わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

頭痛が痛いII/メソッドの罠



表現シリーズII。もとい「頭痛が痛い」パート2。
「我想うゆえに、我あり。すなわち我、ただしい」はうーん、どうだろうか? という話をします。
が、つっこんだ、かなり難しい考察になります。
だいぶマニアックですし、(繰り返しですが)飽くまで私論です。かつ、道の途中の暫定論であり想起。
では「表現シリーズ」参ります。

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喜怒哀楽



この4つの感情「出力」(←感情表現と書くとまた解釈がブレルので感情「出力」)は人間生活において大切な発露ですよね。で、この4要素で、俳優が一番うまい出力ってなんだと想いますか?
私はダントツで







だと想うんですよ。
みなさん怒るのはたいへん「できる」。怒ると言っても多くの選択肢がありますが、とくに「キレる」。



キレるのって
めちゃくちゃうまいでしょう



「陰険にキレる」「ぶちぎれる」「いらだつ」とか、本当にできますよね。普段、どれだけ抑圧的な生活を送っているんだろうか!と日本国のありようさえ想うわけですが(!)、それくらい、アクセスしやすい感情出力が「怒」だと想うのです。

もちろん感情出力の訓練や、日頃の修行が俳優には必要で、そうでないと出力をコントロールできないわけですが、そのトピックは追々述べるとして、少しでも演技をカジリ、「開いた」人は怒がすごいわけです。即興のエチュードでシーンがよもや「怒」にさしかかると


すんごい苛烈


相手役をやりこみ、まだ足りず、怒りに忘我する——ということも起こりえます。とくに新人さん。
私は(演出家ですが)たまに演技のワークショップを受けたりして、役者の心理と道理を身をもって学ぶのですが、たまに遭遇する場面です。

傍で座って見ている私からすると「サイズがあってないな」なんて想うんですが、演ってる人は開いてとまらないのでもうキンキンくるわけです。そして演る方は真剣そのものですが、どこかつめたーい周波数を周囲(と私)は感じたりしています。

大前提として。
ベーシックな「発露」はそもそも生活上「禁止」されているので、このようなセーフネットの敷かれた稽古はものすごく大切です。こうして「喜・怒・哀・楽」の一つ一つを解放し、その感情自体に「慣れ」また自覚し伸ばしてゆくことが俳優にはとても大切な修行だと想えます。(だからこそ演技には学校もあり講師のセーフガードのもと、学んでゆくわけでね)



で! その上で、の話ね。
俳優修業に大いなる敬意をこめつつ、話を進めます。



その感情が「開いた」状態。
自分は取り出せるようになった!としましょう。
でも、申し訳ないですが



それだけでは足りない



ですよね? 当然のことですが大切なことです。
先程の例、即興エチュードのワンシーンで「怒」を出力している、それは稽古なのでいいとしましょうか。しかしながらそのパワーを操れる・コントロールできて初めて「使い物」になりますよね?
なぜなら「怒れた」からOK・ただしいのではなく、それが偶発的なアドリブ・エチュードであれ


サイズ
状況
方向


はあるからです。



その「怒」はサイズとして、
状況として、相応しいのか?
向かう先はそれで合っているのか?



これが大切だからです。
仮にエチュードであれ「役」が条件付けられていたらそれは役者本人ではないはずですよね。役者本人の生活上からくる「怒り」ではなく、その役の上での「怒り」であるはずです。が、カジリはじめの、メソッド覚えましたぁ!みたいな方は往々にして


生活上の」怒りを乗せやすい


というのが私の見立てです。
で、生活上で得た怒りはことごとくコールドな冷たい怒りが多い。ゆえに「陰険な」あるいは「キレる」出力になりやすく、またこれが大切な視点ですが、


観てる方は詰まされて気分を害す


という負担を強いられることもまた多いんですわ。
これは「頭痛が痛い I」で書いた「内向き」と原理も現象も一緒です。コールド=内向きなんですよね。


いや。いいんですよ?
これが「いじめを題材にしたストレートプレイ」であり、創り手も「胸糞系物語の金字塔を創るのだァ!」という明確な旗の下であれば、全然OKの話です、本当に。どんどん冷たい出力を積めばいい。

でももし、そうでないとしたら?

そうでないとしたら、それでも苛烈に激しく陰険な怒りをぶちまけているとしたら、それはサイズも状況も違うことになりますよね。そうなのに、


「怒れたから正解」(エッヘン!)


となるのでしょうか? というのが今回の課題です。



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メソッド演技法(=経験を演技に置き換える手法)にはこのトラップ(罠)が、実は、あります。
彼らは「真実の演技」を標榜しています。が、


怒れたから真実
涙がでたから真実
自分が哀しいから真実


となる危険性とも隣り合わせだからです。
つまり、ものすごく極端に平たく言うと
いや。あなたはそう想うかもだが・・



「うーん。サイズあってないよ?」



という、演じ手と観る側のギャップもうまれやすいわけです。しかし「でも真実だし。」なんて演技者に満足された日にはたいへんです。(って大げさに書いてます、そんな極端な人いないとは想うけど!)

指摘する方(←演出さん)もその人を説得するのに、かなり繊細な事態となるでしょう。そもそも「稽古ならいい」と言ったように、まだまだ途上であり開発段階なわけですよね。
(この辺りを切々と書いたのが「自意識と演技」シリーズです。詳しくはそちらに。話を進めます)


サイズ
状況
方向


感情の出力において、とても大切です。
戯曲や脚本があれば、なおのことです。そこにはあなたの役しか乗ってないわけではない。その物語のバランス・思惑・思想があります。あなたは役のみならず、物語のヘソを掴まなければなりません。その感情出力——「怒り」もその文脈において、あるのです。
感度高く、狙い澄まして——。サイズ・状況・方向をデザインして臨まなければならないでしょう。


この中にさきほどの課題の答えもあるはずです。


自身の生活から取りだした「怒」がどうもミスマッチなら、やはり先述の「読み込み」が甘いのでしょう。文脈をまっさらに検討し直す必要があるわけです。ホンに立ち返り、あらゆる情報を(相手の状況・動機・台本の思惑含め)今一度拾うことです。偏見なく当たれば、宝物は必ずみつかるでしょう。

一つ言ってしまえば「方向」です。
これがあなたの役の態度がホットなのか、コールドかを決める分水嶺ですよ。

たとえば「怒る」。
なんで怒るのか。どうして怒るのでしょうか。
それは——



自分の思い通りにならないから?
それとも
相手のためを想い、願うから?



まさに「方向」でしょ? 相手か、自分か。
まさにホットかコールドか決めるでしょ?
まさに怒り方もサイズもかわるでしょうに。
前回書いた「わかってあげる」装置と一緒です。
もうこれ以上はヒント出し過ぎだァ。アデュー!


いずれにせよここで相応しいサイズ状況方向の「怒」とはなにか、と考え抜くことが複雑な出力を可能とし、目の離せない、魅力的な演技につながるのだと想います。



本稿は、これにておしまいです。
書いていたら膨らんでしまい、次に廻したものがあります。なので「III」あります。それでは!







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「I」で書いた禁止ワード「感情表現」とセットです。
俳優のプロセスはきっと、感情が出力できる → コントロールする → 物語(世界)に向かう、の順序でしょうから。観客の前では「感情を見つめる」そんな「ふるさと時間」は少なければ少ないほどいいのです。早く世界に復帰しましょう


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