わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

自由研究 I

2021年、10月第三週の自由研究。


◎炊き込みご飯縛り

もう、かれこれ1週間連続炊き込みご飯。



「さすがに
 大好きなしめじご飯も飽きる」



そんな状況の中、今日もきのこご飯。
うまい炊き込みはどうしたら生まれるのか。
保温しながらうまさを保つにはどうすべきか。
その諸々のプリセットを自由研究中だ。
ポイントは、きのこを——



からっからにまず、焼くこと



事前にフライパンできのこを焼く。きのこから「水分を吐き出させる」。これは共通の鉄板事項。
こうするだけで絶対にご飯はべちゃつかない。

今日はその、焼きで出る「きのこ水」を(フライパン上で)飛ばすのではなく「米を炊く分量」として抽出、ジャーに丸ごとぶっこもうと想う。
きのこの山を割き、今日もきのこご飯だ。

・・・。

うん。おいひい。笑。



◎ひきつづきサッカー研究

日本代表戦は終わったが、現代サッカーを継続して自由研究中(って今に始まっていないが)。
・・でもほとんど「学び直し」ている。
「10年前の知識」でとても太刀打ちできんからね。それほど今、戦術は多様化。かつ進化中だから。


ユーロ2020を今春WOWOWで見たのも大きい。


クラブチームと違い各国の代表は「短期寄せ集め」であり、高度な戦術は根付かない・・のは遠い昔。
チェコデンマークなんて権謀術数の掛け合いで、スーパーな選手がいない分それは顕著でもあった。
要するに「面白かった」。

小国だからこそ〈自国の特性を極める〉。
そんな心意気も最高に気持ちよく、両国の戦術の撃ち合いがひどく面白かったわけだ。同時に



「進んでんな」



と欧州の潮流を看た。対応する選手と指揮官のレベルの高さに感心したんだよ。
今、サッカーって本当に転換期で、最新戦術や思想を「知る者と知らない者」の間でギャップがかなり生まれている時代だ。古い頭と新しい頭のちょうど分岐点だよ。それは選手も指導者も見る我々も。


で、オレは知っておこう、と。


たとえばこの感覚は、ストレッチの概念変化とも似ていると感じる。
ストレッチはいいものだ、とするのが従来。だが今は「あまりしすぎるな」が定説になりつつある。
筋肉が弛緩しパフォーマンスが低下するのだそう。
・・むろん抵抗感の大小は人それぞれあろうが、


いずれにせよ面白い概念変化だと想わないか?


サッカーにも定説新説がありすこぶる面白い。
たとえばこんなことだ——「オフ・ザ・ボール」。
ボール非保持に、選手はどう動くべきか、という概念も、昨今では進化していて大変興味深い。



従来=フリーになれ!

昨今=ギリギリまでフリーになるな

 


なぜなら「フリーでボールを持つ/シュートする」場合、予めフリーの位置にポジションを取ると




敵にバレるから
敵は逆にフリーに泳がせといて狩るから





ね? 最新進化論、面白いでしょ。


ボール非保持は、逆に敵にくっついてろ。
もらうギリギリで敵の視界から消えろ。


これはFWの最終的な動きだしに限らない
中盤でも有効な個人戦術だとする。わかる話だよ。
言わばほとんど「プロの智惠」あるいは「選手の秘伝リソース」(すなわち個人戦)が、民間レベルまで落ちてきている。今はそんな時代だ。


が、せっかく「落ちてきてる」のに
どれだけ固定概念が邪魔していると思う?


むろんこれらは最新系ではあるが、日本サッカー、とくに幼少教育では全く浸透してなどいない
いや、多くの指導者も選手も知ろうとさえしていない。フリーの位置に付け!の一点張りだろう。



固定概念と戦え



という感じナウ、だ。親しんできた人であればあるほど「へー」となると想うね。
(それにそもそも「戦術」という言葉に「個人戦」を加味せず「チーム戦術」のみを語る風潮自体が片手落ちだ)


で、ありうるか、ありうらないか問題。
そこはフレッシュな可能性を保っていたい。じゃないと「精神論」や古風な発想しかなくなるから。

精神論を茶化してなく、それは基本なのだから。
古風な発想も、局面で要不要の分別がつくからだ。
知る、ということはかくも重要なのだ。


結局最後は閃きとプラグマティズムが必要となる。
最終局面に閃きのないものは、サッカーに限らずどの分野でアレ、厳しいだろう。

そしてその閃きに必要なのは、分母だ。
知識の数と質のある問い(質問)の多さが重要だ。