わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

ノマドランドを観る

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映画の日。4月1日観賞。ノマドランド。
一日経って考える。

日本では先日70歳まで企業に雇用を「奨励する」法律が制定し、いよいよ、な時代。
またこの意味すら、様々な角度で言えると思う。善きことと捉えるか? あるいはうんざりかーー。
この「死ぬまで動く」ことへの反射板のような、極めてジャーナリスティックな映画だ。


いい作品には必ず、
時代を写すジャーナリズムがある


その意味でこの映画もまた素晴らしい。
米国のノマドワーカーを全世界に紹介し、問題を提起する。でもそれはどんな問題なのだろうか。


◎自由であるということ
この映画はロードムービーだ。
優れたロードムービーがいつもそうであるように「自由」と「不自由」を扱う。
逃避行のような黄金郷を求めるロードムービーもあれば、バディの友情や自身の成長を描きもする。
道とは人生であり、その自由と、自由に触れる人間の「魂」について語られる。この映画も、自由と「魂」について語られているが「あこがれ」という意味においてはどうだろうか。


ペーソス、500パーセントだ。


リーマンショックサブプライムショック)によって投げ出され「自由」に馴れてゆく者・・。自らの病によって「自由」を行動する者・・。最愛の者、それは息子や主人公にとっては夫を失って「自由」を選ぶ者・・。彼らには彼らの魂がある。もう一度言いたいが、


そこに「あこがれ」はあるだろうか
自由への憧れはあったろうか


自由とはなんだろうか。
あるいは、人間の尊厳とはまた、なんだろうか。


その回答は各人の持ちものだろう。(なおオレは「解放」と「自由」は違うと思っている。)
この映画は「だからノマドはすごい、偉いんだよ」などという喧伝は(まるで)していない。そこに人間の営みがあるだけ、と静かに言っている。このバランスも極めてジャーナリスティックであり、ほとんどドキュメンタリーだ。
実際フランシス・マクドーマンドとデビッド・ストラザーン以外、本物のノマドが出演している。

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このなか「スワンキー」さんが居るんだが、まあ、これがいいんだ・・。
見事な「魂」を提示してくれている。
全く素人とは思えない極めて濃度の濃い演技。気分が悪くなる演技の旨さに「この女優なんて言う人だろう・・」なんてスクリーンを見てて、アップの告白シーンで「この人ヤバい」と確定。で、あとあと「本物か!」とひっくりかえった。それ位、いい。

ロードムービーって助演が光る映画。ロード(人生)における出会いと別れの構造をもつからだ。
そしてその意味は監督の実力との裏返しでもある。
映画自体を構成、セットアップした監督の力量に疑いの余地がない。ジャオ監督、素晴らしい。

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フランシス・マクドーマンド
言っておくと彼女は以前より苦手だった。
スリービルボードでは映画館で舌打ちしちゃった程なんだが(笑)、むろん素晴らしいですよ。この作品ではすんなり受け止めることができた。
ノーメイク&ノグS●、おまけにヌード。まずこの選択ができる女優がどれだけいるんだ?
彼女特有の押し出しの強さは奥にしまい主人公ファーンを体現していた。彼女の心の移ろいとともに観客は旅をするんだが、ここは最後に触れる。

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◎デビッド・ストラザーン
渋いよね。好きな俳優。
で、彼の役もまた重要だった。終盤にかけてストラザーン演じるデイブは体を壊す。そこで病院の世話(入院)になるのだが、この時、彼が「ちょい金持ち」であることを観客は知るんだ。
なぜならアメリカの医療は国民皆保険がなく

「バカ高」だから。

入院できること自体にこの映画の「意味」がある。そうして彼は息子たちの元へ、屋根のある世界へと戻ってゆく。つまり、言わば「いわゆるノーマルらしさ」の彼岸として機能させている。極めて重要な役回りを彼はこなしていた。むろんこの映画は「どっちがいい」とは決して発しない。

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◎すべての登場人物が白人
主要全てが白人であることもこの映画の狙いだ。
きっとこの映画はもちろん日本人である私も考えさせられまくる(対岸でもなく目の前にあることだ)が、これを観るアメリカの観客にとって、かなりワガゴトとして迎えられたことは想像に難くない。


Amazonの存在
この映画は(皮肉をこめ)Amazon映画だ。

だってAmazon内部が実際映画の舞台として登場するんだから。いや、でもこれは冗談でなく。ここも、トリプルミーニングくらい噛み応えがある。

彼らノマドワーカーは自身のシェビー(向こうのハイエース)を有料駐車場に留め、働きに出る。
Amazonはそんな彼らのために駐車場代を免除して働き手を確保する。だからノマドワーカーにとって「ありがたい存在」として描かれている。

ここにおいて、Amazonがこの映画のロケに協力した意味も理解できる。だって本当だろうから。
この皮肉も相当味わい深い。なぜなら


現代資本主義の「ど真ん中」


を貫くAmazonがこの映画の一つの舞台なのだから。繰り返すが「善き事なのかうんざりなのか」。
まさに資本主義という「宇宙」をこの映画は語る。その裾野は広く深い。またゴルフ場や観光施設、それらも彼らを雇用する。この映画はそんな雇用主を描かない。が、普通の情緒で考えれば


ありがたいよねぇ・・


と当人の立場でしみじみしちゃう。
で「それがいいことかどうか」だ。この現代の構造問題を資本主義の結果として描いている。
ただしギリギリのエンターテイメントで。
要するに、見方によって、見る確度によって如何様にも変化する映画

恐怖や断定をもってこの映画を観るか?
それとも、どうあっても生きるコミューンがある、と勇気づけられるのか。

観た人に委ねられている。
創られるべくして生まれた映画だった。


◎ラストについて
ガッカリ?というか、うーん!と天を仰いだのがラストシークエンスだった。
この映画は「提示」しただけで価値&勝ちだと想うが「一体どう終わらせるんだろう?」なんてオレは想ってた。彼女の旅はどう終わるんだろうか、と。

監督たちが選んだ帰結は編集によって「最初に戻る」ことだった。
もうなくなった社宅トレーラー。ファーンの最初のはじまりでこの映画はおわる。

うーん!そうかぁ・・!とは思った。
この映画を「どうしめるか」。
むろん容易くないが、日本で言えば「鉱山跡地」や「軍艦島」でこの映画は終わる。つまり「意味」で終えちゃったなぁ・・なんて贅沢に思ってしまった。もちろん悪くないが、そうかぁ、と。
この寄る方(べ)なき自由の世界。そこにピリオドを打つのはかくも難しく、映画として終わった。


◎オスカーいろいろ噺
スケベ心で一つ言うと、
そんな意味で「今年のアカデミー賞は作品賞までは届かないのではないか」とは感じた。
ある意味でラストの帰結に迷ってる気がしたんだよなぁ。冒頭に戻っちゃった、と少し想ったもの。もちろんスーパースターの話ではない。読み込み甲斐もある佳い作品だけれど、うーん。ね・・。
パラサイトほど貧困をエンターテインしていないし、詩、ポエムだ。ムーンライトという「詩」がオスカーを獲ったが、あれはマハーシャラアリとお母さんの一大アクションで獲った。とも言える。

去年がそうだよね。ジョーカーという「まんまアメリカ」の構造問題にはやはり手を挙げなかった。
自国のド・ストレートな本作にどんな反応をするのか。今年の注目ポイントだ。

監督賞と主演女優は固いかな・・なんて想うけど、外れるかも。なははーん。予想は楽しいものだ。



◎さいごに

「オレっちってば、ノマドワーカーだから」

などとスタバでMacBookをドヤるのとはわけが違うわけです、普通の意味でも。むしろ三谷の物語であり、屋根のある場所を求める漫喫の住人の物語だ。

アメリカがそれでも奥深いのは、これをオスカー候補としてしっかり認める土壌があることだろう。自由の国のリバタリアン精神というか。決して被害者然としないスピリットは本当に素晴らしいことだ。

と同時に、問題もごちゃまんとある

それが「ノマドランド」。旅情と詩情にあふれた素晴らしいロードムービー。しっかしだよ?


万引き家族

「パラサイト」

ノマドランド」


・・・。
やれやれ、だよ・・。トホホですよ・・。
近年時代を撮った全ての傑作が「貧困」・・。


反動で石井輝男の「直撃!地獄拳」やホイ3兄弟「Mr.Boo」が観たくなるわ!



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さあ、本当に、
この地球はどうなるんだろうか。

対岸でもなんでもない世界。
アメリカの現象は5年早いだけ。(前は10年、なんて言われてたけど。グローバルスピードよね)
原作本は2017年だ。

そんなクルエルワールド、はー・・。もう。
がんばっていきまっしょい