わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

こわい戯曲

好き、というか演っていると(冷やかしに)覗きたくなる演目、というのが個人的にある。それが、




岸田國士の「紙風船
ベケットの「ゴドーを待ちながら



だ。
この二つの戯曲は私にとってリトマス試験紙のように重要な地位を占める戯曲である。
とつぜんながら、そんな話に軽く触れてみたい。



冒頭「冷やかしに」と書いたのは本心だ。
公演者を「試すような想い」が正直、ある。
(即ちヤな客だが、だから「冷やかし」なのよ)

で、それはなぜか? っつーと




首をひねる公演が多いから




このモンスター級の戯曲を




これっぽっちも
読解した形跡がなかったり
するから。






とくに「紙風船」。

みんな、だいすき、紙風船

気をつけなさいよ、って想うんだけどね。

気をつけてないんだな、多くの挑戦者が。

演出が——、そして何より役者自身が——。

「ああ、わかってないな」と。すぐわかる。


だから、定期的に、見たくなるんだよね。


この20数分の一幕もの。
おそらく日本近代演劇の最初のマイルストーンである岸田國士の傑作「紙風船」。
これは青空文庫にもあり、すぐ読める。だから案内もしないが、読めば、


ポップ


である。すんごくポップさ。おどろくだろう。
でね? だからこそ、油断するんだわ。
多くの演者が油断して臨みやがる。


夫「フラー建材会社のターナー支配人は一日」


から始まる、夫婦の物語。



大好きだね。




ブービートラップに充ちた、極めて良質な戯曲であり、本当に演劇のお手本である。
もっとも。「お手本だから初心者向き」などとは口が裂けてもオレは言わないが。




むろん。ゴドーもしかり。


ゴドーもあらゆるゴドーがあるが、

しかしテキストは一つだ。

そのうえ不条理ときてる。

さあどうやるんだろうな?、っていうね。

この、超絶レベル高い戯曲を。



この二つの演目は王道中の王道につき

ちがい

如実に出る、実にこわい戯曲なんだよ。
「ちがい」といっても表面を言ってない。スタイルや「自分たちっぽさ」などまだ出すなよ?って。
なぜなら「その、はるか以前に」することが山ほどあるからだ。



フラー建材会社



紙風船の冒頭にあるが、実際あるんだっての。
で、それすら調べもしない輩がいそうだから。

いそう、というか、いるから。

なんとなくやるんじゃねえぞ? というね。これらの戯曲は演じる者の理解力・表現力・地頭・手癖。それらを白日の下に晒してしまうシロモノ。
だからこわいのさ。

で、その「こわさ」すら無自覚な演者があまりにも多いように切に想う。少なくとも、ただのポップじゃないからな?とは言っておきたい。

しかし一見そうとは見えないから多くの学生演劇や新人公演などによく使われる、とくに「紙風船」。
ゆえに、だからこそ観たくなる、という倒錯した趣味の話。で。あー今回もだめだったか、とか



「あーあー。解像度低いねぇ」



などと、想念のズレを鑑賞時測るって感じかな。
それくらい、重層的・倒錯的に愉しめるわけさ。
豊かな作品だよ。皮肉を言ってない。



以上、ふとYouTubeで、とある「紙風船」を観て、ずっこけたので書いてみた。