わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

想像と精神:パリオリンピックの考察



パリオリンピックがおわり、ふりかえりたい。
いやとても全ては振り返れず、しかしほっとくとただ忘れるだけなので何か書いておきたい、という試み。書いて忘れたいというか。本当に「どの角度から看るか」によって無数に書き方はかわりそうだ。
今回、運営面の印象を極力「建設的」に。自分の血肉になるよう教訓や教えの方を書いていきたい。



◉開会式にその後の全てが示される
今回、確信にかわったことは「初手に全てがでる」ということだ。オリンピックでは「開会式」にそのあとの全てが暗示されるように思える。




15日前(!・・そんなもんなんだ)の自分は、開会式をこう評している。パリの開会式は——



あまりにも長かった



というのが最大のオレの感想だ。まとめれば、



冗長。あまりにも長いが
キラッと光るパートが点在する


という吉兆半ば、いやその吉兆具合は

(吉):7(兆)

という感じにオレは感じた。これが感慨だな

 


(吉):(兆)



と。オレもよく書いたな、と思うよ。
正直言うと最初ということもあり、手心加えて割合を出していた。で、実際大会全てがおわり、大会全体の印象はどうだったろう?




良い線いってんじゃないの?

3:7、いや 2:8か。




どっちにしろ4:6はありえんかな、といった処。
それがパリ大会を終わってみて、パリオリンピックという「運営」にたいするオレの総評だ。
また2週間前の自分は、こう書くことも忘れてない。引用します——

イベントは全体的に皮肉にも「フランス映画」を見るようだった。
昨今のフランス娯楽映画は往々にして言い過ぎで要素多く、まとめきれなかったり本当にそっくりだ。

 

フランス映画(最近の)にそっくりだと書いている。
結局クリエイティブってその土地に串刺された文化しか出ないということを、終わった今、再考する。

その文化圏が気づいてないものは現れず、嫌が応にもその文化圏の思想・癖・世界をどう捉えているかが刻印されるものだと考えるからだ。
だから怖いわけだが、無意識にも意識的にも、すでに、開会式がその後のこの大会を表していたようにオレには想える。

自分はボイコットしていて一切見ていないが、東京オリンピックも「その全ては開会式に出ていた」はずだと断言するよ。開会式とは、繰り返すが「気づいてないものは現れない」からこそ、怖いのだ。



◉具体的クリティカル面
気が進まないがメモ程度に書くならば、以上のことは「神は細部に宿る」という格言にも通ずる。
大会運営のクリティクスは2例だけで充分だろう。


・タンパク質のない選手村のビュッフェ
セーヌ川を泳がされるトライアスロン



中日くらいに立て続けに報道されたこの二つの件だけでもう「クリティクス終了」だ。アスリートに最も大切なタンパク質の供給を渋り、自分たちのランドマークであり、その実「どぶ川」であるセーヌ川を泳がされる選手達。

これらの破壊力はいったいなんだろうか。
極めて独善的。アスリートファーストでもない。選手達が気の毒、という慣用句をこえ、アスリートを彼らのアクセサリーにする「独善さ」こそ、この大会の裏の本質であり、気・持・ち・悪さなのだ。



◉しょうもない「ケチり」根性
選手村の件にしろ、最後話題になった「劣化したメダル」にしろ、これらは要するに「現場費をけちってる」わけでしょ。しかもそれがバレているこの感じ。


それはラソンを見たときもそうだった。


ギョッとした。
あまりにも狭い走路だったことに加え、撮影はバイクのみかつ「撮影ヘタすぎ」で中継は杜撰。それでいてこの映像は、有弁に事実を映し出していたからだ。




警備員すくな・・




明らかに人件費(撮影マン・中継の手腕含む)をケチり、警備員の数が圧倒的に足りていない。見物客と選手がぶつかりそうで危険で、マラソンを見ていて普段抱かない「ハラハラ」に襲われた。

しかもそれらが「映って世界に証明されている」ことすら、彼らはわかっていないのではなかろうか。
愚かだ・・。
また「パリ開会式の賛否」を引用させてほしい。


大がかりな開会式を見る限りこの82億ドルのうち、かなりの割合で投資されたと推測でき意地悪に言えば、そのレシート証明のような時間だった。




開会式で「こんなにかけてますよ、凄いですねーかかりますよー?」は示し、現場費は徹底的に叩く

そしてその次こそが大事だが——「その詰めも当然のように甘い」ということ。バレずにうまくやりゃあいいのに、全てがバレてるこの感じ——。メダルははがれ、選手達からは当然クレームがつく。これがまさにフランスといえばフランスなのだろう。

仏国民とパリ市民もまた、気の毒である。
なぜなら、こうしてパブリックイメージを日ごと悪くするために血税を支払ったことになるからだ。

しかしながら「見えないものは気づかない」。
そういう「世界・外部」からの視線さえ気づいていない可能性があるから、そら恐ろしいのだ。

しかしこれはフランスだけの話ではないだろう。

東京でも「スタッフ無賃=ボランティア解釈の拡大」事件は当時国内で問題になったはずだ。
運営側は往々にして「自分たちの都合で動きやすいもの」と心しないといけないだろう。見えない、あるいは見たくないものは気づかないし、気づきたくないのが人間の一つの性質だからである。



◉今回の「人の振りみて」教訓
すっかり思った方向ではなく最後は建設的に述べたいので「ではここから導ける教訓はなにか」。


・初手に全てが表れる
・見えなければ気づけない
・神は細部に宿る
・ホストとしての「独善性」
・ケチり根性



もしあなたが(いや自分が)イベントを企画したとして、あるいは参画するとして考えることは


・初手にその者の癖がでるから気をつけろ
・自分が気づけていないことが必ずあるはずだ
・ていねいに細部にこだわり
・ゲストとして想像してみること
・コストカットはするなとは言わない
 賢くやれ それと福利厚生には手を出すな!



結局はこんな「当たり前」のことの徹底でしかない。
精神性を高め、他者への想像力を忘れないことでしかない。それだってキリはない作業なのだから。


花の都パリ」という言葉がある——。
これはベル・エポックの時代の言葉である。


つまり100年以上も前の言葉であり、彼らがどうだかは知らないが、そういう古い言葉に「頼ってはいけない」ということも教えとして充分にあるだろう。
つまり我々にしても「勇ましい言葉」「気持ちのいい言葉」には気をつけよ、という事に他ならない。
オリンピックは本当に考えさせられるイベントだ。



最後はいい方向のことを書きたい。
今回スクラップの中から。ヤフコメをスクショした物である。これをもって本稿をお仕舞いにします。
私も、普段食べれないものこそ客人に出せる人でありたい、とねがう。