読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

ハリルホジッチの正体 Pt.1

サッカー

2001年のアメリカ映画に秀作「トレーニング・デイ」がある。物語はこうだ。

ロサンゼルス市警の麻薬取締課に配属となった新人刑事ジェイク(イーサン・ホーク)。一緒にコンビを組み彼に麻薬捜査のいろはを教え込むのはベテラン刑事のアロンソデンゼル・ワシントン)。数々の大事件を解決し、麻薬に絡むあらゆることを熟知している伝説的カリスマ刑事だ。まさにジェイクの手本であり憧れの存在。そんなアロンソはジェイクにまずはじめに「かよわい子羊でいるのか。獰猛な狼になるのか。それを選べ」と忠告する。そして、ジェイクが目にしたのは、犯罪摘発のためにはいともたやすく自ら法を犯すアロンソの姿だった。とまどうジェイクをよそにアロンソの行動はエスカレートしていく……。(allcinemaより)

f:id:piloki:20161019233521j:plain

まさにその1日24時間の渦中、新米刑事の、ベテラン刑事に対する気持ちの変化を写し取るこの映画。
その、心理描写が見事だ。

<憧れ> → <不信> → <●●!>

その過程において、何が<正義>なのかこの映画は問う。 主人公の新米刑事イーサン・ホークはあきらかに【性善説】の側に立ち、向かうデンゼル・ワシントンは【性悪説】の権化だ。
この映画を終盤まで支えるテーマが「アロンソ(D・ワシントン)は悪なのか、善なのか」というサスペンスだ。この謎にこの作品の魅力のすべてが詰まっている。
(あと映画史上に残る悪役「スマイリー」が居るんだが、それはまた違う機会に!)

f:id:piloki:20161019233616j:plain

映画自体はクライムものだが、往々にして、この心理の流れはコミュニケーション上ありふれている、と言えるはずだ。 仕事にしろ恋愛にしろ、大げさに言えば人生そのものにしろ、なんらかの対象への「憧れ」に始まり最後は決裂することは多く、それは失望こそあれ、ひとつの「進化」や「成長」かもしれない。「トレーニング・デイ」(訓練の日)の背景はあまりにも広い。



……という長い前置きから(笑)、日本代表サッカーに話を遷す。
昨今賑わしているのが「ハリルホジッチ解任論」だ。この運動は、識者、マスコミ、ファン、そして協会内分子にもある。日本代表監督にハリルホジッチはふさわしくない、換えろということだ。

f:id:piloki:20161019233655j:plain
私はここに、トレーニング・デイ的不信を見る。
ハリルホジッチは「悪なのか善なのか」。その正体を見極めたいとする心理で業界は充満している。
いや、もう見極めた。やめろ!というのが、解任論かもしれない。 また彼、ハリルホジッチ本人の「うさんくささ」が、このサスペンスに華を添えている。少し長いが、端的にまとまっているのでひとつの記事を引用する

 日本代表監督であるヴァイッド・ハリルホジッチを巡って、激しい批判が巻き起こっている。マスコミだけでなく、サッカーファンの間でも、その「人気」は底を突きつつある。サッカー関係者からも、「ハリルでは戦えない」と失格の烙印を押される始末だ。

 筆者は、就任直後の試合からハリルホジッチの力量に疑問を呈してきた。当時、周囲はハリルに対し、むしろ歓迎ムードだった。「八百長疑惑」のハビエル・アギーレ前監督の後だったこともあるだろう。なにより弁が立つハリルホジッチを、「イビチャ・オシムの再来」のようにメディアは迎えていた。ただ、それこそ軽率だった。饒舌すぎるハリルホジッチはその後、傲岸不遜かつ弁明のような発言を繰り返し、墓穴を掘る。

 実は、デビュー戦直後の会見で"予兆"はあった。2014年W杯まで日本代表を率いたアルベルト・ザッケローニ元監督の戦術的欠陥を誇らしげに批評。危うさはあったのだ。

 また、選手スカウティングでも偏見が見えた。ハリルホジッチは独自の視点は持っているが、それを無理矢理に日本人選手に当てはめ、就任当初からズレが出ていた。徹底した「フィジカル主義」で、スピード、パワー、アグレッシブネスに引っ張られた選考。選んでは外すの繰り返しになった。それにほぼ1年半を要し、挙げ句に「選ぶ選手がいない」という発言もあった。

 つまり、戦略的にしくじり続けている。信望を得られていないし、強化も十分にできていない。

By 「ハリル叩き」は正しいのか? 感情論による批判では日本サッカーの“成長”はない〈dot.〉


むろん、アト出しじゃんけんである。 しかし、なんでみんな怒っているのか?
その最大の理由が「偏見」だろう。この記事抜粋の下の句が代表している。
徹底した「フィジカル主義」で進んだ挙げ句、「選ぶ選手がいない」と発言したことは氷山の一角だ。

文字通りの「偏見」である。それは差別ではなく、視野が狭い、ということ。
もしかすると、自分の率いたアフリカのアルジェリアやコードジボワール代表と日本を「勘違い」し続けているかも知れない。へたすると、日本をアフリカと一緒だろうと捉えている。
だから「フィジカル主義」であり、個人能力を活かしたカウンターが主戦術となる。 実際のはなし、ハリルになって、チームに連動性は消えた。 しかも個人技頼りだから「ホンダがもう少し調子がよければ」などとその日のコンディション命となり、チームの浮沈も大きい。

識者やマスコミ達が怒っているのは、そんな彼自身の「偏見」からくるソリューションのなさだ。
「選ぶ選手がいない」の先に、答えや解決はない。しかし、そう言い放ってしまう監督。
ここには断絶しかうまれない。(し、自分にはお手上げだ、と宣言しているようなもんだ)
少なくともここ2ヶ月はそう言った1日にして成らない身体的な言い訳や言動が増えた。
これが突き詰めると、最大のハリル降ろしの原動力だ。
「ヤツはいまだに、日本をアフリカだと勘違いしてやがる! 言い訳の保身ばかりしやがって!」


日本サッカーの未来が云々、というのは飽くまでカリ置きの名分に過ぎず、このハリル自身の「うさんくささ」とそこはかとなく漂う「偏見」が最大の理由に私は思うのだ。

f:id:piloki:20161019233807j:plain



はい。お時間です。
パート2で、今度は、ハリルホジッチ側にたって考えてみたい。
そしてこの、「解任論」の本質に触れたい。 パート2、ヤバいよ!