わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

国内最大手という萌え

国内最大手、という言葉が好きだ。(☜さいおおて。NOTおうて。おうてだと「王手」となる)
いや、正確には「最大手」と「大手」が好きで、その棲み分けがやたら厳密なのが楽しい。
大手は、その業界の2位〜4位くらいの企業。 最大手と使っていいのは、1位のみだからだ。
この使い分けはたとえば、テニスで優勝が決まるときだけ「チャンピオンシップポイント」と表したり、15日目の大相撲、それも東横綱のオオトリのみ「この一番にて千秋楽」と詠うのと似ている。
この特別感がたまらない。そのウラの関係性や日頃の努力を思うだけで、すでにドラマチックだ。
ゆえに、「最大手」という修飾語。
そのときの、わずか一社にしか冠されない称号は特別感があってとてもドラマを感じ味わい深い。


そこでふと。大手という言葉そのものを、少し調べた。

辞書的に「大手」とは、町名にも「大手町」があるように
【1.城の表口。「―門」2.敵の正面に攻めかかる軍勢。】とあり、城さい用語だとわかる。
城の表口。もっともポピュラーにしてベーシックな門が大手門、ということだ。
そこにはもちろん、大量の人知が集まり戦略としても基本。転じて、
【3.(取引所で)多額の売買をする人。また、同業者中、経営規模の特に大きい会社】となる

そして「手」という言葉は実に多彩だ。それだけで
【ヒト】を表したりする。仕手、使い手など。
【方法】を表すのも多い。手段、手のうち、新手など。あるいは、
【手】そのもの。握手、拍手、手と手をとって

つまり! ポピュラーな軍勢・ポピュラーな手段・ポピュラーな握手にして、城の表玄関!
これぞ大手。そのMAXな軍勢が、最大手と言われる。そんなイメージができあがる。
(って、イメージ通りを言語化しただけですが)


「大手病」という就職用語も今回初めて知った。実に面白い。
就職先は大手企業しかありえない! と考えて行動する学生の就活動態と、それによる弊害を言う。
これってなにも今に始まっていないし、まったくナチュラルな話にきこえる。
でも、こうしてちゃんと「言語化」されるとしっかりそのパターンを把握できるのでいい。
「大手病」とググるだけでいかようにも上がってくるので興味のあるひとはぜひ。

大手病というフィルターを通すと、「最大手と大手のちがい」による萌えもその病原菌だと思う。
プロテニスプレイヤーでも、力士でもないにもかかわらず、チャンピオンシップポイントや千秋楽に萌えるのとも似ているだろう。大手病は自己投影と大いに関係するからだ。
だって自己投影ナシなら身の程を知れってことだ? 即ち、ソーホワット? となる。誰がテニスをしようが横綱だろうが、一度でも茶を交わしたか? 知ったことか!と。(☜今あらためて言語化中)
きっと自分も患者の一人だろうが、あなただって安心はしていられない。なぜならたとえば、あたかも「港区在住」が最大手でそこからセレブの遠心分離が始まるのとも似ているかも知れないし、オリンピックでも運動会のかけっこでも、いたるところに、最大手思想はついて回るからだ。


でもさ、その一喜一憂が楽しいんじゃん?


とも言えるし、言いたいキモチもわかりすぎる。笑
この大手病は学生だけの話ではない。そして病というには広大で、言ってしまえば、資本主義をかっ飛ばす限り、ついて回る現象だからだ。共産主義に大手も最大手もないはずだ。あこがれ装置であるテレビもなくなるだろうし、メディアがそこまで必要なくなるだろう。 わずかなこんな片隅のような言葉「大手・最大手」の中にも思想がびっちり詰まっていることの証左だ。
きっとだからこそ、この言葉に反応してふと調べたくなったのだろう。


世界最大手」という場合、規模すらわからなくなるのも世の常である。気をつけなくちゃ、である。
確実に存在するのだが、そこで定規がひけないと闇雲に憧れるか、闇雲に否定するかに転ずる。
それこそ自由ではない。そこで智慧が必要なのだ。自由に必要なモノは、《智慧と情報》である。
正しさではない。正しさは、むしろ邪魔だろう。
まじめな正しさは常識をこえないから、そこにこだわり続ける限り、ナニカはシュリンクし続ける


ほしいのは智慧だ。 智慧とは想像力であり、情報を捉え整理する目だ。
萌えながらも自由でありたい。そんなことをふと思った。