わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

クリーンセンターマインド

私の住んでいる千葉県習志野市には、

習志野クリーンセンター

という集積センターがある。
市で管理しているごみの集積所である。習志野市の家庭から出されたゴミが集約される一大拠点だ。
・・と大げさに言ってみるがとにかくクリーンセンターが海の方にある。パソコンや洗濯機など例の4品や産業廃棄物は処理しないがとにかくある。


久しぶりに行った。



わがクラウンワゴンに

しこたま粗大ごみをのせて。

燃えないごみと

ゆめときぼうをのせて。



断捨離である。

台風の残り雨の中、汗だくになりながらソレラを車に積めて。ソレラは何年わが家に鎮座していたMONO達であろうか。どれだけの間、ソレラはただソレラとして語りかけられることなく部屋の片隅・・いや大隅に居ただらうか。


こういうとき

人間(てかオレ)はせこくなる。

ああせこい・・せこすぎる・・


粗大ごみ、燃えないごみ。
これらって出すときは限られる。いや毎月ある、収集日は。だが「よくわからん」こと多くない?
燃えないごみの日って第●土曜日とかカレンダーに照らすと微妙なギモン多くね? それも「いつ」収集されるかも極めて不明瞭——これが「萌えないごみ」の日の特徴ではないだろうか。

少なくとも、オレは成功した試しがほぼない。
燃えないごみの日は成功しない。で、そのうちまとめてクリンセンター行き、ということになる。

そこにおいて人間(てかオレ)はせこい。
行くぞ、やるぞ、と決まると貧乏根性がフルスロットルになる。次いつ行くか、いや「行かない」か、自分が一番よく知っている。だから、



これも・・
ああ、これも!
いいや、これも!



と急性の《ねじこみ》が始まる。そんなわけで、


フライパン

部屋の照明器具


今、家にはない。笑。
新たなモノの、アマゾン待ちである。




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クリーンセンター自体も味わい深い


車でいくのだが「量り売り」である。
入口と出口で車の重量を測り、その差分で金額がきまる。この仕組みは感心するものがある。

仕訳場所に到着すると係の人がいるが基本、自分で仕訳して指定場所に置く。カラーボックスはこっち、蛍光灯はここ、という風に係の人は指示してくれるんだが、これね、



ものすげー

卑屈なかんじになるんだ。笑



ごみとは、そもそも



うしろめたいもの



である。
不要品を「ごみ」として出すこの行為自体——それらは本当に「ゴミ」だろうか?
という哲学面もあろうし、家庭から出たどこか、言わば排泄物である。それも「燃えないごみ」などその最たる存在・・つまり「大」である。
そんな日々の営みの「闇」を告解しにいく、見せにいく、なんて、うしろめたすぎる・・。


そうしてオレは完全に百姓モードとなる。
出っ歯の、ボロをまとった百姓が係の人に近づく。






オレ「お、おでえ官様・・こ、こいつはどこに?」


係の人「あー。それはこっちのボックスに入れて」


オレ「へへーーーーっ!」

(☝ここは「は」と「へ」の間くらいの発音指定)





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気分はこんな感じ。https://twitter.com/mashiharu_7さんより拝借



オレの横では同じように精神的に追い立てられたおばさんが指定場所に不要品を積んでいた。笑


・・なーんて。
これらは飽くまでオレの「中」だけの話。クリーンセンターの人はいい人です。念のため付言す。
とにかく我々、出す側の問題なのである。改めて今回も行って感じたこと、それはクリンセンターは



不要品の銀座だ



ということ。ごみの目抜き大通り。痛快ウキウキ。
もっと早く来ればよかった、と毎度想うのだった。



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クリンセンターをはね、返す刀で

2nd STREET  へ行く。


映画祭用に揃えたタキシード(小さかった)、ポロ(ボロじゃないよ)の珍しい型番など売りに行く。
当然のごとく、




ふざけんな




って金額にしかならない。
けど、リリース。
メルカリやヤフオクをやるガッツもないし、そもそもそんな「キレイさ」もマメさもない。
しかしこういう時ホント、資本主義ってすげーなおい!(色んな意味で)と思うわ。逆ギレ気味に。


そんな台風の明けた、昨日の話でした。