤ人かもしれん。少なくとも彼ら自身はそう望んだろう。彼らは景教徒だ。
なので秦氏自体は「古代ユダヤ教徒であった」と言い切ってもいいとおもう。がしかしそれが即ち、
日本人のすべてがユダヤの末裔
だという話にはならんのですよ。
ホント、この違いOK? と私はいつも想う。
宗教戦争としての、大化の改新。
蘇我氏
物部氏
忌部氏
など、彼らは何を擁立したんだろうね。
そこは歴史の闇に葬られわからないが、仏教の流行も忘れてはダメだ。それら豪族たちが守らんとする思い思いのローカルな宗教があり、それぞれの「象徴」がいたはずだ。とにかく勝ったのが藤原氏であり、秦氏であり、神道であり、彼らの象徴としての「天皇」である。そう自分は解釈する。
ちなみに闘争(大化の改新)は凄惨だったはずだ。
たとえば神社の中でも、伊勢神宮と出雲大社では様子が違うもの。由緒正しいはずなのに、どこか出雲大社の方は暗いと思わない?
豪族同士の殺し合いの中「敵ながら祀らないとならないものがあった」と考えるのが筋だ。そういう意味で出雲大社を捉えるとまた見えてくるものもあるだろうと想う。・・ってこっちの話もとまらない!
(閑話休題。次に行きます。笑)
◎記紀を起源とする可笑しみ
だいたいの起源が古事記・日本書紀の記紀だ。
しかし今まで言ったとおり、これ自体に注意が必要ですよ。このホン自体勝ち組の教科書なのだから。
たとえばオカルト界隈では「古事記によるとスサノオは」とか「アマテラスはー」と出てきて、
これらは世界の教典とも
合致する!
などと指摘しドヤられるわけだが、
そりゃ元が同じなんだから
そうだろうさ!
と想うほかないんだよ。ユダヤ教とも一致する!ではなく、元がユダヤ教や世界宗教の影響をうけたモノなんだから当然じゃん!と。
これは神社のつくりにしてもそうだ。「こ、これはユダヤの幕屋では?」ではなく、彼ら自身が影響の元つくったとしたら当然だろうに。くりかえすが、そのこととあなたはどう関係があるんだろうか?(オレはそっちのほうが知りたい。アーユー秦氏?)
景教徒・秦氏にかぎらず渡来豪族たちは日本にくるまでに、シルクロードを渡り、様々な宗教を吸収している。そのうえで、記紀も神社もできている。そう考えるのが妥当ではないか。ギリシャ神話の影響も根強い。祇園祭など観ると本当にオリエンタルなことがわかるよ。
きっと600年代はカラフルで、極彩色の絢爛豪華で婆娑羅な世情だったのではないか、と夢見るね。
仏教と神道の対決。どっちの方が呪術で上回れるか。わくわくするね。タイムマシーンがあれば真っ先に大化の改新を覗きにいきたい。
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◎超古代という定規
大化の改新興味ありすぎて長く書いてしまった。
超古代は大急ぎで巡る。
古代
と
超古代
この定規しっかり引かれてますか? と問う。
あ、ちなみに。
これ以降ポンポン単語出していきます。好きモン以外「は?」って感じだが知りません。
興味あればぜひ調べてね!お薦め!
◎今の「情緒」で語れるか
今の。
人類の情緒、カルチャー。
それら情緒性の内にあるか外なのか?、ですよ。
きわめて大事な尺度だ。
ローマ帝国はどっちだ?
古代だよね。当然。
彼らがあの頃としてはどんなに美しい陶器を作ろうが、古代だ。今の情緒・文明の延長線にある。
しかし、
ピラミッドは?
これは超古代ですよ。超古代のゲートウェイ。情緒がちがうでしょ。未だに確定してないんだから、ピラミッドの建築方法。入門編にして最終地点だよね。
プマプンクは?
ギョベクリ・テペは?
このあたりドストライク、超古代! 文明外!
ね!興味ある人はホント調べて!むろん我が国にも
与那国島の海底遺跡
があるわけよ!
もーリアル浦島太郎さ。浦島太郎伝説の発祥は一節には沖縄・台湾。説得力ありすぎるわ。
とにかくこれが「アリ」な場合、地形と海抜さえ含め、歴史の教科書を大幅に書き直さなくてはならない。なので頑なに学会などは認めず「人工物ではなく自然にできた地形」としているわけです。
興味深すぎるよね。
しかしこれらこそが超古代!
超古代の単位には「1万年」を用意することだ。
で私は古代よりはるかに大好物です。
◎古代と超古代のメジャー計測
アステカやアンコールワット遺跡には微妙な感慨があります。なぜなら古代でさえなくそれらは中世のものだからです。似たような感覚に
イースター島のモアイ
マチュピチュ遺跡
がある。
これが超古代の遺物なら「はげしく浮かれる!」
・・のだが、これらもまた中世であり、それぞれポリネシアとインカ文明なんである。
ビリーバーとしてしぶとく言うならば、(人里離れているが故の)超古代の「ヒント」が隠されてはいまいか、また、これらの「建具と住人」は違う可能性も否定しきれない、とはしたい。物証はだせないけどさ。
たとえばエジプト人とピラミッドを「わけて考える」思索があるように、イースター島のモアイと島民も「わけて」考えうるかもしれない(石切場ラノララクの「途中のモアイ」見た事ある?デカいぜ?彼らが生活の為だけに建立したなんて無理がありすぎる。しかし現存することだけは事実だ)。
なおイースター島はロンゴロンゴという文字が残るが読める人々を西洋人は侵略時制圧してしまったので、今では誰もわからない。とにかくアステカにしろイースター島、マチュピチュにしろ
「西洋人、征服しすぎ」
と思うわ。それこそ今の情緒で申せばね。どっちが野蛮なんだろうか、ということです。
いずれにせよ中世に発見された、あるいは、中世まで興っていた文明と人々、インカ・アステカ・マヤ文明。これらへの思索は引き続き継続していく他ないが、古代の歴史の定規づけを続ける。
◎オーパーツ考察2選
たとえば【オーパーツ】。
時代的にありえない遺物。この界隈について。
「ピリ・レイスの地図」だとか
は、もろ中世なのよ。
しかもこれは懐疑論も根強い。中世モノのオーパーツっていずれにせよ「超古代」に比べはるかに手ぬるいのが多い(情緒の範囲内なので)。なお、中でも異彩を放ちハードコアなヴォイニッチ手稿については以前書いた。
で、
「アンティキティラの機械」
これは列記とした古代のもの。
紀元前3世紀〜前1世紀とされ、ギリシャ文明〜ローマ時の物。本物はアテネの博物館にある。
しかしこれも落ち着くといい。
つまりオーパーツ(時代的にありえん)と考えるよりは、ギリシャ文明の彼らが歯車式機械を作れた、それだけの文明にあった、というだけではないか。そんな見方の方が自然さ。なんたって
ソクラテス・プラトン・アリストテレス
のいたギリシャだぜ?
これ位の情緒と知性はあるだろ。と思ってしまうので、オーパーツとして浮かれづらい。そもそも
【キリスト現代文明をトップに置きすぎ】
だからね、オーパーツって言葉自体。
紀元前3世紀ギリシャのこの三大偉人後(そしてローマの後)、西洋はキリスト教統治の暗黒時代で中世までいくんだ。どっちが遅れてたかわからない。
(もっともギリシャも奴隷制。プラトンさんは奴隷達の労働の上でアカデミックに耽っていたことも忘れてはいけない。まあ「エリート」の語源はギリシャ神話の楽園エリュシオンだが。)
これなんか読むと落ち着くよ。
それと紀元前でこうして戦ってるから。
ヘレニズム期の兵士
◎いつからが超古代か
「ギリシャ文明」とひと言で言っても開きがあり青銅器時代で紀元前3000年という単位だ。末期ヘレニズム期としてもBC300年(ここにソクラテスらは位置する)。そしてほどなく時代はアテネからローマ(BC700〜)に移行してゆく。
これらの歴史を達観しただけでいよいよアンティキテラの機械、余裕だと想わない?
なお中国は春秋時代がBC700年〜。
秦(おっとハタじゃなく秦だぜ?ニヒヒ)が初めて統一するのでも紀元前200年代の話である。わずか10数年の出来事だったが、余裕の紀元前だ。三国志(AD200)の数百年前の事だった。
さて。
今の情緒の範囲内かどうか、で言ってこれらの文明をどう考えるか?、がある。つまり彼らは、
古代? 超古代?
という尺度だがオレとしても当然
古代
という感覚でいる(古代の崖っぷちではあるが)。
プラトンもアリストテレスも智慧を残したし、中国も同様、孔子(BC500)孟子(BC300)だ。
超古代ではない。しかし、そんな文明が断絶したことの方が悲劇であり、むしろ!ギリシャの彼らでさえ伝説として語った
アトランティス
こそが超古代なのだよ!ああああ! In お花畑
◎おまとめ
さらっと書くはずが・・5千字近い・・。
どのみち!
中世、古代と超古代。
それらでは切り分けも全くかわるものなのです。この辺りの違い、素人のエセな都市伝説では歴史の定規ががちゃつくので、よく気をつけましょう。笑。
いったいいつか、いつ頃か。
情緒的か、今の情緒の範囲外か。
中世か古代か、はたまた、超古代かーー。
定規を引いたら、あとはコンパスさ。
それらを丹念に洞察し、浮かれましょうね!
こっち系の話はとまらない。
今年はグラハム・ハンコックの新刊が日本でも出るということで、記念に書きました(?)。
折に触れまた書きますよ。では!
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こっち系は勘違いされるのでかなり抑えてます。笑