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わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

ピークと豊かさ

去年の6月、こんな記事を書いた。

ブルー・オブ・ミッドナイトサバービアと題した記事。
この国の深夜営業のピークは越えた、とファミレスの短縮営業などを引き合いに大いに哀しんだ。
夜型のミッドナイトラバーである私は、寂しい、と。


それから1年以上経ってみて、そのクローズ具合が加速度的に進んでいると実感する。
逆コース(ディスコース)。完全なる逆コースを辿っている。その実感しかない。
深夜営業の中止はおろか、ファミレスごと中止(☜閉店)もこの一年であれいくつか見ている。 今週も、ロイヤルホストが24時間営業を全店でやめると発表。定休日を設ける可能性も含めた。(でもちゃんと発表するロイホはえらい。そんなこと言ってっとパンケーキたべちゃうぞ)
関係は乏しいが、JR北海道では来年の3月に10個の無人駅を廃止。また乗客一人以下の46駅を廃止検討しているという。本気なのだ、JRも本気で逆コースを辿っている。そうかと思えばスーパー戦争の勝ち組とされていたイオンが赤字にあえいでいる。はたまた今世紀中は鉄板(TEPPAN)だろうと予測されていた、フジテレビ本体やキムタク、福山雅治の人気もありえないほどの下降線を辿っており、ディスコース具合で言えば、まさにトランプ氏が大統領になるなど1年前の誰が予想したか知れず、イギリスは堂々とEU離脱の免罪符をここにも得たわけだ。おそらくTPPも「なかったことにして」だろう。(TPPの巻き戻し、これ自体はオレは嬉しい。でもその代わり「2国間」貿易協定の交渉がゴリゴリ始まるだけだろう。腕っ節がモノ言うタイマンファイト。負ければマウントからタコ殴りだ。USA対この国。マウントとられる感で満載)
とにかく、この時代の逆行感、引き戻されてる感、「なかったことにして」感が今、半端ない。
経済では「シュリンク」などという。不景気をそんな横文字でごまかす。(デニム用語ではない。)
手じまい」「撤退」「合理化」「集中化」なんでもいいが、それらは、要するに


ピークを越えた


わけだ、オレが言うまでもなく。この国は。そして世界的にも。
むろん人口のピークも超えたわけだが、人口の推移は、見ていくと面白い。

◆日本の人口
大正 元年(1912年)     50,577,000(推定)
昭和20年(1945年)     72,600,000(推定)

 

統計的には日本の人口は大正元年にはじめて、5000万人の大台を超えた。
って、スクな! と思うけれど。その、5千万人という大台を、104年前に初めて超えたのだ。
また大正当時の平均寿命は、なんと42〜43歳である。*
これは当時の幼児死亡率の高さがあったとのこと。医療技術の進歩ってすごいね、って話だが、この大正の数字は重要だ。この100年で2.5倍、人口が増えているということである。
終戦時でも7000万人である。今は1億3千万人なのである。その6000万人の差。
これは第一次ベビーブームという名の人口爆発、つまり「団塊の世代」がうまれ、うちらのような「団塊Jr」が生まれ、倍=倍ゲームの末、今に至ったからだ。(☜乱暴。)

乱暴だが、どうだろう。もう平均寿命は80歳を超えている。
逆ピラミッドで異様な人口分布なんだよぉ? とは、実はうちらが小学生のころから聞いている耳タコ情報だが、団塊の世代を中心に逆ピラミッドってのもヘンな話なのだ。前代未聞の人口爆発を基準にして「うーん、後続もがんばってくださいっ!」はまずもって「前提」が特殊すぎるだろう。


今享受する文明ツールに目を向けても、100年もたっていないものばかりだ。祖父母の代でギリギリのテクノロジーを前提にしか、語っていない。 iPhoneは初の発表が2006年9月。スマホ文化はやっと10年なのである。テレビも70年そこらだし、自転車すらあやしいものだ。
そんななか、ファミレスの撤退があったとして、牛丼屋のワンマンオペレートが(←もう死語だが)話題になろうと、100年経っていないスケールの、そのなかの浮沈でしかない。残念だが、オレの大好きなミニシアター文化もそうだった。あれって80年代に興ったベンチャーだったんだ……と思い知った時の腰抜け感と言ったら。渋谷シネマライズ閉館はそのことを強く印象づけた。
とにかくTEPPANだと思うことは全く永遠なんかではない、ということである。(何をいまさら?)

しかし、豊かさとはなんだろうか。
豊かさとは、じつは、そんなムダのなかにある、とオレは思う。
豊かさとは「社会がムダをどれだけとりこめるか、抱え込めるか」なのだと。
単館系映画にしろ、フジテレビの深夜ドラマにしろ、そうではなかったか。深夜ファミレスにうだうだ居る人々や、牛丼屋の深夜の明かりに、オレは豊かさを見てきたのだ。
これからもそれらを見たかったが、どうやら、ピークをとっくに越えていた。ムダを抱え込む=文化だとすると、文化も経済に直結する哀しきブームでしかない。そんなことに、改めて嘆くのですわ。

しかし嘆くが同時に、ここは考え処だぞとも思う。ここで踏ん張ると、見えてくるものもあるからだ。
「ムダのなかに豊かさがある。」
こうした場合、実は形をかえ、豊かさのフェーズ(位相)が移行しているだけではないだろうか?
ブックオフや、2NDマーケットを思い浮かべると、そうなるのだ。 抱えたムダをリリースする。
すなわち豊かさを「自ら生み出す・参加する」というフェーズ(局面)に確実に入っている。
ユーチューバーもそうだろうし、その大元のYouTubeなんて、個人の投稿によるムダの宝庫だ。
与えられるムダから、生み出す、参加するムダ。
「ムダ」と言うから抵抗があるわけで、それを「ラブ」と言えばいい。
与えられるラブから、生み出すラブ、参加するラブ。 うん、語呂もいいじゃないか。
(お売りしても20円にしかならないラブ、だけどねw 古本に百円値が付くと奇跡。なんだそれ)

ピークを越え手仕舞いがつづく中、世界的にはグローバルなルールに待ったをかける事態がつづく。
米国ではトランプが大統領に、英国ではEU離脱が決定。
時代の態度として「孤立主義」が流行していると言えるが、裏返すと、企業のグローバル戦略に庶民がほとほと嫌気がさしている、ということではないだろうか。時代よ、待て、とまれ、という声なき声。
しかしラブがないと、勇ましいその決断も消極的な「孤独」現象にかわるだけかもしれない。
なんか、それは、日本の得意技のような気がして、ならない。 孤独。 好きだろう日本は。
愛情表現の乏しさは日本のお家芸じゃないかな。
その乏しさは見栄やプライドに由来し、あまりにも無自覚でミラーリング作業が苦手な人も多いのだが、今それをここで書くのは避ける。 とにかくどの態度であれ、ラブというHUBが必要なのだ。

ラブは豊かさのもう一つの象徴だ。
ムダとラブ、それがあるところに豊かさは隠れている。
いまが逆コースの時代なら、それもいいのだろう。立ち止まって、ゆっくり感じて考えればいい。
自分の心と、地アタマで。