わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

負のエアポケット(実況中継)

みんなたまらなく憤怒に満ちたときって、どうしていますか?


本当に、他の人はどうしているんだろう。
もう、物を壊したくなるくらい、
お約束だけど本当にガラスを割りたくなるくらい「怒り」を溜めたとき、


どうしていますか?
どうやって解消しているんだろう?


酒を飲むのかなぁ。そういう人が多いのかな?


怒りにも質がある。第三者に裁かれる、公平なジャッジのあるシチュエーションなんて滅多にあるものではない。じつは、そんな状況は幸福に近い。恵まれているはずだ。
本当に自分だけがある種【エアポケット】に入る瞬間というものがあり、その方が多いのではないか。
そして、それこそが、堪えるのだ。たいへん、こたえるのだ。


誰も知らない。
あるいは、誰も気づいてない。
オレだけがエアポケットに入った場合。

あるいはオレと、そいつ(ら)しか知り得ない。
そいつ(ら)が助かり(そいつのかわりに)オレがエアポケットに入った場合。


この2パターンこそが質量の高い、ため込む、とっても負の怒り血中濃度ポイントだと思う。
ホント、みんなどうしているのだ?
本当に、機会があればおしえて欲しい。


自意識である。すべては自意識だ。
それはわかっている。
が、今「怒り」の話をしているわけで、そんなこと言ってもとまらないから話をつづける。


怒りには「願望」がついて回るだろう。「期待」もついて回る。
何にも期待してなかったら、怒り狂うこともない。あ、そう? で終わる。
怒り狂うにはなんらかの、「理想」がオレの中にあるのだろう。 でないと、怒れないはずだ。
プンスカプンスカ! フツフツクドクドと怒ってるオレの想念は、しつこいが粘着質にしつこいぐらい、グロテスクなほどの「期待」や「願望」や「理想」を持っちゃってるということなのだろう。
それがどうこうではない。繰り返す。「期待」や「願望」や「理想」を持っちゃってるのだ。
だから怒るんだと思う。


関心がある、から怒る。


いいかい、今、いいことを言っている!
思いだして「思いだし怒り」して、壁をぶん殴ろうとしてやめて、ガーッと血中濃度はあがって。
でも、どこにもはけ口は、ない。
ないけど、こうして書くしかないだろう? その怒りを、いや、その怒りの主成分を。
おかげで書いたことで気づくよこのやろう。


関心があるから怒る。


期待もするから怒る。


自意識である。すべては自意識だ。
そっちにいきたくていけなかったから怒るのだ。「あ、きったねえ!(オレも行きたかった)」と。
願望からの怒り。これがあったとして、だ。
今のオレなら、数分前のオレとはちがう。つまり、


きたない

オレがそっちにいけなかった


という要素・ひっかかりを明文化してみて。
こう問う、



そっちに行ったらオレはかっこいいのか?




くそ。オレはいくつだ!
40過ぎた男がこう自問しよう。おいオレよ。



そっちに行けたら、オレはかっこよかったのかよ?



こうして言語化すると、しかもブログに露出狂のように告白してると恥ずかしい。だが、こうして書き殴ることでわかることもあるのだ。
今、リアルタイムで自己ヒーリング中なんだよ。その実況中継だこのやろう。

いいぞ、落ち着いてきた。

たぶん、かっこよさのかけらも見当たらない。
その【エアポケット】を恐れて逃げたら、もちろんこうして【怒り狂う】こともなかったろうが、でも同時に、かっこよくもないのだ。
むろん、エアポケットに落ちたオレがかっこいいかと言われれば、かっこよさはないのだが。
少なくとも、そいつらよりは、行為としてダサくはない
落ち着いてきたから、なんとなく先が見えてきた。おそらく、このあと、


赦し・許し


のフェーズに移行するのだろう。「そいつ」を許すってことだ

ふー。

もうやれるわ・・・たぶんね。言語化せずにココロで対応できそうだ。
それにべつにもう、許す必要すらないともおもいだす。(「許す」が必要なのは、苛烈な、きわめて苛烈な呪いだけではないか、と思うときがある)




そんなわけで、思いがけず、こんなブログになった。

なにがあったの?
なんて無粋なことはきかないでくれよ。

だれもがもちうる「怒り」についての話だ。
たぶん具体的なナニかなんて、すぐ忘れるだろう。今日は、このプロセスだけ残しておきたい。



今まさに実況中継で、
怒り狂いを自己ヒーリングで鎮める、の巻 


あー。一時はどうなるかと思ったぜ