わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

映画とライブの違い:ゴーストバスターズ 2016

無性に84年の「ゴーストバスターズ」が観たくなり、ゲオで2016年版と「II」も一緒に借りた。
2016年版。未見だ。そういや観ていない。
得したような感覚もある。どれ観てみようか、と。
やな予感も同時にあり(笑)、残すとアレだと真っ先に見た2016年版。今日はこの話をしようと思う。

f:id:piloki:20180822041050j:plain



この映画、すげー情報量だ。



という印象が見終わった今となっては、ある。これが一番の感想かもしれない。
まずどこから話せばいいのかな・・。
そうだな。見る前から、やたら情報の多い作品だった。ほとんど「曰く付き」の作品という印象を持っている。
2年前、公開前のネガティブ・キャンペーンはすごかった。記憶している人も多いだろう。どうすごかったかというと、このリメイク(リブート)は主人公を女性四人に変更したわけだが「フェミニズム映画だ!」とか「おばさんばかりだ!」とかすごい叩かれようだった。その発端となった《映画予告》も触れていたが、オレの場合は単純で予告に「わくわくしなかった」。そこはかとなく、覇気がない。だってオリジナルって「VFXと、イケイケドンドンお祭り映画」だったからね。やな余寒がしたので、劇場はスルーしていた。


で、今回、DVDで触れた。


冒頭1時間は、本当に退屈だった。
それが偽らざる感想だ。

え、まだ30分しか経ってないんだ・・
やべえな・・・停止ボタン押しちゃおうかな・・



そんな葛藤の連続だ。とにかく作品に乗れない。
当初は気楽に「吹き替え」から入り、その吹き替えで「乗れず」、字幕に戻し、字幕もショボく再び「吹き替え」に換え、それでも物足りず「吹き替え+字幕」という、滅多にやらない策にまで出た。
そんな1時間の右往左往。つまらないんだわ。

なんでつまらないか?

ここも情報の海だが大きく、2つになろうと思う。
・ドギツめの科白なのに面白くない・入ってこない
類型化の嵐による、キャラクターの魅力の減衰

2つとも同じこと言ってるが、結局のところ、この作品の魅力がよくわからないまま、物語は進んでいった。(今、冒頭1時間の話をしているよ。)
一人一人キャラ紹介をしてゆく、超重要な導入部。ここでコケると後が大変だが、この映画もやっちゃってるとオレは思う。
大学を追われる主人公はいい。が、それもなぁ、わかるけどよぉー。なんだ。たとえば冒頭一発目の《誰もいない教室》。オレはね、



どうです? 面白いでしょ?



感をひしひしと感じた。いや、わかりますよ。
ショッパナ魅力をつけたいさ。しかしなぁ。なんか、そのミエミエ魂胆と脚本とか演出弱いだろ・・
そう思って見ていると、主人公の女性はオバケ研究所に因縁があり向かい、そこで訳ありの旧友(中心メンバー)に会うのだが、その導入も



同上



なんだ。ヤバいな。。
オレが悪いのか? 乗れてないオレが悪いのか? そうも思って凝視しますよ。でも、言うわ。




キャラが類型なんだ、完全に。。




たとえばだ。 あのね、オレもやるから気持ちが痛いほどわかるが、メガネな。
いい? この映画で何人の役がメガネかけてるよ?

f:id:piloki:20180822041148j:plain
このカットに何人の人がメガネかけてる?
(まあオリジナルもイーゴン、リックモラニス、アーニーポッツとメガネだが、現代に主要3人で掛けられると胸焼け気味だ)

で、そのうえ類型的な演技を繰り出してるんだわ。とくに彼女の出だし! ケイト・マッキノン

f:id:piloki:20180822041548j:plain

私、タンクガールよ?って感じをオーバーアクトで表現するのよ。そのワンカットワンカットがもう「ガワ」がきつくてマジで乗れなかった。
そして、第4のメンバーが黒人の女性(レスリー・ジョーンズ)なんだけど、すまん、正直に言う。


ペーソスがきつい


ペーソスがきついんだ。これはフェミ映画だからとか、おばさんばっか! で言うのではない。
実際、この目で観ての感想だ。
ペーソスがきつかった、レスリー・ジョーンズさん。
いや、オレが悪いのか? とこれまた考えたよ。だって黒人のメトロ職員だからオレはそう感じたのか? とか、色々あるからさ。だってだぞ? この映画の採るスタンス自体が「類型的」なんだから、その記号を読み取れば「ブルーカラー黒人女性」になっちまうじゃねえか! これはそもそも、制作サイドが先に仕掛けてるんだから、オレが悪いわけじゃねえぞ?! と逆ギレもしたくなるわけで、そっち方向で色々考えるわ、この映画。そういう意味で情報がめちゃくちゃ多い(ホント色々考えさせられた、キャスティング、オリジナルの売りの正体って何か?、とかさ)
だが、言いたいことはこれ。


本当にすげー乗れなかったよ、冒頭1時間。


別にジェンダー論や商魂をコネたいわけじゃない。
前半映画としてつまらなかった。なんでバスターズになるかという設定も科白も効いてこないし(説明すればいい問題ではなく)、造形は類型的でさ。折角の人物たちの魅力が伝わってこない。ゴーストの出し方もプロップもどうにもわくわくしなくてなぁ。このままいくの、これ? と想った。しかし!




具合が変わって来たのは、1時間を過ぎてからだった。




お気楽ストーリーにもう依るべきところはない。(ってオリジナルも相当お気楽極楽だが。)オレは「みんな」がどう変化するか。それだけを気にして観ていた。




変わっていったね、確実に。




f:id:piloki:20180822042457j:plain

とくに、タンクガールのケイト・マッキノンが。みるみる良くなっていった。
これは決してこの映画に「目が慣れたから」だけではない。明らかに変わっていったよ。



この映画は《順撮り》に近いと思う。そのはずだ。
シーンが進むにつれ、良い意味で彼女の「外ガワ」感が抜け、やらなくなっていった。ここが大事だ。
彼女はやらなくなっていった。
もっと言うと、気負わなくなっていった。自分の取り分にこだわらなくなっていった。




それでいいんだっての。




この映画は、84年のオリジナルのキャスティングをなぞる様に「サタデー・ナイト・ライブ」のコメディアン達を起用している(女性だから、コメディエンヌか)。とにかく主要人物4人の普段はコメディアンだ。ならば、この映画は「ライブ」と「映画」の表現の違いを如実に現している、とオレは思う。

スタンダップコメディは瞬発力の芸術だ。
しかし映画は120分の芸術だ。もっと言うと映画は「存在」の芸術だ。程度の差はあれコメディアンは、そのセットアップの違いに、映画に出ると「やられる」。一度は、必ず。

今日は敢えて続きを書く。

笑いの手法も「ガワ」では《出オチ》しか取れんよ。
形態模写では120分はとても保たんし、映画である必要も意味もない(※ジムキャリーはのぞく)。
瞬発力ではとても賞味期限が浅いんだよ。全体の《ユーモアと存在》で持っていかないと「映画的コメディ」には決して、けっして到達しない。
また、アメリカナイズのコメディ映画ってホント「DVDスルー」だったりするでしょ? それだけ笑いのツボも人種のるつぼだけに「ガワ」の類型で引っ張ってたりする。ひたすら過激で下品なギャグに終始とかね(だからこそウケたりもする)。 しかし! こと「ゴーストバスターズ」をDVDスルーにはできんだろうよ! 今作を見ると序盤に、本当に「DVDスルー」な危うい感覚値が診てとれるのだった。
ケイト・マッキノンも(瞬発力として)当初キバってたが、全カットキバるわけにはいかない、と途中で気づいたんだろう。そうではないのだ、と。


てめえの取り分《=この場合自意識による面白おかしさ》に拘らなくなったとき、何が残ると思う?
そこで初めて、彼女の「」が残るんだよ、映画ってやつは。


彼女には「役」が残った。役不足ではなかったんだよ。彼女はそこに入っていった。
外側で作る必要なんかなく、ジリアン・ホルツマンに入っていったよ。それが彼女固有の存在感であり、俳優としての才覚だとオレは思う。映画が進むにつれどんどん目が離せなくなっていった。





この映画の見応えは後半30分にあった。
ゴースト、ニューヨークに暴れる、だ。

よ!待ってました!! ってゴジラか!

VFXはさすがに良く、アクションとして楽しめた。
加えて、ケイト・マッキノン「一世一代の見せ場」があってね、観てよかったなぁ、とオレはここでようやくこの映画に胸をなで下ろすことができたのだった。

f:id:piloki:20180822042637j:plain





観てよかった点。
もち! ゴーストバスターズオールスター出てくる!
ダン・エイクロイドが「クラス5かぁ」って呟くんだけど、オリジナルの役を匂わせてて、粋。老けててびっくりしたけど。それと、まだ未見の人はクレジットまで観ることを勧めるよ。

f:id:piloki:20180822044813j:plain

イーゴン役ハロルド・ライミス氏が他界されていて、勢揃いは叶わなかった。
ちなみにハロルド・ライミス、本当に才人だ。
ジョン・ランディスアニマル・ハウス」の脚本家であり、のちに傑作「恋はデ・ジャブ」も創る(←これ必見ね!)。ジョン・ランディスビル・マーレイ(=安原義人)、そして彼へと続く系譜がなんとも好きだ。改めて、故人を偲んだ。





さて! 長いついでに、後日談だ。
オリジナルゴーストバスターズ(‘84)」鑑賞!




中身ねー!w




久しぶりのリファレンスはこれだからいい。
お気楽極楽。なーにものこらん。
今見ると「SFXに渇望してた」頃をしみじみ。
(ちなみに前年にTDLが開園。バックトゥザフューチャー公開の1年前。もう飢えに飢えまくってる頃さ)
改めて感心したのは、ゴーストが放たれる瞬間ね。クールなサントラと相まって今見ても超いい。
それと装置・電飾のいい仕事っぷりや地割れの迫力など、スタッフのグッドワークにやたら注目。
もっともグッときたのは初仕事を受注したとき。これは身に詰まってグッとくるよ(?)。
それ以外は・・16年版と大差なくイイ加減だぜ?
こんなにビームパックの登場早かったっけ?!とかさ。 良くも悪くも時代が育てた作品の一つに想う。
ただビル・マーレイシガニーは堂に入っている。
最新版をひっくるめた、誰よりも。これがオリジナルの変わることのないスペックだ。


「II」も久しぶりリファレンス。
中盤までの完成度はこれが一番だな(中盤までね)。5年を経た「設定」がいい。みんな知ってるからブリッジに遊びがある。この「II」の感じが「続編モノ」の礎になった気さえする。
みなが嬉しそうで何よりだ。とくにシガニー・ウィーバーが伸び伸びしてる。アニーポッツもいいねえ
ボビーに血涙だよ。On Our Own! 超’89!




「I」「II」観ると、それを踏まえて「2016」をリファレンスしたくなり、結局もう一度観るの巻。




▼ 8/23
追伸。2回目観てわかった。
はっきりと。
レスリージョーンズさん、あなたが下手だ。とても。だめだよ、一人素人が居る感が強すぎる。
ケイト・マッキノンは初見より気にならない。
が、出だしのポテチ。これが致命傷。もちろんこれは演出上のチョイスだが、出だしとして深手すぎる。
それと、これは字幕しかない映画だ。吹き替えだと多くを犠牲にする。その上、バイアスがきつい。
吹き替えが「やろうとしている」とよくわかった。だめだ。ネイティブ&字幕オンリー映画



結局4回戦だった。
ここまで読んでくれてありがとう。では!