わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

トップガン:マーヴェリック

映画『トップガン マーヴェリック』公式サイト

トップガン:マーヴェリック」を観た。
これは書こうと思った。そう思わせる映画だった。

ちなみにネタバレしてゆくので、これから観たいヒトはどうぞすっ飛ばして下さい。


●異例と言える大ヒット
私が観たのはもう封切りから3週間が経とうとしている昨日だ。異例の、と付けていいと思うが、評判が評判を呼ぶロングランのヒット。シネプレックスで3週目でも大きな箱で観ることができた。

なぜヒットしているのだろうか。
それも「底」から湧くようなヒットだ。

お祭り映画だからってヒットするか? と言えば、それはわからない。往年の続編としてのトーンとマナーが問われるのが、まず一つあるだろう。
ファンの望むことをどう叶えるか、ということ。


●トーン&マナー、ガジェット
ガジェット/機械に湧くというのは「重要にして低次元」ではないか、と私は日頃から考えている。
むろん「ブレードランナー2049」で空飛ぶパトカー「スピナー44」が登場したときはグッときたし、新SWでミレニアムファルコン号が飛ぶだけでこれもグッとこないと嘘だろう。
ーーしかしこのような「ガジェット」萌え


これはもう、基本線。でしかない。
当然必要とされるマナーなだけ、と考える。
これだけでは充分ではない。


トップガン:マーヴェリック」にももちろんそれらはある。マーヴェリックはよく整備された前作登場のカワサキZ900Rにまがたり、レイバンアビエイターを掛け、最後には●-●●:●●●●●●すら登場する。これらは当然萌え、また出し方もわきまえている。まさにマナーが備わっている。

トーンも忘れていない。

それが色濃く出るのが酒場のシーンであり、海岸のアメフトシーンだ。
そのホモソーシャル感。
そのコカ・コーラ」感!
その、上半身イイ体感!
(ちなみにオレは「ペン回し」がいつ出るか待ち望んだが、新たなペン回しはなかった!シット!)

ストーリー的にも「エリートの挫折」は不可欠だがこれは何周もして・・あとで書こうと思う。


●登場人物というマナー
当然「人物」というガジェット・・というと失礼だが人物の設定にも細心の注意とマナーが払われる。
アイスマンヴァルキルマーや、グースの忘れ形見ルースターが登場し彼との人間模様を中心に置く。
人物で言えば、エドハリス・・というライトスタッフ/アポロ13といったアメリカンオーセンティックをちらつかせる重しを置きつつ、トムの御相手は「誰もが大好き」80sから今まで前線をキープするジェニファーコネリーだ。

この二人の配役は「新規」ではあるが、きっちりと80sから続くトーンマナーを心憎いまでに演出している。本当に心憎いまでに。

(ちなみにケリーマクギリスとメグライアンの登壇はなかった。これはトムのことだから絶対オファーしたはずだ。が、きっと断られている。アーカイブのみの出演となった。あ。観てないヒトごめんね。もう3週目を越えたしいいね? 話を進める)


●舞台は揃ったのか?
さあ舞台は揃っただろう。


が、これでヒットするだろうか。


もちろん単なるヒットはするだろう。しかし「底」から湧くようなヒットにつながるのだろうか?




その答えは NO だ。
これだけでは足りないのだ。この映画が素晴らしく感動的なのは、他に理由がある。それは、




老いゆくスーパースターが
描かれている





からだ。
これが観客に届いた「正体」ではなかろうか。



●スターに重ねた年輪と時代
マーヴェリックは年月を重ね「大佐」として登場する。が、年下の上官にこう問われる、「なぜまだ現場にいるんだ?」と。そこには引退せず、飽くまで「パイロット」で居たいマーヴェリックがいる。


もうこの時点でポイント1だ


オープニングクレジットの登場カットからして「一人で整備する老パイロット」として描かれる。もちろん「老」は余計だが、カメラは残酷なまでに「ひとりぼっち」のマーヴェリックを丹念に追ってゆく。そこではカワサキZ900Rに乗り滑走路を飛行機と併走するトムのサービスカットもあるが、観客はその「どこか寂しさ」を感じてしまう。


得点追加


US.NAVY の巣窟、ノースアイランドでバーに行くのも一人だ。が、ここは過去に訳ありの女性が切り盛りしている。ジェニファーコネリーだ。しかし彼女からは相手にされない。金も切れない。
若きこれからのトップガンに放り出される。
しかも店外からグースの忘れ形見、今やトップガンの一員であるルースターを見ると独り去って行く。


最高得点追加


事ほど左様に、マーヴェリック=トム・クルーズが「過去の人物であること(それはパイロット技術と関係なく)」「時代は進み今の若者たちが中心であること」が強調される。
ここには「物語上のセンチメンタル」以上のナニカを観客は共有することになる。つまり、


トムクルーズ自身


だ。これを感じ只ならぬ「セミ・ドキュメンタリー」感とともに虚構を見守ることになるのだ。
若者の突上げ、老兵としての居場所のなさ、何より


話の出来るともだちはいない


これら「装置」が、前作「トップガン」の存在によって厭が応にも機能するのだ。前作があるからこそ《説明すらショートカットできる》のであり、賑やかな前作を知る者は充分以上この1幕目に「人生の孤独」を痛感する。これこそが続編モノの醍醐味でありいちばん重要な点ではないか。これを観て、


多くの「昔・若者だった者達」も感じ入る
トムクルーズに当時と、今の、自分を重ねる


この映画の芯の狙いはここにあるだろう。
思えば元祖MTVムービーと言われた「トップガン」は、何も考えず邁進するイケイケドンドンな映画だった。US.NAVY全面協力の元作られた80sど真ん中の精神の「若い」映画だ。そのアイコンが今、老兵として目の前に居るーー。


充分すぎるほど、面白い。
充分すぎるほど、リアルタイムではないか。


ある種の「迫力」を観客は共有することとなる。つまり時代を越え「それでも生きる」ということだ。
だからこそアイスマン=ヴァルキルマーの登場に涙し、だからこそグースの忘れ形見ルースターを貴重に思え観客は愛すのだ。これは虚構を越えた、セミドキュメンタリーであり人間賛歌なのだ。

セミドキュメンタリーとしてヴァルキルマーの現状ももちろん、挙げておきたい。病を押して映画に参加しており、彼の肩越しのトムクルーズの涙は、ここでも物語をはみ出し、素晴らしいモーメントを捉えている。

そしてルースターの最後の科白
ここに私も涙したが、それはそうなのだ。このようなメタ構造にあってあの科白はずるすぎる
またこの映画の成功はルースターを演じたマイルズ・テラーの、木訥とした魅力が支えてもいた。素晴らしい俳優だと誰もが思ったろうし、これから期待したい俳優の一人だ。



こうしてトムクルーズはきっちり「トップガン」を終えたのだった。



このことはやはり並のことではなく、素晴らしい映画作家でありプロデューサーであることを示した。実写映画としての「ノットCG」具合もハンパなく、また《高度を競わず低空飛行を競う》というクライマックスの渋すぎるお膳立ても最高にクールだ。お祭りをお祭り以上のものとした。



翻りガジェット萌えなど「低次元だ」という証左を書いた。その奥にある人間を捉えてナンボである。

改めて、人生とラブを感じる映画だからこそ、それゆえこのヒットにつながっている。
そこにおいて初めて荒唐無稽なプロットも「仮想敵国が見えない」という下らない指摘も、全てがオーライとなるのだ。この娯楽映画はそう語っている。


良い映画でした。