わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

令和の時代 〜「令」を考える〜


告知から一夜たち、新元号「令和」に触れます。


第三の印象として、昨日書きましたが《「令」という「本来」の「再認識」も含まれている》——この印象ですよね。どうしても。
令和と掲げられた時、むむ、令か・・・という反応を自分は認めた、ということです。
「令」を考えてみたいと思います。

れい【令】
[音]レイ[訓]しむ・せしむ[学習]4年
❶ 言いつける。命ずる。言いつけ。お達し。
  「令状・号令・司令・指令・辞令・命令」
❷ おきて。のり。「条令・法令」
❸ 長官。「県令」
❹ よい。りっぱな。「令色・令名」
❺ 相手親族に対する敬称「令兄・令嬢・令息」

コトバンクより
(字例で「年令」がないのは「年齢」の略語だからかな)


インプレッションの「令」は❶や❷でしょう。
これは私、でなくともそう感じた人は多いはず。
「うながす」という意もありどのみち、しむ・せしむ、お達し感がある字に映ります。
すると「令和」とは《強制として和め!》《和めと言っている!》ということにもなろう(笑)。

しかし、万葉集のなかに使われているのは飽くまで❹です。
「初春は令月にして」とあり、令月とは、

れい‐げつ【令月】
① 何事をするにもよい月。めでたい月。
「嘉辰(かしん)令月」
② 陰暦2月の異称。
(まさにこの時期。3月〜4月上旬を差す)


というちゃんとシャイニーな言葉であり、間違いなく、先例❹の意味で使われています。
我々の感覚に一番近いのが❶や❷、伝令・命令としての「令」ですが、時代を遡ればちゃんと❹に辿り着くというわけです。この点。このキョリをどうキモに据えるかで振る舞いはかわるでしょう。


、とはなにか? 自分なりに考えます。
」という漢字は面白く、部首「へん」や「かんむり」によって変化が増していきますーー

▼令にこころがつくとこうなる
怜悧・・れいり。賢いの「怜」。

雨がふるとゼロになりしずくと消える
零・・れい。ゼロ。また「しずく」でもある

歯をみればトシがわかる
齢・・よわい。

王・玉が触れると。又、金属だとこうなる
【玲玲】レイレイ
玉などがふれてすがすがしく鳴りわたるさま。
「 -たるの声/太平記 25」・・

▼チョンチョンされると凍るように
冷・・ひえる。つめたい。



・・ということはどういうことか?
とイマジンするに、令、とは


意識的で、魂的で、澄んでいる、ナニカ・・・


意識
・・これぞ部位で使われる古来の「令」ではなかろうか。と感じるのです。
「へん」や「かんむり」によって、平たく言えば、どうとでも変わりうる、されど貴重で澄みわたるなにか・・・というきわめて繊細な「つくり」こそが「令」という漢字には備わっています。
そう考えると、令とは・・














ユー、

お前の意識次第だ









貴重で澄んだものだ、お前の気の持ちようで「どうどでもかわる」。そんな漢字ではなかろうか。
ユー次第でONLYな月で令月だ。
ユー次第のONLYを命ずる、で命令だ。
ユー次第のONLYを伝える、で伝令だ。
そのONLY・ユーも、意識次第だ。「辞令」はうまくつかえ。自分で部首をつけていけ、ということ。
」にも「」にも、「怜悧」にも「令人(善き人)」にもなれる。それが「」という漢字の本来の言霊だろうと感じるのです。

そういうことでいいのだと私は想う。
モチベーションとしてふさわしいと思っています。


その一方で。すこしハードに。さきほど言ったキョリの話です。
❶しむ、とするか、❹よきもの、とするかは正直距離があり、この距離をどう埋めるかという解釈問題がある、ということです。(この漢字を「現代」のうすーい使われ方のみで考えてみます)
❶の命じる、の意にしてみると主語はだれか? 誰発信で何をするのか、ということです。そこに曖昧では❶の意であれ「令」とは言わないでしょう。むろん命じる側・伝える側への問いかけです。要するに(ビジネスでも生活でも)、だめな指令・命令はただの方便でしょ?、という思考実験のたとえ話をしています。さあ、どうだろう。


芯があるが、されど、変化する漢字、「令」。


そう考えると結局のところ「令和」とは、令人たる「意識」を誰も思考しなければ、
ほわん・ほわん」と言っているに過ぎません。その時はほわん・ほわん・元年なのです。
もっと言えば出典は美しい。たいへん美しい。
美しいが《美しさしか提示できないさ》というメッセージかもしれません。元号自体にソリューションがあるわけもなく、祈りと願いのみが確実に置かれている。ということなのです。

むろん。
それで充分ではないか、とも同時に想うのです。
どう捉え、どう未来に活かすかは、自分次第でしょう。BADに割いてる時間は多くはないのです。

和せしむ。令和。
意識と和。令和。


いい元号だなと想います。




=======閑話休題。蛇足。


元号の採用は、世界でもついに日本だけらしい。
悪いことにもまったく想えません。(いいじゃないか、唯一ならとくにいい。すごい個性だよまったく。)
国際的な「多様性」という面で言っても(図らずも)その先陣張ってるくらいのものですよ。

みんなイチローの引退に何か感じたろう?
笑っていいともの最終回に何か感じたろう?
どんなに有名なモノでも陰でコツコツと歩いてきたマイルストーンがある。そして、

終わるときに気づくんですよ。その価値を。

元号もそう。248回も続いている。1300年でね。いいかい、千三百年ですよ。
その権謀術数の歴史と営みの中、あなたが何回生まれ変わる年月だろうか。どれだけの人が喜び、笑い、哀れみ、悲しんだ歳月でしょう。その、質量の現在進行形にあなたや私も今、居ます。空海だって、信長だって、龍馬だっているぞ。南北朝の分断だってあるぞ?(今の今まで尾をひいてたりする。その壮大すぎるワッチャカがたいへんすごすぎるではないか。)

皇室バンザイと言っていません。大抵のものは「終わらすのは簡単」だと言いたいのです。

高価な器があったとして、そこにお猿さんがいたら、踏んづけて簡単に割ってしまうでしょう。
終わったアトになって「こらぁ!猿が!」と叱って価値を想ってもしかたないのですよ。
元号だって今を生きる、にふさわしい区切りのひとつです。それも世界でもこの国だけだってんですから。しみじみ味わおうよ。

そんなわけで。
ビバ、ほわん・ほわん・元年。だよ



ーーむかしむかし。
思わずハッとして、こう詠んだ人がいました。
彼はもしかしたら妻とともに初子を抱いていたかもしれません
あるいは一つの別れがあり、住む土地を離れる際のことだったかもしれませんーー



初春の月にして

気淑(よ)く風和らぎ

梅は鏡前の粉を披(ひら)き

蘭は珮後(はいご)の香を薫らす




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