わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

なんの対決でだれが敗北したのか

ざっくばらんに徒然。


高市政権が誕生する
自民党総裁選によって高市早苗氏が総裁となり、よって首相として高市内閣が誕生する。


さて。みなさんはどう思いましたか


前ブログで書いたとおり「小泉氏にだけは入れてほしくない」というのが私の考えであり、本当に小泉内閣になったら「日本詰む」と思ってたのでホッとしています。むしろ


小泉進次郎 145
高市早苗  149


この決選投票の数字。この期に及んで145票も小泉氏にいれる気持ちが正直、私にはわからない。
むろん直接貸し借りのある人、直接の恩義や友情関係もおありでしょう。しかしそれ以外にもし「なんとなく」「イケメン」「若い力」とか人気や風貌で判断する議員がいたのならもう論外すぎるでしょう。ジアタマを疑う。だってリアルタイムで数分の「演説比較」ができる機会すらあってコレなんだから。


たしかに小泉氏は一度もカンペを見なかったよ。
今回はね?


——だが内容は「思い出話」だけじゃない? それ以外見事に何もなかった、と言えるはずです。
カンペを必要とするような具のある演説だったか? そういう処でも勝敗は自ずと決まっていました。


◉一定数いる「候補者」
むしろそんな「思い出話」「感情系」だけで通用すると思う方がどうかしてると思うんですよね。
学年の生徒会選挙会社内のリーダー選抜選挙でもなんでもいいんですが、一定数いませんでしたか?


「なんかこの人の言ってること、具がねえなあ」
「これで通ろうとしてるのかな?」


と思う候補者が。いませんでしたか、身の回りに。
私はそういう人間にうるさいです。笑
端的に言って「そもそも、手法として古い」「人をなめすぎ」と思っちゃうんですよね。「時代はアップデートしてゆくものだ」という謙虚さがないんですよ、そういう思惑には。だから、繰り返しですが「その145票がわからない」のです。

むろん「うちの派閥は入れる人決まってるからー」もあるでしょうが、それならいよいよ「日本が詰む」という事が「わからない、という事が既に終わってる」のでその方が重病的に論外ですしね。

総裁に高市早苗氏がなったのは、自民党内にも一縷の良心があった、ということなのでしょう。
だって候補者5人を見渡しても「高市 vs 高市以外」だったわけですから。それをうっちゃったというのはある意味歴史的転換でもあるでしょう。高市以外、というのはとくに財政面です。


積極財政 vs 緊縮財政



高市さん以外は緊縮財政。すなわち岸田・石破と顔は変わろうが、やることは一緒。というメッセージが立候補の所信表明であきらかだったことでした。今回の選挙の結局の争点・ヘソもここでしょう。


はたして財務省を味方にして財政を発動できるか?


これこそが高市政権の命運を決めることは言うまでもありませんし、外交では対米5500億ドルの件、他も前途多難ですが頑張ってもらいましょう。


ナショナリズムグローバリズム
世界で今一体何が行われているのか? それは


ナショナリズムグローバリズムの戦争


であると言えるでしょう。あえて「戦争」という強い言葉を選びましたが、世界中で勃発している戦争だと言えます。さきほど「みなさんはどう思いましたか」としたのは、こう捉えている人間とそうでない人間とでリテラシー/捉え方がまるで違う・変わると思うからです。

歴史の流れからして、90年代初頭に冷戦体制がおわり、ウィンドウズの登場、ワールドワイドウェブの発展を経て、00年代の世界はデジタルへの移行、10年代におけるその強化(スマホなど含め)、そうして今があります。今はいかに国という国の税金を逃れ巨大化するか、という多国籍企業の時代であり彼らはAIにシフトしている。この30年の激動さ。

情報は新聞を待たずに届けられ、情報格差という言葉がうまれ、同時にエコーチェンバーもある中様々な分断もあるが、一括りにすれば「ナショナリズムグローバリズム」の対決です。トランプはアメリカのナショナリストでありグローバリスト勢力への抵抗、と捉えられ、その意味で言って高市さんも同様に日本のナショナリストがその国のトップになった、ということです。これらは不思議な現象でもなんでもなく、時代の要請と言えるでしょう。


◉マスメディアの敗北
高市早苗さんが総裁になったことは、メディアの分岐点であることもまざまざと証明しました。
高市 vs 高市以外」はメディアでも明らかで、テレビ・新聞はこぞって「小泉候補」にゲタを履かせていました。いや、そう認めるべきです。高市氏はアウェイ戦を戦っていたと言い切っていい。

一方で古来の「規制・忖度」の薄いSNS・ユーチューブではむしろ「小泉擁護」のチャンネルを探す方が私は困難でした。それはエコーチェンバーを抜きにして、です。アルゴリズムの偏向を無視して「小泉 応援」などで検索してみた処でなかなか少なく、かつ成熟したチャンネルもなかった。

登録者数100万人オーバーで言えば「PIVOT」が暗に小泉氏推しに傾倒していた、と言えるが(結果をみて更新していたが)、全体を通し明らかに高市氏寄りが多かったのがそれらネットメディアだった。

このことは象徴的事案です。結局ここに気付かず、あるいは知ってても「なめて」3連敗したんでしょ、自民党って。(だから繰り返すんですよ「145票がわからん」と。笑)


それにこれは旧年の「カマラハリス vs トランプ」と全く符合します。
全米TVネットワーク、ABCPBSも総力をあげて「ハリス」支持を施し「ハリスとトランプ、いい勝負か・・」と見せかけました。結果トランプの圧勝だった、去年の大統領選挙を思い出して頂きたい。

「オールドメディア」という単語自体はなんか「時運とプラットフォームに迎合した」言葉で好きではないですが、そう肯ける理由も確かにあり、プラットフォームの世代交代を完全に物語っているのが今回であり、まさに2025という数字なのです。


だって今、そこの電車内を見てごらん、ですよね。
誰がテレビをみている? 誰が新聞を見ている——
7人掛けシートの7人ともが見てるのが



スマホ



じゃないですか。当然の、その眼前の事実として。
べつに今にはじまってなく新しくもなんともないことですが、その新しさもなんにもない「事実」が、いよいよ世論なのだ、という証明が今回、まさに行われた、と言い換えることが出来るはずです。
ヘタするとテレビより視聴率高いのが「トレインチャンネル」かもしれず(笑)、手垢にまみれ新しいことでもなんでもないがしかし、こう歌わざるをえないのですよ——



茶の間は昔になりにけり


茶の間は昔になりにけり


ああ


茶の間は昔になりにけり






マスメディア完全敗北の2025年でした。
その意味を深く考えるのにいい時間だと思う。
では!