わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

マイ柔道家認定+JUDOエリア論

今回のパリオリンピック、柔道。
ようやく心がおちついて来たので少し書く。



◉何日か寝かせて丁度いい
今回、8年振りに柔道をみたわけだが、まあ毎日「おもうこと」ばかりでとても疲れた。
この疲れはいい疲れと悪い疲れで、どっちにしろクタクタ。それにこういう案件は2,3日浸け置きして「抜けた」頃何か言うに限る。し、そもそもスポーツとは賞味期限が浅く、実際終えて3日しか経っていないが皆どうだろう。自分の心に残っているのはなんだろうか。そう問いたくもなる。
よってこれは忘れたくないこと。あるいは、それでも心に残ることを中心にお贈りする。参ります!



◉マイ柔道家認定と寸評
ホント、もう書きたいことしか書きたくないので、私が好きな、今回「マイ・柔道家」認定となった方々を紹介する! オレ柔道家連盟(OJR)でこのほど柔道「選手」から柔道家になった方々である!



「オレ柔道家連盟賞
(OJRP)
を発表する!」





■オレ柔道家連盟大賞受賞


 厳正なる審査の結果
 このほど3名が選出されました
 おめでとうございます!




角田夏実 道家
今大会は彼女から始まった。もう「佇まいだけで一本」であるがその巴投げの切れ味は、その後大会中発生する夥しい数の「逃げの巴投げ」を見るにつけ、本物としての輝きをより高め「角田ロス」を全国に巻き起こした(個人比)。団体戦では「決勝のみの出場」かつ「2階級違いに巴で勝つ」という、出現率激レアにしてクールすぎる伝説の柔道家である(OJR)





高山莉加 道家
階級での3位決定戦で見せた、彼女の表情が忘れられない。試合に臨む刹那で見せた鬼気迫るわずか数秒の表情は国宝級の阿修羅であり、また透き通る菩薩のようだった。試合は負けてしまうのだがオレはその表情にハッとしこの方の名が心に深く刻まれた。
そうした想いから引き摺るように見た、団体戦決勝での彼女——。20キロという体重差(仏ディッコは超級、実質85キロ超である)その絶望の中、ひたすら耐えるその人はまさに阿修羅であり菩薩そのものだった。それだけでも有り難く人知を越え泣けるわけだが、足払いほぼ一本の、技ありを決める。
あの起死回生から実は地獄の残り時間があったことは、もうみなの記憶から薄れていることだろう。

しかしこの大会中悪の権化と化した「審判団」でさえ、この試合をこれ以降壊すことはなかった。それは彼らにも一分の魂があり、その彼らでさえ「菩薩とは何か」を間近でみてしまったからではなかろうか。それほどまでに神々しい伝説と呼ぶに相応しい一戦。
もうこの一戦に立ち会えただけで充分すぎ、感謝しなければならない。間違いなく伝説の柔道家である。本当におめでとう、高山さん(OJR)




穴井隆将 道家
今大会裏のMVPは、穴井隆将さんの解説なのではないかと感じる。とくに選手が負けた際のフォローは光り輝き素晴らしく、一言一句が染み渡るように伝わってくる名コメントを何度も披露した。それは、彼自身が同じ境遇と感情を知り抜いているからだろう。現日本団長鈴木桂治が居たため後塵を拝し、やっと掴んだロンドンで彼は2回戦敗退を喫している。その実体験とそれを越えてきた今があるからこそ、我々に示される言葉が澄み渡っているのだ。

今回OJR(←私設団体。笑)で殿堂「柔道家」認定されたのには、他にも理由がある。超強豪・天理大学で指導する穴井さんだが、今年現役復帰を果たしているからだ。その理由も「学生と子供達にちゃんと示したいから」と清々しく美しい。こうした求道者が優しく厳しく現役選手を支えている。下のYouTube報道、ステキすぎなので薦める(OJR)

www.youtube.com




■OJR審査員特別賞


 このほど審査員特別賞には
 以下3名が受賞しました
 おめでとうございます!

 

 



尾三四郎 選手
選手じゃなく「柔道家」だろ!と突っ込まないで頂きたい。彼は充分「一本」でありほぼ柔道家だ(?)。しかしまだ「選手」とさせてくれ。彼の素晴らしさは彼の柔道もそうだが、OJRとしては言葉を重視した。一つ一つ確かめるように、荒ぶる事なく試合後インタビューを受けるその姿勢。これは簡単な事ではなく、大いに心に残った。これからも魅せてほしい、という願いを込めての特別賞である。おめでとう!(OJR)




永瀬貴規 選手
金獲って「選手」かよ! それも連覇だぞ? 彼こそ「柔道家」だろ!とお叱りごもっとも。最も上手く最も華麗なその柔道は、決勝戦ですら大人とコドモくらいの実力差を示し、名手であることを疑いようもなく示した。逆に言えば彼も「さらに熟せばとんでもない『柔道家』いや『仙人』になりそう」という、前人未踏「仙人」の高みのための、敢えての特別賞である。おめでとう!(OJR)




新添左季 選手
消え入るような、自己肯定感のうすいような、その佇まいは大いにヤキモキさせられ、また応援した。代表になるだけで充分すぎるほど立派であり、尊敬の念が絶えない。どうしたら彼女を笑わせられるだろうと真剣に考える日々(?)は中々の想い出であり、そう心に刻まれた選手だった。混合での勝利とメダル、おめでとう!(OJR)




以上表彰式をおわる!
パチパチパチ。おめでとう、おめでとう!


最後は備忘録というか、エリア論を記す。





◉JUDO:砂漠地帯の哀しみ
柔道か、JUDOか——。よく日本では議論されるこのトピックについて今回想ったことを書きます。
私が注目したのは試合の後の「道場に礼」である。退場する前、階段を降りる前最後の礼のことだ。


中央アジアグルジア勢、
全滅である


彼らがこの最後の礼をした例しがない。
欧州諸国にはギリ形だけでも見受けるのだが、本当にグルジアジョージアアゼルバイジャンカザフスタンの選手にこのプロセスを見ることはなかった。


勝てばいいのか
負けたらそれでおしまいか?
JUDOってなんだよ


と当初イライラしたのだが、そのうち考えを改めた。なぜなら10戦中10戦なのでもはや、



教わってない



可能性があるからだ。彼ら中央アジアグルジアジョージア)はこの礼を教わってないな、と。
同時にしかし、教わったところで「根付いていない」ということを想ったのだ。それは彼らが



砂漠の民である



からだ。花を植えても枯れるような乾燥地帯。そもそも肥料の前にまず水すら足りない砂漠地帯。
彼らは四季があるような豊かな土壌に育ってはいない。この点は充分考慮しなくてはならない。

人間には地理的気候がもたらす性格がある、とオレは考える。だからそんな彼らに「うわべ」だけの型を教えたところで根付かないのではないか。日本のような、豊かな土壌で育まれた「意味(=礼儀)」を押しつけてもしかたないではないか、と考え直したのだ。スポーツも生もの。地域によって形をかえてゆくものだからである。

柔道を浸透させたいのなら、このエリアに日本から指導者が出向いてほしいが、そこまでのガッツはあるだろうか。JUDOは先日の投稿でも書いたように本部はスイスにあり日本には60年以上ないのだ。もし礼儀を徹底させたいなら、ロビー活動ならびにアクションをするしかないが結局は(オレを含め)外野でやいのやいの言うだけで、外交活動をしないし、そもそもそういう外交って、苦手なんだろ?
そういう複雑系を鑑みながら、根性論に振り切ることなく、日本もさらに冷静にJUDOをものにしてほしい、と感じる今日この頃である。

大会前はこの三国(ジョージア、カザフ、アゼルバイジャン)に出向いて合同合宿してほしいね。型の違い、JUDOの違いを吸収できる。彼ら難敵との交流は日本としても大いに勉強になることだろう。



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以上、総力特集でした。
総論としては「愉しませてもらいました」。
そりゃ、そう。そう以外無い。
謙虚にいきたいものです。では!