わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

表現の不自由を考える1

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「表現の不自由展、その後」における少女像撤去問題。これは多角的で深い問題で、バッシングの猛威が過ぎ去った今でもボーッと考えてしまう。

まず「見るだけで嫌悪する」というような現象。これについては、この記事を読んで、私の中にも多少はあった「そんな腹の虫」はスーッと治まった。いい記事だ。あなたも是非読んでほしい。


これは前回、15年の「表現の不自由展」での記事であり、作者の近影と想いがある。そして詳細に銅像が「どう造られているか」を極力冷静にレポートしているように思える。「見る」ことを促している。

プロパガンダの塊なのか。
ひとつのアートなのか。

角度がかわり深呼吸して問えるかもしれない。
津田大介氏はじめ今回のキュレーターは前回のオリジナル展にも出向いたはずだ。だからこそ続編としての「、その後」だったのだろう。
私は両展とも見ていない。
「発禁」に以前から興味があるので、発禁になると見たい病も認める。こんな展示だったらしい。


とにかく観ていない。
だから説得力はゼロだが、この逆フィーバーぶりを「表現者」として看過するわけにもいかない。ボーッと考えている。私見でざっくばらんな感慨となるのだが、なんと言っても


●圧倒的に時期が悪かった

この感慨は、やはりありまくる。
時期がとにかく悪すぎた。
いや、良すぎたと言えるかもしれない。皮肉だが「燃える」には超絶絶好のタイミングだった。
両国同士の貿易優遇ホワイト国除外など、「かなり進んだ」緊張状態での出来事だったから。

もう、このことだけで猛威は避けられないように想う。


歴史認識とファクトについて

この少女像単体、ではなく、その裏に人々はなにを見ているのか?という要素が、この像にはある。
韓国と日本の感情と歴史認識の開き。これをどう扱うかという問題がある。
でもその主語は? 扱うのは誰だろう?

・・・・・・。

OK。これ以降はオレのステータスも言わないとだな。
私は7:3でバランス主義だ。7として行き過ぎた認識やアンバランスをなんとかしたい。
3として「その上で」センスとクオリアを信じる。だせえアートはだせえし、良いものは良い。

なによりオレの左脳はソクラテス好きだ。ギリシャ哲学の祖はこう言った、「足るを知れ」。
この言葉を右も左もなく信じる。あとの半分(右脳)でアウトプットや表現をしたい。

続ける。


「日韓請求権協定」(内:日韓基本条約)で1965年に国同士の賠償は済んでいる。手打ちである。
このファクト。これをどう考えているのかが、隣の国の態度でわからないところがある。
パク・クネさんの後継、文大統領はまちがいなく政治カードとして「反日押し」をしている。それに勘づいて日本の外交はついに正面衝突のカタチをとったのが「ホワイト国除外」というものだろう。
この辺の私見もあって、ああ、言いたい(笑)。完全な自分の推測だが、言おう。


閑話休題

もともと文大統領の悲願は「南北統一」だ。これは憶測でも何でもなくそうだ。これからが憶測だがその「統一」の機運が高まった前年までに

「お金を借りに来て断られてる」

と私は踏んでいる。ないわ、そんな統一を手助けする金なんて、と日本に門前払いをうけたと考えている。(大枠の話として。米国も介してるはず)
そこからより一層カジをとり、反日を煽って結束をよびかける。先日の「南北の経済ベルトで日本を越える」発言は、彼としてのセカンドベターとして前々からあった夢想だろう、と考える。日本を仮想敵国とし(いつもだけど)、内患をおさえ、南北の融和を(まずは)計りたい。そんな思惑がちらつく。


歴史認識とファクトについて2

この少女像、ではなく、人々はなにを見ているのか?、という要素だが。まず大きなコトバがある。
慰安婦」という言葉だ。私はこう問いたいし、スジも悪くないと考えるが、そもそも

「従軍」と「強制連行」の切り分け

がなされているだろうか? という問いがある。
従軍慰安婦。これはいたよ。間違いなく。
あっけらかんと「慰安所」は確実にあった。で、それらがおしなべすなわち

強制連行慰安婦

ということにはならないんだ。
これはもう漢字の時間だが、「従軍記者」のことを「強制連行記者」とは言わない。
では「従軍・兵士」は?
100%「強制連行された兵士」だろうか? ——つまりモノゴトのスケール毎に、そしてヒト毎に、加害者と被害者は入れ替わる構造がある。
で、この「問いかけ」やコトバの「幅」のためにファクトをあさることになるだろう。

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主戦場

現にそのギモンを漁ったのがデザキ監督の「主戦場」だった。実はこのブログを書く際に観に行った、という体たらくだが、デザキ氏のフィールドワークに賛辞と敬意を払いつつも個人的には「驚かなかった」。おさらいとして振り返らせてもらった。

で、韓国の感情やいいたいことはわかるが、完全なるファクトなんて実のところ、ない。慰安所はあった、が、強制連行だったかどうかはグレーなのだ。なぜグレーかというと、100%すべての慰安婦が強制連行である、ということにならないからだ。
軍部と「女性たち」をつなげる間にはその彼女たちの「家族」と「仲介業者」というキョリがあることも、戦前にない、とは言えない。つまり問題の「肉付け」方だ。そのデッサンのバランスについて考える必要がある。同時に、弱者(この場合女性)への眼差しも忘れたら、これもまたデッサン不足だ。

それら思考の彼岸で大切なファクトは繰り返すが、これらグレーゾーンの山を終戦後20年目で「もう私たちが生きているうちに(後世に遺さないように)まとめて国交を回復しましょう」と取り決めたのが日韓基本条約だったはずだ、ということなのだ。(90年代に、つまりあとあと「慰安婦問題」は出てくるのだがね。もっともアメリカの仲介による65年の基本条約であった点も忘れてはならないが・・ってどうよ、この多角っぷり。)
しかし当然ながらこういう協定は国際的なオフィシャル。要するに国際法に則り世界中が(注目すればだが)証人の話である。当時日本は多額の賠償金も韓国に支払っている。というファクトもある。

で! さらに思考の彼岸に立つならば!

人間の持つルサンチマンと「鏡像」についてだ。そしてそれを内包する「システム」についてだよ。
たとえば「兵士は犠牲者だろうか?」——つまり個と集団と集団同士の話。変容し続ける物語だよ。
そして誰もが、自分にとって気持ちいい物語を探している。——これ以上は、表現事項(右脳の出番)なので言わない。というか、ここがいつだってヘソだ。

もっとも「慰安婦」。
これ自体を問題にしたいのなら、古代ギリシャまで遡らなくてはならないだろう。ビッグワードだよ

これらが私の認識だし、ボーッと考える。


●話はまとまらないからパート2へゆく

すっかり少女像から離れてしまった。
がおおよそ上記の想念とズレが交差し、一部大衆の展示への憎悪につながったはずだ。しかし——

・中止にみる検閲(介入)の問題
・脅迫の問題・テロに屈するか否か?
・税金が注入されるとカウンターカルチャーを提示してはいけないのか?問題
・そもそもアーティストの作品は許可制か?問題(=全てを知り抜くことの不可能性について)
・ひいては「表現の自由」とはなにか?
・現代のあらゆく「耐性」の問題
ポピュリズムの問題
・キュレーションの問題
・外へ発信する、ということ


多角的、と言ったのは、上記の「韓国と日本の歴史認識とファクトらしさ」を取っ払ってもざっとこれくらい「考える」ことが多いからだ。そしてこの事柄のイチイチが、クリティカルだから


●なんでクリティカルか

とくに、表現の自由とはなにか? 言論の自由も含む。今回なんてとくにそんなケースだ。
どんな表現・言論にも穴がある。
それは哲学界・数学界・物理界でもすべからく穴があることに等しく、どう捉えても「穴」はある。

「穴」のレベルに従ってアートは許可制なのか? という問題をオレは考える。


作者は全力で「山」を書いて発表した。
どう見ても、それは「海」なのに。


これはアートだろうか。正否でアートは区別され、裁かれるものだろうか。あるいは、


作者は全力で「山」を書いて発表した。
どう見ても、それは「一本の木」なのに。


これはどうだろうか。その者の認識「不足」で美術を語っていいのだろうか。これは山ではなく一本の木でしょ? と糾弾したとする。
そこで作者は「一本の木が山になる」と未来のことを言ってたらどうなんだよ?
上のたとえについても言えることだ。

「海。いつか山がみたい」かもしれない。

観る側もどれだけしぶとくイケるだろうか。視る目と想像力をどれだけ養っているだろうか?
あるいは、基準ってなんだよ?って話。
ナニサマが判断すればいいんだ? それは自分ではないのか? ダレサマならいいんだ?という問い。
そしてそこに重層して、じゃあそんな作品は「観て」ほしくはないのか?何かを伝えたいのではないか?という問いも横たわる。アートとはなんだろうか。


もう一つが、行政とアートだ。
政治とアートについてだ。



そんなわけでパート2へつづく
・・と言いたいところだが、ここまでも書きすぎだ。パート2では正直今回のキュレーション」の甘さと「自分ならどうするか」を発表するつもりだったが、もうこのメモに留めてやめるだろう。
逆にみなさんに聴きたい。


今回の少女像をつかい、
どんなキュレーションだったら、
どんなことが伝えられると想いますか?

 




ここまで読んでくれてありがとう