わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

Rendezvous 5〈今までのまとめ〉

歳末如何お過ごしですか。ランデヴー通信です。
グラスゴーでの上映告知から、2ヶ月以上経ってしまった。わが短篇映画「Rendezvous」。

映画ホームページ:


あらためて振り返りをします。
今年「緊急事態宣言下」において撮り上げた作品。ここにその記録を記しました。
(というかほとんど「これさえ読んでくれ」ればいい。レアにして重要な手記です)


完成後、世界中の映画祭に出品しました。私としては「行きたい国・都市」を中心にね。


その後選出され、チェコプラハでの上映があり、英国グラスゴーでの上映がありました。
(なおグラスゴーでは、あのジョナサン・グレイザーの新作と賞を競う、という興奮もあった)

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プライズレースには引き続き参加していて、本ブログでは2ヶ月報告していませんが、それは私自身が「上映」を「至上命題」とし、上映の報せを第一に考えていたからなんですが・・まあ、ホント



コロナ



ですよ。
イチにも二にもコロナ。この映画自体が



コロナに始まり


コロナに喰らう



状況にあります。
・・・。
まさかここまで続くとは当初おもっていませんでした。あの頃を振り返り正直言うとね・・。



◎世界の映画祭状況

受賞しても上映どころか映画祭自体が「ペンディングという憂き目もあり、プラハグラスゴーでの上映のあと、なかなか上映までこぎつけていません。本来、プラハグラスゴーも「訪れたい」都市だからこそ出品したわけですが、私の映画祭探訪はまだ叶っていません・・。
プラハは外務省情報を鑑み渡航を泣く泣くとりやめ、グラスゴーは映画祭もオンラインに。)

多くの映画祭が半年以上開催を延ばしたり、それ以上多くの映画祭がオンラインになりました。
むろん彼らにとってもオンラインは初の試み。
それゆえ映画作家として自ら辞退した映画祭も正直、あります。作品を守りきれない、安易なオンライン開催に踏み切った(と思われる)映画祭は苦渋の決断で辞退した事も、実はいくつかあるのです。
うーん。このへんは本当にあってね。大前提、嬉しいんだけど複雑な感情が去来するものなのです。

それでも出品していた映画祭から、受賞の知らせが届くとむろん嬉しく、このように進めていると映画祭側から「出さない?」と(直メールで)振られたり、その都度(生真面目にも)エントリーしたりの、この半年間でした。
賞・プライズだけでも多くの賞をランデヴーは受賞しています。詳しくはこちらHPに載せています。
ぜひチェックしてみて下さい。

●ホームページ:受賞・上映状況

 

◎ニューヨーク、LA四冠

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その中から。
ニューヨークとロス、米国の二大都市で4冠を頂きました。ニューヨークでは佳作賞「Honorable Mention」にも二つ選出される結果となりました。


●ニューヨーク・ムービー・アワード
最優秀コメディ映画賞受賞
SF賞(Honorable Mention)
撮影賞(Honorable Mention)

●ニューヨークインターナショナル映画祭
最優秀5分映画賞受賞

●LAハリウッド・ゴールド・アワード
最優秀スーパーショート賞受賞

●LAアジア映画祭
最優秀撮影賞

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受賞するとこのような証書が届きます


ニューヨークでの受賞。
コメディの聖地で「最優秀コメディ映画賞」を獲れたことの意味は大きく、また誇りです。ありがとう。(この映画祭も上映無期限延期、く●ー。)
そんなニューヨークムービーアワードから、トロフィが届きました。それは私が小さい頃から大好きな、サモトラケのニケ。この名誉はトイレに飾り、これからも自分のアウトプットを鼓舞したく存じます。

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バルセロナでの監督賞

NY/LAでの受賞はもちろんのこと、映画作家として嬉しいのは最優秀監督賞の受賞でした。
これについては「Rendezvous2」でもお伝えしましたが、多くの監督にとって特別な賞です。
同時にどれだけ567が世界言語で、どれだけ(自分の行いが)世界的にも貴重だったか、ということを冷静に、客観的に感じる瞬間でもありました。むろん全ての協力に改めて謝意を伝えます。ありがとう。


バルセロナ・プラネット映画祭
最優秀監督賞受賞
https://www.barcelonaplanetfilmfestival.com/daliacute1.html

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◎レビューも頂いた

二つの映画祭からRendezvousへ、レビューを頂きました。これらもたいへん嬉しく、作家としては世界中の映画祭の審査員・シネフィルたちがこの映画をどうとらえたのか、実に参考になります。
ここにその翻訳を載せ、本稿はおしまいとします。


———おしまいの前に。


日本セクション。ホント心から通ってほしい。
みなさんに上映する日を私も心待ちにしています。それらすべては来年のまでに判明します。本当に通って欲しい。もう人事は尽くしたので、あとは加持祈祷するのみです。

そうだ、それと。

Facebook に受賞の知らせはイムリで載せています。なのでもしよければシェアして下さいね。

Facebook特設ページ
https://www.facebook.com/Rendezvous-a-Shortfilm-110040380730099


今年はこの映画を撮って、撮れて良かった。
本当に多くの決断が必要な時期、このように形に遺せたことが何より喜ばしい。みなさんに感謝を。
そんなわけで、良いお年を。では!





【映画祭レビュー】

◆ローマ・プリズム映画祭(イタリア)より
https://www.romeprismafilmawards.com/2020/10/04/rendezvous-by-hiroki-utsunomiya/



この電光石火の短編映画は、4分強の長さで、情熱、恐れ、不確実性、皮肉をすべて備えた、現在の時代の物語です。監督の宇都宮弘毅は、この短期間で複雑な物語を作り上げ、そこに魅了されています。

「ランデヴー」に深遠で感動的な映画の素晴らしさを与えるのは、言語と制作技術の両方における実験的アプローチです。実際この映画は、コロナウイルスパンデミックの困難な経験の中で、常にそれを特徴づけてきた活気に満ちた人間の活動から放たれた幽霊のような東京で、撮影されました。
健康危機の恐ろしい経験は宇都宮によって個人的に作り直され、単純な現実を克服するように親密で個人的で先見の明のあるビジョンに変換され、普遍的な価値を持つ物語になります。こうしてこの人けのない街は、お互いを愛する運命にある2人の若者が出会う、遠く離れた未来的な場所になります。

永遠の愛と、絶え間ない技術の進歩。その映画のバランスは賢く構築され、2つの矛盾した重みとなります。監督は独自の創造的な衝動で、過去と未来のコントラストの魅力的なゲームを仕掛け、1920年代の古い無声映画に触発されたこの物語を語ります。その感覚は、時空の境界が不必要で混乱し、自分自身に折りたたまれるほどの感情のコメディを目撃する感覚です。
「ランデヴー」では感情だけが重要であり、この世界は少数の愛好家にとって空のセットと化します。おそらく其所は常にあり、これら街の通りで私たちは常に「真の愛(True Love)」を探し続けてきました。

私たちを魅了し、興奮させる小さな映画の宝石。


 ◆マンスリー・インディー・アワードより
http://monthlyindieshorts.com/rendezvous-review/


オープニングシーンから、これは業界に不慣れな者の作品ではなく、まったく逆で、私たちが過ごす困難な時期に、素晴らしい最終製品を生み出す能力を持つ者と直接感じることができます。宇都宮弘毅は「ランデヴー」で、受賞歴のある映画を構成するさまざまな要素を真に理解していることを証明しました。

脚本はセリフなしで、かくも物語の構築に成功しています(最も才能のある作家にとっても不安な挑戦でしょう)。もう一つの大きな要素はこれが「軽いコメディ」であるという事実です。
これは人類が通過している最も困難な時期(微笑む方法を忘れるか、少なくとも人々がそれに対する欲求を失った時期)に起こりました。「葵うたの」と「山本一賢」双方の見事なパフォーマンスは、ボディランゲージと表情を使用して必要な感情を伝えることにおいて高いレベルのプロ意識を持っていることを証明しました。

技術的に作品の最初の数秒から、シネマトグラフィとミザンセーヌのすべての要素を組み合わせて結果を生み出す監督の能力と才能は、非常に明確です。
説明の最初の数フレームがポップアップして表示される方法は、伝説的なD.W.グリフィスによる「國民の創生」のスタイルを思い出させます。モノクロームの選択には、いくつかの意図的な含意をみます。現在のパンデミックによって今日世界中で感じられているある種の「鈍さ」(この映画が未来の物語であるにもかかわらず、前進ではなく後退している様)を示します。カメラの動きと使用するショットの種類は希望するムードに完全に適合し、監督が観客に伝えるものを翻訳する音楽は「チャーリー・チャップリン」のムードとちょっとしたモダンさが見事に調和し、本物のセンセーションを巻き起こしており、音楽の島田尚はまさに本物の「ブラボー」です。

結局のところ、宇都宮監督とそのクルーたちの多大な努力と、私達全員が生きる苦しい時期の素晴らしい結果に敬意を表するしかないのですが、この作品は、希望を今でも思い出させてくれます。
私たちが一番好きなこと、つまり素晴らしい映画を撮ることを決してあきらめてはいけません。


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