わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

哀悼の夏:2024

徒然哀悼



◉正しく恐がれる冒険者たち
7月末、パリオリンピックのうらでひっそりと、しかしたしかに、知る人々には波紋のように沁み広がる哀しみが訪れた。


世界的登山家であった
平出和也さんと中嶋健郎さんが亡くなった


2014年からコンビを組み(むろん違うバディを組むこともあるがこのふたりで)、2017年のシスパーレ北東壁新ルート(7611m、パキスタン)から登頂し、第26回ピオレドール賞受賞(平出は2度目の受賞)。2019年のラカポシ南壁新ルート(7788m、パキスタン)から登頂し、第28回ピオレドール賞受賞と、華々しい成果を登山界に残し、なにより素晴らしいカメラマンでもあった。

これらの登攀はBS放送でもドキュメントされ、私も知るところとなったが、彼らは入念に2度、3度と現地調査を繰り返しそののち可能性があればアタックする、そしてちゃんと引き返せもする、正しく恐がれる冒険家であったように想う。

今回も、もっとも危険とされるパキスタンK2において、その西壁ルートという人類未到ルートを「工作中」の出来事だったということだ。本登頂を2日後と目論み、ルート探索している際の滑落ということらしい。そして彼らの位置は判明しているが、とてもその体を収容できないとのこと。


無念すぎる


二つの大きな才能が氷付けとなり、K2に眠る。
前回数年前のBSのドキュメンタリーで平出さんは凍傷で足の指のほとんどを失っていた。もしかしたらその時から「ノイズ」は彼の中に広がっていたかもしれない。エクストリームな登山の道も40代では険しく進退を見極める、期限付きの道でもあったろう。ある意味、不謹慎を承知で言えば、せめて山に眠る事は本望だったかもしれない。それは社会的にではなく、本能的な望みとして。ご家族を想うとそれはあまりに不謹慎な想念だが一人の人間としての、どこかあっけない望みだったかもしれない。





◉「旬」とその期限を考える
フランス映画界重鎮アラン・ドロンさんも逝去した。国民的スターはお家騒動もセットか、まあ子供達はけっこう厄介な人々らしい。そんなアランドロンさんだがまさに


60年代のスターだった。


私は「地下室のメロディ('63)」が好きだが本当に60年代を駆け抜けた「イケメン」だった。代表作「太陽がいっぱい」が1960年であり、1970年の「ボルサリーノ」ではもう彼の人気は下火だったからだ。何が言いたいかというと、


イケメンの賞味期限


に想いを馳せたい、ということだ。
絶世の美男子俳優もその「旬」は10年。
むろんここに「演技力の幅」や「二段ロケット」が備わるとその力は続くはずだが、いずれにせよ「旬」があり、そしてそれがフィルムに焼き付き永劫残ることがなによりではないか。キアヌリーブスプラピのように20年・・いや30年持続する現代の元・美男子俳優もいるがそれはクラックであり(!)ともかくスターであった時期がある事自体が本当になによりだ。





◉年齢はただの数字である
美女俳優(?・・これは変な言葉だ)も同様であり「イケメン」的なナニカは「旬」があり、それは10年くらいのものだろうと想う。
が、むしろ30歳以降ブレイクしたジーナ・ローランズさんもこのほど亡くなってしまった。

夫、ジョンカサベテスの「フェイシズ」が1968年の作品。ジーナローランズ38歳の時の作品である。
それ以降「こわれゆく女」などカサベテス作品で鮮烈な魅力を放ちつづけ「グロリア('80)」で決定的なキャラクターを生み出した。


このとき、50歳である。

かっこよすぎるだろ


アメリカの「インディペンデント映画の父」とされるカサベテスには、このかっこよすぎるミューズあってこそ、だった。この二人もようやく天国で再会を楽しんでいることだろう。そして「常にベストを尽くすこと」と静かに私たちに語りかけるようである。合掌