わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

After You

アフター・ユー。
「お先にどうぞ」を表わす英語。しかしそれは
あなたのあとに、と書かれている。
とてもじゃないが、意訳は足りてない。日本語のポップな文字ヅラ上の「お先にどうぞ」ではとても足りない、精神性を背負った言葉なのだ。それを意訳は伝えていない。

これは英国米国の良心がぎっしり詰まった、本当に美しい言葉だと思う。
大好きな英語だ。このことばがある限り、英国米国をキライになれない、とすら思う。その謙譲とマナーを指すのに、シンプルで、初等にして平易で、そしてニク過ぎるほど美しい。After You.

日本語には「譲歩」という言葉がある。
歩を、譲る。 と書く。本来は思慮深い言葉ではないだろうか? と思うが、ぜーんぜんダメだ。
辞書をひいても完敗。「譲歩 語源」と検索しても有効な情報なんて出てきやしない。
ニュースでも「米大統領トランプ 北に “譲歩” か」だ。 法廷的・外交的損得感情が一般に凝固し、もうこの《漢字の並びによる》意味合いは、消えうせている。

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ハリウッド映画「ビューティフル・マインド」にはこんなシーンがある。
主人公の数学者の偉大な功績を称え、プリンストン大の知人や研究者たちがペンを置くという場面。
タイトルの通り、美しい精神がそこにある。
この2001年の作品でオレはこのシーンしか憶えていない。なぜなら創り手の精神が、先駆者への敬意が、それこそ You に対する良心が刻まれている名シーンだからだ。ここを少し書く。

のちにこのペン・セレモニーは「completely fictitious」。
完全なフィクションだよ、と定着した。※writing欄参照のこと
実は「ビューティフル・マインド」という映画自体、他にも疑義はいろいろある。だが、そこで「あーなーんだ。嘘かぁ、了解ー」でおわってどうする?って話だ。もう、そう指摘してすぐ意味を葬る輩も、そう言われてすぐ納得したがる人も残念だが、

帰って寝ててくれ。と思う。
一生「After You」の精神に触れる機会はないだろうから。
大切なのは真偽ではない。精神だ。

彼らはそんなこと「百も承知」だっての。
史実を調べ抜いた上でアダプトして決定稿とし、撮影して、現像したからそのシーンがあるんだろ? 全くのフィクションであることを誰よりも知り抜くにも関わらず、置いたのはなぜだ?

そこに創り手の願いと祈りがあるからだ。
こうであってほしい」。
先人の偉大な功績に対して、どうか敬意をもってほしい、という願いだ。もっと言えばそれは映画産業の清濁のなか、それでも追求する制作者がギリで置いた切なる想いだろうに。
物語にとっても最も重要なシーンだ。研究者達や知人がペンを置く。ペンを渡す。この情景を閃いた瞬間、脚本家は泣いたに違いない。アキヴァ・ゴールズマン(脚色)とロン・ハワード(監督)。全米が泣く前に自身が泣いている。名シーンだよ。

completely fictitious」。
これも美しい言葉だよ。 完全なフィクションの何が悪いんだばかやろうと思う。
(ハコ的にここで盛り上げたいんでぇ。こういう描写ひつようなんすよー。あと金もほしいんでー)だけで生まれるシーンか? あほかっての。ほんと、それで成立するとでも思ってんのおまえ? と、自動的に処理する奴らに聞きたいねオレは。帰って寝ててくれ

とにかく。
そういう凜々しい敬意が、欧米の良質なエンターテイメントには染みついて備わっている。
べつにアートだけじゃない。洋の東西もない。重みのある世界の住人の当然の心得だ。
叡智を共有する哲学界・数学界・物理界・芸能界・・・その他各界の、洋の東西をもたない常識的な、当然の態度だ。これをレスペクトと言う。フランスではオマージュだ。これらの言葉も日本ではとうてい翻訳しきれてないだろう。その重みを知らず、振り返りもせず、言葉だけ消費すればあまりに軽い。

日本でも付き人や徒弟制度などある。そこでも敬意が継承されている。普段「付く」ことで重みが知らされている。が、固く秘されてもいる。当然だ、簡単に消費する類いのものではないからだ。オレ個人は事ある毎に小松政夫氏の口から零れる親父さんとの逸話が好きで好きでたまらない。※たとえば逸話

時代は相対化が進み、かなり自棄っぱちでデジタルな時代でもあり、一般的にはわけわからんことになっている。しかし時代やテクノロジー甘えすぎてんなよ、ってハナシだ。
その者がどう思おうが脈々と積まれた叡智の上に、今の生活がある。それは真実だからだ。
目の前のスマホ、これを作ったことあんのかよ?ということ。目の前のグラス。これは? ガラスを最初に発見した人がどれだけすごいかわからないのか?と。ペットボトル一つ作ったことがないだろうに。それに紙とペン!書き遺せる、ということがどれだけの叡智を後世に遺したと想ってんだっての。初め(オリジン)の人間の、先駆者の情熱を深く感じ入ることだ。想いやがれっての。
もっともこんなことばかり考えると玄関を一歩も出れなくなる。存在が重すぎてヤラれるから。ギャグ一つ言えない。だからヒトはある程度思考停止させて生活している。笑っている。が、その薄暗いソコにはちゃんと質量が眠っている。文字通り、質と量だ。だからこの世界は面白い。(ちなみにロンハワードはこのあとArrested Development(2003)というナイスなコメディドラマシリーズを作っている。反語で言えば、体得してるからこそレフトハンドワークも面白いんだっての。コーエン兄弟のB面。ソダーバーグのスキゾポリスもそうだ。今季はファレリー兄弟がいつものC面からA面をだしてきた。グリーンブック。注目するよ)


で、「After You」。
アフター・ユーだ。 あなたのあとに。深く、慎ましくも凛々しいひと言だと思わないか。
繰り返すが、英国米国の良心がぎっしり凝縮した言葉だ。



もう10年前。
NYを一人旅していた時。この憧れの(?)言葉「After You」を口に出す瞬間があった。
それは旅費を渋り(というか尽き)、市バスで移動中のことだった。市バスだからむろん、現地の労働者階級の人が多く乗っていて、アジア人はオレ一人だった。
入口付近の座席に座っていたら、ひとりの白人の老婦人が乗ってきた。
目の前に立つもんだからたまらず立ち上がり、

After You

と言って席を譲った。
このときの婦人の顔が忘れられない。
目をまんまると開いたかと思うと、なんとも言えない微笑みを保ってオレの顔を見た。
それからゆっくり婦人は座った。
そのあともまじまじとオレを見るもんだから、こっちがハッとして驚いたくらいだ。
言葉はなかった。それに、どれだけのことばがバスに溢れているというのだろう。
たしかオレが先に降りている。彼女が降りた記憶がない。





マナーという言葉がある。この言葉は、

Manners

と書く。
人間ナー人間人間s。と書いて Manners だ。
日本の「マナー」ではとても伝えきれない精神を内包している。