わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

いい演技とはなにか

「いい演技」ってなんだろう。

自分も短期講義をうけたことのある、演技の講師の方が、フェイスブックで募集していた。
貴方の思う、良い演技を教えてください、と。
むろん自分自身もドストライクの命題で、そのFBは静観してしまったのだが、ボーッと考えている。
今日は、その自分のいまの感慨を記しておこうと思う。そして、記して、手放そう。


いい演技、とはなにか。


演技、と言う自体、一人の人間の「内部メカニズム」なのか、空間や二人以上の人間の「関係性」からか、とらえ方は様々で。はたまた洋の東西、老若男女、文化宗教圏でも「いい」は変わり、「映画」と「舞台」では違う点があるし、無性に多岐にわたる。

そこで整理のため自分は、今でも鮮烈に覚えている映画の記憶を考えた。 自分本位で考えた。

なんで、このキャラクターを忘れられないんだろう?、好きなんだろう、と。
そうして、色んなキャラクターを思い出した。
そこで気付いたんだが、記憶の中の彼ら、好きな登場人物とは、不思議と目が合わないものなんだ、と。往々にしてその眼差しは自分ではないどこかを見つめているものだ。

具体的には
「イントゥ・ザ・ワイルド」のハル・ホルブルック
トラフィック」のベニチオ・デル・トロ、「ムーンライト」のマハーシャラ・アリ
「キル・ビル」のマイケル・パークス、「ブレードランナー」のルトガー・ハウアー
「金田一」シリーズの大滝秀治※参照記事)、「広島死闘篇」の大友勝利・・・
女優でいえば「マッドマックス・怒りのデスロード」のシャーリーズ・セロン
「インテリア」のジェラルディン・ペイジ・・・

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(マイケル・パークス。最近お亡くなりになった。心より。心より哀悼を捧げる)

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自分としては当然だが、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」のヌードルスデニーロ)も超絶最高に愛している。「ダークナイト」のジョーカーも入れても良いがとにかく! あげればもっともっともっともっともっともっといるが、それらの記憶の中の彼らを引き合いに出し考えたのだった。
その、彼らの横顔が共通して持つ成分は【いったいなんだろう?】ということをーー。


ここまで書くとホント言いたくなくなるわw……が、オレの掴むものを開いて見せようと思う。
まず、上記であげた俳優(がやった劇中のキャラクター)は全て「シャープ」だ。
刃物のような、それ自体が鮮烈な事件だった。 彼ら自身が映画に現れたこと自体が事件だった。
では、【なんで彼らはそんなにイイ】のだろうか?
彼らすべてに共通して、そして彼ら自身が大前提で「よし」とするもの、それはーー



【語られることのない、その役の課題がある】



ーーということだ。
課題。言い換えれば「人生」や「歴史」だ。語られることのない、課題(人生)を抱えている。
その役の課題を(積みながらにして)映画上ほとんど伝えようとさえしていない、いやむしろ、隠そうとしている人物自身の、その滲み出てしまうバイブス(波動)にオレは【クル】し【ヤラれる】のだ。

ジョーカーがなぜあんなメイクなのか?
語られない。 彼の凶暴性の内訳?
語られることはないが「とにかくビンビン伝わってくる」ことだけは事実だし、それで充分だ。

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それに伝えようと必死で説明的な映画ほどダサく、そんな説明的な俳優も、まったく要らない。
上記の俳優の素晴らしさ、すべてがオレにとってはそうだ。彼らは「前提として語られることのない、彼らの課題」に包まれている。彼らは、彼らの「人生」「歴史」に包まれている

ゆえに往々にして、自分の琴線に触れるのは助演俳優が多いが、彼らは主人公との接触で、その役の片鱗だけを、主人公に開示するのだ。 主演の鮮烈度はこれまた話が長くなりそうだが、今度は逆に、《どれだけ課題(人生)を晒せるか》、となるはずだ。ヌードルスを見れば、一連のスタローンを見れば、それがわかる。(むろん主役の魅力が物語・演出と直結するのは言うまでもない。話は長くなる)

でも、これらは「大前提」だ。 当然の作法ですらあると思う。
課題を決め、抱え、それを見せない・仕舞うことは、キャラクターの彫り、立体的な横顔への必要最低条件だ。なにもハウツーでもなんでもない。 むしろ語られない前提を積んでも、それでもなお、浅い演技は、浅いとしか言えないだろう。
では、この点における大切な成分はなにかーー? ということのほうがもっと大事かもしれない。


消去法でしかないが、そこには「現在性」と「影響」が不可欠だ。


まずもってその俳優の現在性ーー「本当にそこにいんの?おまえ?」ということ。
そして外部との影響「ちゃんと外見えてる?触れてる?おまえ?」ーーそういったナルシズムからの引きはがし(要はどれだけ襟を開いてそこにいるか)だったり、俳優の自意識や本位ではなく、役の目的とか相手をどうしたいとか、その役自身の「出力」や「態度」が諸々出てくるだろう。
でもこれらの要素でさえ、「前提」としたいキモチがある。
冷静に、リアリティラインを上げて考えれば、当然のことだ。これらはプロの俳優の当然の準備でしかない(と信じたい)。でなければ「俳優のノート」を記した名優山崎努フルボッコでドヤされるわ!
これらの点こそお客が一番するどく、その者の嘘やレベルが立ち所にバレるところでもあろうと思う。


盲点は「影響」にある。
言葉を汚すが、ここがなってない奴が、マジで多すぎる。


たとえば先の例で、助演の彼らを見て(オレは)なぜシビれるのか?
それは彼らが、彼らの課題(人生)の端緒を主人公に開示するが、それだけではないからだ。
彼らは(さいごまで)頑な、ではない。 むしろ、彼らは影響を受ける。実は受けまくっている。
主人公が(あるいは状況が)タッチすることで(わずかに、微細に、でも確実に)変化する
岩のような彼らが影響され心が動くから「感動」するのだ。
勘違いしてもらっては困る。負けない奴に誰が感動するか?ってハナシだ。 くり返す。


負けない奴に誰が感動するんだって?


どんなに年次があがっても。どれだけ偉くなっても。どんなに経験を積んでも。 くり返す。
どんなにベテランでも。どんなに経験を積んでも。いや、どんなにその役への準備を積んでいても!
もっと言ってやる。たとえ「脚本上がそうだから」なんてことを言ってない。てめえ自身に聴け。
ーーどんなに岩のように凝り固まってもそれでもなお影響をうけて、感情を開いて負けてしまうこと。

「イントゥ・ザ・ワイルド」のハル・ホルブルックは当時80を超えているんだぞ?
ちくしょう! 思い出すだけで泣けてくる。
素晴らしい俳優は「思い出し泣き」もさせてくれる。 それだけ彼らは裸でカメラの前に立てるんだ。
いい俳優は、裸(ネイキッド)で、孤独だ。 そしていつだって負ける
負けるという言葉をもっと言語化してやる。

負けるとは、いつか、死ぬことを知っている、ということだ。 それを受け容れるということだ。

知ってるからこそ、あがくかもしれない。ひた隠すかもしれない。状況をどうかしたいかもしれない。
しかしそれは、役が決めることだ。 俳優はその準備を、役に生きる準備をするだけだ。
そうして、彼らはその負ける肉体を観客にそっと提示してくれるんだ。 押しつけもせず。
だから感動するんだろう? だからグッとくるんだろう? そういうことだ、くそばかやろう!



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(イントゥ・ザ・ワイルドより、ハル・ホルブルック……この横顔はひとつの芸術品だ、本当に。)

 



以上がもう、ほとんど、心積もりとしての「いい」だ。(おもわずあつくなった)
「いい演技」の「いい」を言った。

で、だからこそ、いい演技・シャープな演技にはウデも絶対的に必要となってくる。
せっかくのイイ「こころづもり」を磨くのが、《演技=技術》なのだから。 何十人のスタッフが見詰めるカメラ前に立つ、その前に。 観客席を埋めつくす観客が見詰めるステージに出る、その前に。
であれば、もうその前の精進なんて、いかなるものにもなる、しかないだろう?
たとえば、 という言葉を ぅあ と言わずダーツの的のように端的に射貫くチカラ。 でもそれとて言葉は表層の出力なだけで、インサイドはもっと鮮烈にアドレスを決定してなきゃいけないだろう。精神のみではなく、単純にダーツで射貫く物理練習や反復もフツーに必要だろう。どれだけノイズを消して、射抜けるか。当然のように集中力が必要だ。普通っぽいことと、リアリティはちがうのだから。
(ちなみにこのへんを書いたのが【この記事】)

心積もりのあとのHow(方法)はいくらでも出るだろう。むしろ、ほっとくとすぐ人間の精神は「負けない奴」になるわけで、日々の鍛錬が本当に重要だ。恐らく近道もなく、あったら教えてほしい位だ。

それに「負けない奴」というメカニズムを知るからこそ「超いやな奴」という役ができるんだよ。
この役は《自分の嫌な部分を全開にしないとできない》《もっと自分の差別主義を膨らませ、それに全く気付かないナルシストにならなければ》ーーそうやって気付き・設計・準備に向かえるわけで、だから、あらゆる自分を知り抜くことが役を演じる上できわめて大事だ。
ちなみに《》印を遂行したのが、「ジャンゴ」で大地主を演じたレオナルド・ディカプリオだ。この映画を見ればオレのいっていることを理解してもらえると思う。並の俳優なら、現場で3日ともたず降板しているだろう。(そりゃ、いっとき引退宣言もほのめかすって。それくらい苛烈な作業だっつーの)
(「カッコーの巣の上で」のL・フレッチャー婦長もキテるよなぁ。使い果たすよ、なにもかも)

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ディカプー「やあ僕が最悪のくそだよ。初めまして!」


一方で、瞬間で脳にダイレクトにくる「即興」も演技者にとって魅力だ。感情をパン!と発露する、その運動神経は神々しくフレッシュである。なにより遊びとしてかなりキモチいい。
ただし「アドリブ」や「即興」という言葉の響きから、受け取る側に意味の開きもでてくるのが、この「即興」というワードだろう。 笑えることが即興か?という問いもある。ロジックが飛んでいれば観る側は白けるだけだし、舞台でも観客との約束事は不可欠なのだろう。映像上における即興性を考えるとなかなか混み入った問題でもある(編集上の整合性や、まず作品と監督の作戦があろう)。
しかし、いざ即興してごらん?って投げられてこそ、その開襟度や、役の浸透度、その人の技術がでる。ゆえに言い訳もなく、これも積み重ねだ。

たとえば、仕事のインタビュー(エグゼクティブ)なのに、テキスト読み上げる人っている。
そこではテキストってもう過去の、それも文語体の産物で。その人は脳にダイレクトではないわけだ。
そういう意味でも即興性は生活に根差している。インタビューも一つの反応であり、即興なのだから。
で、テキストを用いずその人の言葉に任せても、まとまってなくて聴いてらんない時もある。
だったらテキスト用意して、ってなるよね?(こっちは半ば諦めモードになってさ。)
どういうことか? つまり、演技も一緒だ。

即興であれ、なんであれ、言葉も表現も氷山の一角だ。どれだけその内側でまとめ、外に出せるか。
その感性はどうだ? 完成はどうだ? あんたが掴んでなければ言葉にも表現にもならないだろう。







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以上、長々と、「いい演技」について考えてきた。
表現に行けば行くほど、技術の面に向かえば向かうほど、多岐にわたって、言い切ることができない。
が、結局のところ、言語化するのならば、


いい演技とは、今を生き、それを伝える技術。
それがイイこと


ということではないだろうか。
(って、だめだ……、どうしてもひとことでまとめると嘘の死臭がつきまとう。。かまわず続ける。)
上記、アカデミー賞を取ったりノミネートされるような俳優の演技には、まずもってトーリーと興行がついてきてのものでもある(当然ながら)。役に恵まれるかという運もあるし、アドレスもある。 才能論と努力論でかなり言葉を選ぶし、自分もその奥は言い切れやしないし、わからない。
ただ、自分で質(ただ)せるものがあるとしたら、いや、質せるものが「心積もり」であり、そこからの「技術」であることは、間違いないだろう。 下はめちゃくちゃ多い。 くり返す。
下はめちゃくちゃ、ハチャメチャ多い。 高みにいけばいくほど、目立つはずだ。
それにね。 今、「エデンの東」をみてごらん。 伝説のジミー(ジェームズ・ディーン)なんてね、

フツー だから。

今観ると、たいへん普通だから。びっくりするよ、きっと。
それだけ、現代の俳優技術は上がっているんだ。自分を信じて日々、精進すればそれでいいのさ。


俳優は、ネイキッドで孤独たれ


有名になっても、金にまみれても、偉くなって周りがイエスマンばかりでも、同じ事だ。
孤独のアドレスを忘れるな。 それでいて、負けない奴になるな。 その矛盾をかかえることだ。
初心忘るべからず。 この諺は、なんて素晴らしいんだろうと思う。神のワードだ。


初心忘るべからず。俳優はいつまでもフレッシュたれ



そこから「いい演技」がうまれる。
がんばって。 負けないでね。 ちがった。


負けろ! 死ね! 死に晒せこのやろう!








だいぶ言った。5000字以上いった。
けどスッキリ! も当然ながら全然、しない。
が、だいぶリソースばらした から、また旅立つしかナイト。やるっきゃナイト。

それこそもう、ここに「こだわらない」ことにしナイトだ。
長年の大命題だが、だからって拘泥するのもそれこそ駄目な俳優のすることかもしれんからね。
手放して自分をすこし軽くするよ。 ああ! 名残り惜しいが、忘れて汗かくっきゃナイト!!

ここまで読んでくれた人は、同じ命題を共有している人だと思う。
読んで貴方もなにかを得たはずさ。 一緒に組んで、愉しいことができたらいいよね。
改めて考え、整理する機会を与えてもらえたことにも感謝します。
ココがメシの種の諸兄も多いと感じながらも、一人でも多く、自分が好きなタイプの俳優がうまれてほしいので、自分なりに書かせてもらった。 まあ場末のブログかもだけど、わが心で書いています。
なお、文中登場映画タイトルの人物を知らないのなら、人生の半分ソンしているよ。
いますぐツタヤかゲオに走った方がいい



最後に、このブログを故マイケル・パークスに捧げる



では