こんなことがあるのか———。
ドイツ戦後、率直にそう感じた。
すごい試合だった。
日本語の「すごい」とは良し悪しを越えた最上級の言葉として使われるものだと想うが、まさにドイツ戦がそうだった。
とにかくすごい試合。
もうこの試合は自分がどうこう言わずともいくらでもこれから検証されるだろうし、観た人それぞれのもの(なにより選手達のもの)だから、ことさらなにか足せようものもない。
ないのだが、やはり自分として書いておきたい。
が、この試合を形容することはむずかしい。なのですごく抽象的に語ろうと想う。
「魂のシリンダー」
オレにはこの試合が、亜空間に浮かぶ、大きなおおきなシリンダー錠のようにみえる。
その巨大な円筒のシリンダーはひたすらに長く、鉄のように固くもあり綿のように柔らかい。
そんな得体の知れぬ物体が空間に浮かんでいる。その全景は見える部分だけでも4年の歳月がかかり、果てはどうやら30年移動しないと辿り着かない。
そんな大きな大きな、これは「カギ」らしい。
その「もの」が浮かぶは宇宙なのか4次元なのか、暗く、これまた異次元空間のようだ。
そこにはじつに多くの世界線が重なるようにして存在している。見れば消え、目を逸らせばまた違う世界線が「現実」として現れる——。
そんな亜空間で、電波にのった音がする。
「ドイツ! スペインと同組!
日本は死の組に入りました!」
ガチャリ。
亜空間のシリンダーからなにか小さな音がする。
はるか遠くでハウリングを起こす無数の電波。
「ショートコーナー! 入ってしまったーー!」
「駒野! はずしたーーーー!」
「ロナウド! 4点目が入ってしまったーー!」
「ルカク! スルーしたーーー!」
亜空間のシリンダーは果てが見えない。
その果ては重力のいかれたダークマターがのみ込み、いくつもの「ありえただろう」世界線がいびつに歪んでは時の墓場に留め置かれている。夥しい数の閃光が火花のように光っては、儚く消えてゆく。
しかしそれは生命の花火のようにうつくしい。
ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュン
巨大なシリンダー内部が高速で回転する音がする。
ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュン!
「前半は0−1です!
西野さん、いかがですか」
シリンダーは轟音を響かせ、その亜空間はあらゆる世界線を「仮想現実」として映しだしている。しかしそれらの多くは恐怖と虚無に満ちた世界線を指し示し、シリンダーの上空ではあらゆる数値という数値が、想念という想念が、アカシックレコードに記録されてゆく——。
「久保、のようですね。
後半、久保にかえて富安です!」
ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュン
「おっとぉ!長友、前田にかえ、
三苫と浅野が入ります!」
ガチャリ。
シリンダーから閃光が走る。
なおも高速に回るシリンダー。世界線は変わらず虚無に充ちた「仮想現実」を投影していた。が、辺りは真空の磁場が歪みだし、その周りを無数の亡霊が舞いだしている。
「71分。田中に代えて堂安です!」
ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュン!
「74分。酒井に代えて南野が入ります!」
ガチャリ。
シリンダーからどこか決定的な音がした。
一瞬、そのカギは光ったようにみえると、カオスが一面に広がった。
見わたすと「世界線」は重なり合いながらも、たしかにひとつの「現実」を映し出している。
光り輝くなにかと、歓声の波動が亜空間を包んだ。
静寂。
亜空間は恐ろしいほどの静寂。
またふたたび動き出すシリンダー内部。
もう遠くなるそれらを見送ると、オレも、そしてきっと皆さんも、この世に戻ってきたのだ。