わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

ドイツ戦前記/重ね合わせの修羅



あと数時間すればドイツ戦である。


楽しみだ、たのしみすぎる。



で、今、そういった戦前の中、これは貴重だから今の気分を書いておこうと思う。


というのも、





どうしても期待している自分も認めるから。





ドイツがやべーこと。


つえーことがわかっている。



日本の弱点も重々わかっている。



それなのに「ワンチャンあるんじゃね?」という、





この期待。






この、どこからか湧いてくる




そわそわとしたナニカは如何ともしがたい。





つまりオレはなにを言いたいのか?





意地悪なことを同時に想うんだよ。








80年前の日本も同じだったのではないか、と。








1941年。アメリカとの戦争に向かった日本。


勝てるんじゃね? いけんじゃね?


と。


スポーツと戦争ではまるでスケールはちがう。


が。




この根拠なき「ワンチャンいける」はしぶとい。




しぶとく、そして留意すべき感情だ。




期待というものはかくも厄介だ。








どんな営みにもあるとおもう。




マージャンしてて。笑


ボーリングしてて。笑




「オーラス、ヤクマンでまくるっしょ」



「さいご、ターキーだして勝つっしょ」






未来のこと。



すべての未来は、



不確かだ。



それだけは確かだが(ん?)、だからこそ





量子論的重ね合わせ





のような、0と1が重なるような



勝ちと負けが合わさっている今の状況は





貴重すぎて





記すことにした。





D組まで。今日までの数試合で


対戦した各国が0か1かが判明した。


みな一様に、重ね合わせの修羅を越え、


事実として、刻まれてゆく。




もう数時間したら、事実として


日本とドイツの戦いの結果も刻まれる。






今はシュレディンガーの箱の前で





そわそわしているのだ




さあ どっちだ。





猫はしんだか? いきているのか?







時間がくれば、


すべては 白日の下 明らかになる。


今はこの修羅を


味わう他がない。







たのしみすぎる