わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

「バードマン」を鑑賞

アレハンドロ・イニャリトゥ「バードマン」鑑賞。
2014年作。7年前の作品ですが感想をあげます。

f:id:piloki:20211025192410j:plain


◎パスしてきたイニャリトゥ作品

「バードマン」は今回が初見だった。というのも、


「イニャリトゥか・・」


と避けてきたから。アレハンドロ・イニャリトゥの作品はとにかく「辛気くさい」。
そんな感慨が2000年代の話だが、自身にあった。まあとにかく昨今は避けてきたのだ。
(なので「レヴィナント」も観ていない)

21g」「バベル」とちゃんと映画館で観てるし「アモーレス・ペロス」から追ってはいる。が、その〈思わせぶり〉なくせに〈オープンエンド〉で帰結を観客に投げては暗転。その連続で正直、


「ふざけんな」


という腹持ちで彼の作品とは対話してきた。それでもむろん魅せる作家だし「Biutiful」はテーマ含め結構好きだったりする。が、その「Biutiful」でも、



「あれ最後、イヘ? イヘなの?」



というキワの最後でク●みたいなハテナを置きやがる輩である。ラストまで佳かった分手に負えない。
映画館を出る際、同じ時間を奇しくも共有した隣のおじさんに、本当に話しかけたくなったのを今でも憶えている(いい意味の共有でなく)。

f:id:piloki:20211025193014j:plain

Biutiful のイヘさん


しかし私も成長した。笑
今回2014年作「バードマン」を観た。


◎前置き長くなったが感想 I

結論から言うと「とても面白かった」。
彼特有の辛気くささや説教臭がなく、作品のテイストもずいぶん違う。というか恐らく、


〈自身のタブーを解除した〉


そんな作品だろう。振り切れたコメディだ。
このテイスト、今までもやりたかったんだろうな、と個人的には彼を察して想ったりもした。
とにかく愉しく観ることができたのです。

前提として「面白い!」と公言した上で、今作を少し考察しようと思う。

f:id:piloki:20211025192510j:plain


◎ワンカットものであること

この映画は演劇俳優たちの劇中劇。
ブロードウェイの内幕モノ。それもコメディなので当然ウディアレンなマインドも感じるわけだが、

疑似ワンカット

その撮影スタイルがまず素晴らしい。
これは「演劇」そのものを言い表してもいるから。


演劇は(映画と違い)リアルタイムの芸術


その演劇をモチーフにするのだから〈ワンカット〉は必然でさえあったように想う。そこがうまい。
ワンカット、即ちカメラは状況を離れない。


常に〈オン〉しか描けない


この特性もまさに演劇的だ。オンしか描けないので当然科白も増えていく(が、説明ゼリフは極力排されていてそこもよく考えられている)。
しかし同時に「オンしか描けない」デメリットもある。そこがこの映画の(マニアックな)面白い考察ポイントに想う。

f:id:piloki:20211025195949p:plain


◎なぜ自死しようとしたのか

オンしか描けない。
ゆえに映画的「オフ」(心情描写)に弱い。

とも言えるのが本作だ。最大の弱点がここ。
実際マイケル・キートンが「そもそもなんで自殺願望があるのか」は(なんとなく)わかるが、


なんで自死を図ろうとしたか


はわかるようでわからないんだよな。
なぜなら「したい」と「しよう」は違うから。
(自殺)したいんだろうな、は伝わってくるんだが「実際しよう」に至る確実な描写はない。


ブロードウェイデビュー? いいじゃないか!
家族はなんやかや温かいし、いいじゃないか!
プレビュー公演ひどかった?


いいじゃないか!(面白かったじゃん!)


とも全然言えるからね。
オレにはマイケル・キートンの人生が好転しつつあるように想えるから。恵まれているでしょだって?
もちろん「慮る」ことはできる。
舞台人=認められたい、その「承認欲求」をわからないなんて決して言わないし、そこに寄り添うこともできる。が、厳密に追っていくと

うーん

とはなる。結構好きでよく使う例えだが

楽天三木谷社長や、ほりえもん
この映画を観たら「キレル」だろう



とは言えるんだよな。
オレは好き」という支持については改めて言っておくが、それはそうなんだよ。この映画の定めだ。

f:id:piloki:20211025200131j:plain


◎「無知」とはなにか

さてそこで改めて考えてみましょうよ、副題を。

バードマン
あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)


というのが正式なこの映画のタイトル。



    Ignorance
この「無知」とはなにか?




映画を観た方、どうですか。副題。
どう捉えましたかね? ——私はね、




全てひっくるめた「大きな無知」




を差している、と捉えているよ。
この映画自体「ものすごく小さな世界」を描いているのだ、とイニャリトゥは公言したように想う。


マイケル・キートン
エドワード・ノートン
ナオミ・ワッツアンドレア・ライズボローも
エマ・ストーン


「小さな世界で認められたいだけだよ」

「この映画自体、小さく無知な者達の話だよ」

「狭く、内輪の小さな話なんだよ」


とこの作品は宣言している、と私は想う。
そんな皮肉たっぷりで、自虐的自己批判的で、まさにNYコメディの王道のような映画であり、一方で「映画愛映画」と捉えた。その筋で話を追えば、



「実ははじめから、鼻を狙った」



という解釈すらできるんだけれど。
死すら認められたいがための冗談だったとね。
だが! 大切なこと。それは、それでもなお、


予期せぬ奇跡


を願う、ということなんだよ。全ては張り子のようなものだからこそ、奇跡が起こると「信じる」。

そんな祈りのような作品であること——。

この点イニャリトゥはキャリアを通し一貫してブレてない。「人間が誕生して15万年しか経ってない」という科白もあるように、突き放しつつ温かな作品に想う。私はそう解釈している。
(また良質な「映画愛映画」としてオスカー始め、各国での高評価も納得、とは言えるんだよな)



◎なぜ自死しようとしたのか II

もう少し自分の解釈を進める、と。
実は自死につながる重要なシーンがひとつある。「本当の絶望」は唯一ここではないか?
と想えるシーンがひとつだけある、ということ。
それほど素晴らしいシーン。それが、


夜の通りで、男が長科白を演説するシーン〉だ。


f:id:piloki:20211025192035j:plain

戯曲のワンシーンだろうその長ゼリフを、語る男の声が画面外から聞こえてくる。
その長ゼリはまるで彷徨うマイケル・キートンの心情を語るようだ。男は大声で演説している。
しかしふとキートンと目が合うと男は演説をやめ、


「少し大げさに演ってみたんだ・・」


と素に戻る、戻ってしまう男を画面は写す。この時のマイケル・キートン「失望」の顔と言ったら。

ここに彼自身、否定などできない同種の「なにか」を〈合わせ看た〉のもまた確実だろう。
観る我々でさえ「同じ穴のむじな」であることを痛烈に感じることとなる。つまり、人それぞれ同じような経験が人生のどこかであるはずだからだ、

「小さな世界だ」と——。

この映画のテーマ自体を暗示している素晴らしいシーンであり、この映画の最重要カットに想う。
で、その〈大げさ〉さをそれでも「捨てられない」男は殉ずるほかないのだ、ということ。しかしそれを「悲喜劇だ」と突っぱねる事が誰にできようか。



◎感想 II:ギミックなど諸々

以上、この映画の「ヘソ」を中心に書いた。
(もちろん私の想うヘソ、だが。)
むろんギミックやミーハー感にも事欠かない。


まずマイケル・キートンの決め撃ち具合。笑。

f:id:piloki:20211025192137j:plain

この「当て書き」すら越えた「ラブレター」は嬉しいよ。エドワード・ノートンもすごくいいし、この映画を観て今年の「ドライブ・マイ・カー」も思い出した(むろん他の映画も想起したけど)。
音楽のドラムもすこぶるいい。それにまさに、


「この映画はJAZZだ」


と劇伴自体が言っている。それって最高だろ。
人生のJAZZ、を描く映画にオレは弱い。


痛烈なハリウッド批判、それもマーベラス批判もクルよね。同時にアメリカの俳優や創り手は「本当にストレス貯めてんだなぁ」と感じるよ。


バードマンは果たして天使か? 悪魔か?


も味わいポイントだね。
それと「観た人それぞれ」で言えばラストだ。が!

f:id:piloki:20211025195525j:plain



「これはしゃーないのよ」


と言えよう。なんせイニャリトゥだからな!
いつだってオープンエンドで委ねるヤツだ。笑
むろん自分なりの解釈はあるが、だからなんだ、というところだし。

アンチクライマックスであり、このような作品なので「好み/わかる・わからない」は激しいだろね。
だが「論積めでどうの」と進んで幸せになる作品でもなし。壮大な「自主映画」であり、それの何が悪い? と言っている作品でもある。


ゆえにキライになんてどうしてなれるだろう。


なので、繰り返すが大前提「面白い」上でのいくつかの補足・考察感想でした。
以上、バードマンでした。

アマゾンプライムにあります。
私のように未見だった方、どうでしょうか?



____________________


私のイニャリトゥアレルギーも少し治まったしある意味、当時観ないで今観たのも善く働きました。
なので、次はレヴィナントを観ようと想います。

それでは。