わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

こむらがえる夜

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いく月の かさねつきたる

秋の夜の われ目を閉じて

こむら かえらん


毅覺




これは歌人の毅覺が謳った歌、とされています。
「空をゆく月が重なるような秋の夜だ、私は目を閉じると、この村への別れを想うのだろう」。
おそらくもう二度とその地を訪れることはないのだろう、という毅覺の切々な想いを感じる、なんとも美しい別れの歌——。教科書的には、この様に教わったとおもいます。
しかしとある専門家はこう解釈します。



幾ゲツの 重ね尽き足る 飽きの世の

割れ目を閉じて こむらがえらん


何ヶ月にも渡って重ねてきた、
飽きれるようなご時世の、秋の夜だ、
割れ目(問題点)を修復して目を閉じると、
足がつった


専門家はこう指摘しています。
こいつ、仕事でくたばっただけだな、と。

いったいどちらが本当なのでしょうか。
それはきっと毅覺本人にしかわからないことでしょうが、私はこう想います。
きっとどちらもほんとうなのかもしれない、と。




さて。
これからは私の話です。


試写というものがありアプローズののち乗り切れたわけですが、しかし多くの創り手同様、ギリのギリだったわけです。ムービーを組みきったのが試写の90分前。その試写地まで1H以上かかりますから、まあタッチ&ゴーです。
ムービーに書き出す間に歯を磨くとか。ものすごく「あるある」ですね、この界隈では。
賞賛は当然としていいのですが、しかしわが体力は底をついていたようです。

ヒットポイントは2
魔法を使えるスライムに強襲されてラリホーされたら、なすすべなく、おわる・・・。

これは早く村に戻って宿屋です。
試写後ってのはなかなかアイシングしたりもするものです。寄り道などして、しみじみ帰るのが通例ですが、この日はそんなゆとり猶予さえない。宿屋だ!

わが宿坊に戻ると私はばたりと気絶するようにお床につきました。すると、





はい。激痛です





右ふくらはぎに激痛。
ぐおおおお! 超痛ぇえええ!
私は寝惚けていますから、パニックです。
気づいたら、右ふくらはぎをガンガン叩いていました。このときほどものすごく硬直したふくらはぎに触ったことはないくらいです。まるでチョコレートのブロックのようです。




ぐあああああ!




そうこう踏ん張っていると今度は左足もちょっとやばくなってきました。ようやく寝惚けがおさまってきた私は、足を伸ばして、ひたすらその痛みをやり過ごし、収まるのを待ったのでした。私はその後も痛みが残る足に触るとこう想ったのです。




「こ、これが こむら返り か・・・」




かく言う私は、言うなれば専門家です。
足を攣(つ)らせたら右に出る者はいないほどの「足ツラー」です。
フットサル後はさることながら、「11人制の大ゲーム」などした日には1萬パーセント、攣る自信がありますし、非常にポピュラー、慣れ親しんだ現象です。たまにフットサル後、軽く足を攣らせながら車の運転をぶちかますほどの足ツラーなのです。むろん就寝中に足が攣ったこともあります。

が、そんな私をして、今回の「ピキー!」は記憶に残るほどのソレだったのです。
私はまざまざと感じました、



これが、こむら返りなのだ、と。



こむらとは(こむら)。ふくらはぎのことです。足がつる現象のことを「腓返り」というわけです。
が、



足が攣る のと 腓返り は別モノだ



という感慨をいまの自分は想うのです。
迫力がちがう。襲ってくる激痛のファーストが違う。リアルなこむら返りを体感した気がしました。
ヒットポイントがそこまでだったんでしょう。気をつけないとな、とほんとうに思ったのでした。


また、こうも痛感したのです。




人間はきっと、

死後硬直の痛みには耐えられそうにない、と——。





ノーペイン、ノーゲイン。
これからもがんばっていきまっしょい