月をまたいで久しぶりに遠出をした。
能登。和倉温泉を根城に奥能登を回り、金沢に一泊その後白馬で一泊し松代に少し寄って帰ってきた。
能登に行くことは計画していたがあとはノリだ。そんなで結局5泊6日の行程となった。
ああ愉しい
いつぶりなんだろう?
旅行、旅、ジャーニー、トリップ、なんでもいいがいつぶりなんだろう?
それほど「旅切れ」する想いもある。
で、嬉し愉しついでにSNSなどに写真をシェア投稿すると「仕事?」とか「キャンプ?」とテンションの落ちるコメントを頂く。それも大体具合がわかるだろう友人からで余計に衝撃が走り「もうシェアなんかやめよう」と想ったもんだ。
仕事じゃねえし。
それと。一人だこのやろう。連れなんざいねえ。
あとはなんだ? なにが訊きたい?
どうしていったか? とかか?
ホントに訊きたいのそんなこと。
旅ですよ。
で、行きたいから行くときに行くものですよ。
続けますよ。
大切なのはそれ自体に触れたその経験が、自分にとって美しいかどうか、ではないか。
旅とは「ハッとする」瞬間のこと、と同義だ。
旅行とはそのハッとする行程表でしかない。つまりハッとすれば、日常であれ仕事であれコンビニ帰りであれ、それもまた一つの旅だ。オレはそう思う。
それに「仕事」という言葉もどう捉えるかだ。
いやいや稼ぐことを仕事というのか? 喜んで仕え喜ばす事と捉えるのか? 仕事と言えば今回も仕事だよ、クライアントが「オレ自身」ってだけのな。——だが、こんなこと言ってなんになる?
だからなんとも返せんような野暮なコメントよこさんでくれ、友(♂)よ。とちと想った。
なお私事として・・どうやら一人旅というものはもはや「プロ」の領域に達している。
ディズニーオタクでもないのに一人単独でディズニーランドを廻った者などオレ以外そうはいないだろ?(以前やった)それも「ソロ活」などという緩衝材のない昔に。言っとくがハッとしまくったわ。
NYも独り。とあるレストランに入ったら、アイリッシュの巣窟でパーティ中だったこともある。東洋人独り、そんな喧騒の中黙々と食べたランチプレートは忘れない。トレドの夜も、銀座の夜の「なか卯」も、ナイトブリッジの夜も忘れねえよ。むろん日常のハッとすることを一つの旅とも捉える。
要するに一人旅の喜びも哀しみもしっている・・が、いや。まったくドヤッてない。そこが嬉しさ、なんかでは決してない。大体しっくりこず一人行動になってしまうだけだ。
ああ今回も独りか、と始めた今回の旅の行程よ。そこで色んな感慨に出くわす。本当はシェアしたくてたまらないのさ。このあたりわかる人、どれくらいいるだろうか。
まあ野暮さ。わかってるよ。
だがこれは「わが心のブログ」なのだ。
旅の想い出をここに残しておこうと思う。
目的はあった。
それは「能登演劇堂で仲代達矢の舞台を観る」。
そんな目的ならば。
もちろん「ポップな消費財」でもなんでもなく。
立ち会いたいと思い、そしてこのフィーリングに合うヒトも近くにいないので一人、車を出した。
続編はこちらです。