「長尺映画」はもちろん昔からありますよね。
けれどその「率」は増えているようにも思う。きっとこれは配信がマス手法になった時代的特長かもしれない。しかしながら、私の心情(信条)は、と言えば
「尺の水増し。語るべきことなき長尺は・・」
とはいつも思っています。
明らかに興業のため「尺を水増し」した、尺に対し中身が伴っていない商業映画も多く散見し、作劇、プロット、伝えたいこと、イメージ、なんでもいいが——
質に対して適性尺かどうか
はきわめて大事な尺度だと思うからです。
今「午前十時の映画祭」で掛かっている「七人の侍」(3時間27分)などは、こりゃ掛かるわ、掛けてこそ相応しい・・と舌を3重巻きせざるを得ず、一方で同じく不朽の名作でも「風と共に去りぬ」(3時間42分)は第2部を覚えている人は少なかったりします。それは後半が暗く閉じてゆく物語のためでしょう(舌は3重巻きではあるが)。
で、個人的には「Less than More」。圧縮して密度が増えているほど「良質だな」と思う事が多い。
今の時代むしろ、80分台・90分台というだけでその作品に「おっ?」と加点したい処さえ個人的にはあります。もちろん90分でも「これ、60分でいい内容よね」などもありキリがないのですが。
先日見た「ワンバトルアフターアナザー」が2時間50分。
「国宝」が2時間55分、「宝島」が3時間11分。
国宝と宝島の感想はここには載せていないので「3時間映画」というくくりでレビューします。
(日本映画は「気を遣う」のであまり載せてなかったりする、このアンビバレントな気持ちも理解してくれい。苦笑)
以下敬称略です。それではいきましょう!

◉ワンバトル・アフター・アナザー
こちらは先日レビューしたので割愛します。

◉「国宝」の感想
夏、たいへん話題になった作品です。
7月下旬「話題になって久しい・・では行くか!」と観にいきました。その感想です。
もう3週目は回っていたでしょうか、レイトショーでも充分混んでて「そうだ夏休みなのだった・・」と思いつつ、カップルや女性客にまじり観たわけです。
170分・・この長尺というセクションは映画館を外すと配信などでは自分は(生活の重力に負けて)気が散り挫折するだろう、とも考えるわけです。長尺は映画館に缶詰が正解だ、とね。さて感想は!
これが流行・ヒットしてる、ってのは
いいことだよな・・
というのが率直な感想でした。映画的な映画という印象で悪くない現象だなあと。
で、まず企画力というかキャスティングの勝利ですよね。今が旬の横浜流星と吉沢亮の両氏。キャストの勝利がやはり大きい。内容では
「話は叙事詩なんだ」
と思いました。
年をまたぎ半生を点描してゆく叙事詩スタイル。
ゆえにどこか日本映画っぽくないものを感じ、撮影はなるほど海外の撮影監督の手によるもの。初めの長崎のフレームとカッティングは(日本映画っぽくなく)かなりリッチだと感じました。
叙事詩スタイルは難点として「ダイジェストになりやすい」という点がありますが、この作品もそこは正直見受けられます。あと日本映画っぽくないとは言ったものの、私にはどこか「五社英雄っぽいなー」とは感じていましたね(←この感じわかる? わかる人いると嬉しい)。
半次郎(渡辺謙)の代役で「曾根崎心中」を演じるキクオ(吉沢亮)。前半のクライマックスであり終盤との合わせ鏡ですが、吉沢亮、素晴らしく見事でした。むろん横浜流星も良くホント旬の二人を堪能。
「オレにはこんな生き方できねえな
救急車、用意しておけ」
が一番好きなセリフでした。
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さて。ここからはこのブログのことですから。
もっと内面の、突っ込んだ事を記しますね。
で、さっきの「ダイジェスト」の話なんですが、やはりね、この映画は難所があるんですよ。それが
1989年
ですよ。半弥(横浜流星)と入れ替わるように落ちた三代目半次郎(吉沢亮)が
「なぜ復帰できたのか」
ここが薄いんですよ。一番重要なんだがチョー薄い。
病床の田中泯の前で「踊ってみせろ」で扇子渡すだけで踊らないのも消化不良。この1989が超弱い。
そのあとは延長線上のエピローグみたいなものでありプロット的起伏はあまりなく、国宝認定も「そうなんですねー」と割とひいて眺めていました。
それと瀧内公美ですよ。
「レイヴンズ」も佳く飽くまで役の話ね? なんか折角の話に「都合」が入ったなー、と思いました。
語らせるセリフもチープで、彼女自体重めのメソッド系アクトを選択する人だから、なんかこのシーン余計だなー、いらねーなぁと思ってしまった、ということです。だって要するに、半次郞の半生に免罪符を与えるためだけに出てきた役、ってことでしょ?
で、それ要るんですか。
キクオ半次郞は徹底して
舞台に魂を売った男じゃ
なにがいけないの。
ということです。
原作通りなのかも、ですがこの点にメジャー作としての腰が引けた感を感じた、ということです。
徹底したピカレスクで全然よかったのに。
「血縁と才能」。
才能は囲われないと発揮しがたく、血縁は血縁。ほんとこの二つは永遠のテーマでしょう。
またこの映画のヒットは「メロ・ソープドラマ」である点もかなり大きく、才能と世襲、友情と亀裂、ヒロインが二人の間に入ることまでソープドラマのクラシックであり、原作の吉田修一は確実に狙っている、と感じました。
歌舞伎シーンを切れたらもっと短尺になったんでしょうけど、まあ編集切れなかったんだろうな・・とは感じました。観にいってよかったです。

◉「宝島」の感想
今年の邦画大作として「国宝」と「宝島」はよく比較されるようです。私が観に行ったのは10月中旬。
「国宝」同様に「長尺・・。長尺は映画館に缶詰にかぎる(そうでないと触れないかもしれぬ)・・」という意思の元、観に行きました。
10月中旬ではもう2週は回っていて、実は、レビューもそれなりに出回っていて評判が芳しくないのを知っての敢えての鑑賞でした。実際観ないことには自分がどう思うかなどわからないからです。
それと「国宝」もそうですが、とくにこの「宝島」はあらすじからワクワクする叙事詩を以前より感じていました。ドストライク王道です。私はセルジオレオーネを敬愛しているので「日本についにワンスアポン・ア・タイム・イン・ジャパンが生まれるのか」という期待もあり構えました。そうして観に行ったわけです。感想は——!
「な、長ェ・・」
申し訳ないが、こうおもわざるを得なかったです。
長ェ!
この物語は完全に戦後沖縄史であり、それをこの規模で、しかも2025年の今提示した意義は大きい。
意義は大きい
フォントも大きくして2回言いましたが、意義しかない映画です。抑圧された沖縄の姿は改めて勉強になりました。が、映画って
意義だけでは保たない
ということも残念ながらこの映画は語っていると想いました。どういうことか?
意義を排除・オミットした場合。プロット・作劇だけを抽出したらもうしわけないが、
2時間でことたりる
いや。90分でいけるはずだ
それがこの「宝島」です。
今「意義」は排除して言っています。語るべき事のプロットだけを抽出すれば、まあお粗末ですよ。
じゃ、核心部「それ」を語りますよ。
この映画の最大のプロット「それ」ね。
まず「それ」の瞬間の話。
カテナの中に同時に潜入してたって事? ですか?
かたや物品強奪、かたや出産で? えええ!?
あと、なんなんですか、あの「島」は?
観た人わかりました? で、ありえると思う?
でね? OKいいよ、でも、それならそうとウ●君よ
「チミはもっと早く言え。
言うタイミングしかないだろ、この映画自体!」
要するに言っちゃうが、「3時間かけて雑なプロット見せられた」ってことなんですよ。
——これは堪える・・・ガックシ・・。
むろん! ガックシの可能性も担保しつつ観に行き、そしてしかと見届けたわけですが、これもまた長尺映画の味わいなのです。
「宝島」を観て強い感動を得た方々の感想を邪魔するものではございません。私にとってはガックシだった、ということです。
以上、宝島の簡単レビューでした。
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さて。そんなこんなの3時間映画特集でした。
11月6日まで「七人の侍4K」が映画館にかかってますね。観に行けっかなー・・気分載せていくか!
それでは!

もうすでに強い一枚画