わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

たびのおもひで II いのちぼうにふろう物語

能登への旅。
そのメインだった舞台「いのちぼうにふろう物語」の話をまずしたい。
能都到着翌日、9月29日に観劇した。




仲代達矢(以下敬称略)が主宰する「無名塾」の演目で、七尾市中島にある能登演劇堂でのみ公演している。10月10日まで1ヶ月以上のロングランである。仲代達矢と街ぐるみの交流から、90年代に始まった能登演劇堂での毎年の限定公演。まさに、


地産地消


ここでしか味わえない舞台を体感することになる。まさに「インバウンド」の極致。素晴らしい行いであり、七尾市民の方々が率先しお客を誘導するその光景もまた、両者の関係の良さを物語っていた。

(話は前後するが)公演の中休憩で喫煙中、隣のおじさんに話しかけたらこの土地の人だと言う。「私も出たんですよ、マクベスの時に兵士役でね」——市民も参加できる心憎いつながりを有している。


その七尾市仲代達矢無名塾の歴史は演劇堂の資料室に詳しく、95年イプセンソルネス」を演劇堂のこけら落としに「(米国人俳優なら誰もがやりたがる)セールスマンの死」や「マクベス」など毎年この演劇堂で公演が行われてきた。そこには若き日の若村麻由美や渡辺梓、田中実の名前もある。80s最初期では隆大介や役所広司など、無名塾が輩出した役者もまた多彩であり、多くの名作に出演する仲代達矢の文化的貢献度は計り知れない。




「いのちぼうにふろう物語」は山本周五郎深川安楽亭」が原作の戯曲だ。小林正樹が「いのちぼうにふろう」と題し、71年に映画化もしている。その脚本にしろ本舞台にしろ、潤色は隆巴。このあたりはのちに触れる。

「命棒に振ろう」

タイトルは穏やかではない。がこのタイトルもかなり味わい深いので、さっそく感想を述べたい。


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観劇。
とても良かった。


細かくはむろん色々あり、第一幕イントロから中盤にかけては難所で、人物の紹介をしながら物語を進めていく行程でやや「段取り」臭がして正直退屈感もいなめない。が、すべての因縁とこの物語がなにを内包しているかがわかりだすと、ロジックではない物事が動き出す。


そう。これはまさに命を棒にしよう、とする決意の物語だった。




この感慨はプログラムに寄せられた仲代の言葉が端的に表現している。プログラムから引用する。




——まずは、この作品の中で取り上げられる、若者たちのことである。彼らは、この世に受け入れられずに弾き出され、社会の底辺を屯ろする人間達だ。(中略)・・・彼らはいろんな理由をつけるが、取るに足らない、掃いて捨てるような自分の人生に、凍えそうな毎日を送っていたのではないだろうか。そんな荒れ果てた砂漠のような人生に、せめて一本の花だけでも咲かせてみたかったのではないだろうか——


仲代達矢



以上。
もう言うことがない。


この物語は仲代達矢を主人とする安楽亭にどうしようもなく集まってくる男たちのポートレイトだ。
そして彼らは仲代が言うように「なんでもよかったのだ」とオレも想う。花を咲かせるに足る、どこか美しく想えるような動機がこれっぽちでもあれば、なんでもよかったのだ。せめて人らしいことができれば、なんでもよかった——。オレはこの腹から湧くような渇望を思う時、舞台を越えて涙を禁じ得ない。なぜならそれは心の底に響く人間の尊厳に関わるテーマそのものだからだ。

そこで捉える「いのちぼうにふろう」の意味は深く、そして普遍的に光り輝くピカレスクとなる。

時代劇は人情モノでしょって? ——違う。
人間の哀しみをちゃんと捉えなければ何時代を扱おうが劇にはならぬ。それを「人情」と言うならば、この「度を超えた」人情こそがこの劇の魅力であり、この劇のすべてだ。今回でこの舞台は3回目のリバイバルとのこと。無名塾としても大切に扱われている演目であろう理由もここにあろう。

仲代氏自身も劇のひとりの立役者であるだけ、という謙虚な姿勢を崩さない。むろん見せ場はあるが、その佇みこそが見事であり、人間の渇望を捉えた、それでいて爽やかな公演だった。
具象見事な舞台美術や、この演劇堂ならではの「屋台崩し」。そのダイナミックな演出も堪能し、いい舞台でした。


舞台は10月10日まで。


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で、この旅の道中。
原作に触れたくなりKindle で「深川安楽亭」を落とし読んでみた。すると興味深いことがわかった。
最後にこの話をしたい。




まず原作は主人公がちがう。(実はオチもちがう)

舞台では花形・二枚目が定七である。が、原作は誰が主人公か、実は判然としない。
ギリで安楽亭主人・幾造なのだが、その筆致もうすいんだわ。いや、この短編小説自体が骨とプロットしかなく、人間にも浅くものすごく「薄い」んだ。

このことにまず驚いた。

ある意味で原作の方が「ハードボイルド」なんだが、そのハードボイルドさも、どこまで狙ったかさえちょっとわからないほど筆致が薄いわけだ。
面白いのが、原作も安楽亭から「外に出ない」構成を執っていること。それがボイルドでスリリングな緊張感を生んでいるんだが、誕生から舞台に適した物語だったとも言えるだろう。即ちその「余白」ゆえに映像化・戯曲化し甲斐がある、という代物だ。

とにかく極めて薄いタッチが印象的であるのと同時に、この戯曲は原作を忠実に展開しつつ、果ては見事に飛躍し、この物語の骨と血肉を吸い出していることがわかる。原作と比べると脚本家隆巴の実力が否が応でもわかる、というもの。素晴らしいアダプテーションだった。


映画版「いのちぼうにふろう」は未見。東宝がDVDを出しているから取り寄せてみようと想う。
舞台と映画の違いを測るのも一興である。





最後のさいごに——。


能登和倉温泉を根城に3日も滞在していると、4日目最終日の朝には妙な事態にも出くわす。
朝露のかかる公園で、なにかボソボソ言っている男性がいた。オレはモーニングを食べた後の散歩でヤニりつつボーッとしていたんだが、どうやらそのボソボソは科白ではないか?と後々思い出した。


「そうか、無名塾の役者さんかもしれない」


そう思い直し、ふたたびその場所にいくともうその男性はいなかった。
うー! 釈然としない・・と部屋に帰りプログラムを広げた。すると、オレの目に狂いがなければ朝の男性は由之助役の中山研さんその人であった。


「もったいない。話しかけたかったな」


プログラムを開いてもう一人、オレはすでに遭遇していたことをまざまざと知り、ハッとした。
前日の夕時、和倉温泉の総湯で見かけた若い男性もおそらく、というかハッキリと文太役・上水流大陸さんだと判明した。湯に浸かっていて、坊主の異形さで記憶していた青年は彼だったわけだ・・と。そのときは合宿中のスポーツ選手かなあ、程度で見過ごしてしまったのだ。それに「おかしい、その時間は公演中のはずだ!」と、公演日を調べるに、その日は休演。まちがいなく彼だったわけである。


「ぎやー。言ってよー。もー」


って感じだが(笑)アトの祭りである。
そんないつ訪れるかしれない「後悔」もまた、旅の醍醐味かもしれない。