たとえばフランク・キャプラの「素晴らしき哉、人生」のように。
あーだこうだ批評することなどどうでもよくなり、むしろそんな行為が小さく感じ、吹っ飛んで幸福感に包まれる映画。 そんな貴重な映画が、数少ないけどこの世には存在する。
市川崑監督作品「幸福」(1981)は、そんな貴重な映画の一つだった。
この作品は公開以降、一度もソフト化されておらず、09年に初めてDVD化された作品だった。
カリスマシリーズ・金田一耕助をようやくアメリカに旅立たせ、山口百恵の引退作を撮り終え、市川崑監督のライフワークであった大作「細雪」完成前夜の1981年。 この作品は作られた。
市川作品後期のボリュームゾーンだ。
水谷豊を主演に添え、エド・マクベインのミステリーを原作にした、自身10数年ぶりの現代劇。
市川監督自体、かなりハードなミステリーファンであることは有名な話だ。 俳優陣もすごい。
草笛光子、佐々木すみ江、三條美紀、市原悦子。 小林昭二に、常田富士男、辻萬長!
まるで金田一クロニクルじゃないか! 当然、長谷川清の撮影に村木忍の美術!!
こ、これは・・・「き、期待でき過ぎる」!! これが鑑賞前の僕の脳みその内訳だった。
そっち側での幸福感。 つまり、金田一ファンへの幸福感もこの作品には充ち満ちている。
まるで「病院坂」に続く6作目の正統作だ、とさえ錯覚する。 それも現代劇で非常にコンパクトな。
この「存在しない新作を観た感」はたまらない。 この映画のファーストショットは中原理恵のアップから始まるが、それは市川・長谷川コンビお得意の「ガラス反射ショット」だ。
もう、この時点で金田一ファンは弛緩する。 ああ、幸せだ、ああ、もう好きにして、と。
そしてその造形技術はネクストレベル。 この映画一枚一枚の画すべてが極まっている。本当さ。
市川崑の真骨頂は「炎上」や「股旅」を引合いに出すまでもなく、こういったスモールな映画に宿る。
彼のやりたいことが、小品では露骨に組み込まれるからだ。 その上、出演者数を数えればわかることだが、たとえ軽い小品でもスケールはどんどん高まっている。 「細雪」までの市川崑は実に地道でストレートな成長曲線を描き、ピークを迎える。 それがわかるのも、この「幸福」なのだ。
というような。
以上が、僕の無粋な鼻息なんだけど、作品それ自体は、もう、素晴らしいのです。
東京下町の古書店で起きた無差別殺人の犯人捜しを面において、テーマは「親と子の絆」。
その親子の関係を登場人物の違いで多角的に見せてゆく。
事件を追う、水谷豊演じる刑事も姉弟の父で、奥さんに逃げられてひと月が経っている。
その男やもめの描写が素敵で、次第に映画の中心となってゆく。 というより、ミステリー自体は市原悦子の超絶メソッドを頂点として収束していき、この親子の行く末にスポットが絞られる。
その家族描写の幸福感。 子供の愚図りも丁寧に描き、父である刑事も聖者とは描かない。
子供たちは、父も母のように出て行ってしまうのではないか、と幼くも心配する。
クライマックス、犯人を追うために家を離れる刑事は二人の子供を抱き寄せ、こうむせぶ。
「見捨てないよぉ、オレ・・・・・・親だよ・・・」、と。
うわー。 泣ける。 ・・・・・・。 ・・・・・・。 あー、いい・・・。
読んでる方はなんのこっちゃだろうけど。 この「オレ」って言葉もいいのよ。最高なのです。
この瞬間、ぶっ飛ぶのだ。 そのラブ深さに、「映画っていいな」と批評などどうでもよくなる。
この映画は、親子3人のレストランでのひとときで幕がおりる。
僕は唯一、このラストだけが気掛かりだった。 なぜ奥さんの元を訪れないのだろうか、と。
「この事件がおわったら、母さんのいる新潟に行ってみようと思う」
と終盤、水谷豊は子供たちに言うのだが、それを達成しない前段階でこの物語は終わる。
他の監督なら、きっと新潟で幕だ。 遠く、奥さんのシルエット。 歩き出す水谷豊。 のような。
奥さん選びの楽しみもあったはずだ。 大原麗子か? いやココは一発、坂口良子だろう、とか。
しかしそうではない。 あくまで親子3人。 もちろん悪くない。が、なぜ描かなかったのか。
このラストがこの映画最大の謎だと思っていた。
しかし、そうか、と後々考えをあらためた。
奥さんを最後まで出さなかった理由に和田夏十の存在がある、と僕は推理する。
市川崑最愛の妻であり脚本家、和田夏十。
彼女は2年後の83年、「細雪」の完成を待たずに他界する。
市川崑が親子3人でこの物語を絞めたのは、和田夏十の死期が近い事に対する、彼自身の意思表明だったのではないか、と思い直したのだ。 そう考えた後のこのラストは、味わいが違う。
それに市川崑は「姉と弟」という題材に、強いこだわりがある。
「おとうと」でもそうだったし、なにより、彼自身が姉のいる、弟だからだ。
だからこそこの映画の丹念な描写がある。この映画はとてもプライベートで、愛に満ちた映画なのだ。