自分も会話のエアポケットで使ってしまいがちだ。
が、訊かれると自分自身も毎回困る系譜の質問。
「好きなアーティスト、誰ですか?」
今日はこれ。まず–––、
誰、を訊いているのか?
曲、を訊いているのか?
今、を訊いているのか?
そもそも、
アーティストって芸術家? ポップ音楽?
って思うよね。
たとえば「ミスチルです」の場合。
ミスチル全曲を知ってなきゃいけないのだろうか?
ファンであることを宣誓しなければいけないのか?
では「ファン」とはどの程度であればいいだろう?
ようするに質問者の真意(と期待値)がどこにあるのか。「よーわからん」ものだよね。
自分が質問者の場合?
「どうでもいいんだよ。会話につまってんだよ。なんだっていいわ」ということも多い。笑
あるいは!
「誰か」にほとんど疎くともこの「Tomorrow Never Knows」という曲が好きなんです、
という単体の「曲一本釣り主義」であった場合は、どう説明すればいいんだろう?
むしろ、こういう人の方が多いのではないか?
少なくとも私はそうだ。
サザン、を全体的に好きなわけではない。むしろほとんど、無関心に近い。(ミスチルも。)
が、いとしのエリーは好きだ。きっとみんなも好きだろう?
「いや、そうじゃなくてー」
「あんたがドストライクで、これだ!っていうアーティストのことを訊いてんだよ!」
であれば尚のこと、
答えることはむずかしい。
かつ、年を重ねるほど厄介な質問でもある。
質問者が「熱狂について」をさしているなら、熱狂の数は歳とともに増えていっているだろう。
今となれば「なんでこれに熱狂したんだろう」というハテナも増えるのがオトナではないか。
今では真逆の趣味かもしれない。
が、当時ははげしく熱狂したもの。
そこにも「元カノ元彼」を想うようなある種の懐かしさと否定し難さがあって普通だ。この場合、
「今(エアで)付き合っている人、誰ですか?」
と訊かれているに等しい。笑。
質問が熱狂の場合、本当に経年でいろんなものが「まざってゆく」ではないか。
〇〇のファン、という忠誠。
これはヤングな勢いも多分にあり、その外側も内側もあり、ああ、そんな一人に絞るなんて世界は広いよぉ。一人じゃなきゃだめかしら? 好きな人も、好きな曲もあるよぉ。好きだった人も好きだった曲もあるしー。好きな人にもぜったいヤな部分あると思うしー。
だからあのぉ。曲単位でいいかしら?
・・と、く◯つまらん解に結局おちついてしまう。
で、そもそも。
アーティストってなんだよってのもある。
え? 芸術家のこと? ポップスのこと?
まさか、日本人縛り? の話をしてんの?
「エル・グレコとマーク・ロスコ、好きですよ」
「芥川は全集もっています。一時期、熱狂もしました。折を見てこれからも触れたいと思います」
じゃ、ダメかしら?
マイケルもプリンスも大好きだ。
でも全曲を知らないよ。
切り分けた方がいい。
この質問が「消費」にたいしてのものかどうか、をね。気軽に、ポップに、
「消費して自分のアクセサリーにしてる、ステータスにしてるポップアイコン、何ですか?」
が「好きなアーティスト、誰」の真意だとすれば、
答える必要がない。愚問すぎる。
もっと質問自体をバラして、質問者はもっと狭く狭く訊かなくてはいけないだろう。
ってとっくに愚問なんだけど(笑)、・・じゃあそのすじで答えようか、でいっても・・。
「古い話。流行ってる、と情報が先行して私も触れて、レモンのポピュラリティーにビビりました」
「同じ意味で髭DAN? 最近触れましてポピュラリティー高く、そりゃ売れるなって思いました」
「向井秀徳バージョンの『CHERRY』は最高だ」
冒頭を繰り返すが、自分は–––?
どうでもいい時に使う。どっちに転がってもいい。このどうでもよさもまた、自分もよく考えよう。
(考えてきてない訳ではないけれど、改めて。)
悪い意味で使ってないが、良い質問でもないから。
そんなわけで、
過去のエントリーもいくつか掲載しておきます。
ごきげんよう