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わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

松本俊夫「修羅」

感想・評論

鶴屋南北「盟三五大切」をベースにした1971年ATG製作「修羅」。
このDVDを(ゲオで)借りて、拝見した。ひとこと、

「たまんねえ映画だなぁ」

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(☝見てよ、この題名フォント。やばいよ)


この年ともなると映画に抗体が出来すぎていて、不感症気味になるのが世の常というもの(?)。
で、世の映画好きたちは脳内のドーパミンをなんとか抽出しようとあーだこーだ、思い思いに画策し頑張るのだが、オレもレンタル屋のフロアを徘徊しながら「松本俊夫かぁ、見てみるか」とDVDを借りてみたわけだ。なんでも2014年に(数少ない)松本俊夫の劇映画は(ほぼ初めて)まとめてDVD化されたらしい。そこで今回自分も手にすることができたわけだ。もっとも本当の映画狂いは「松本俊夫?ケ、なにを今さら」なんでしょうけれど。とにかく今回「修羅」をはじめて見た。

市川崑の「股旅」でもそう思ったが、ATGの時代劇は本当にいい。

おそらく時代の完成度もあると思う。ATGが隆盛をきわめたのが70〜75年ほどだとすると、まだ時代劇王道の技術が残っている時代ということになる。だからATG(アートシアターギルド)配給のアートフィルム、つまり変化球に満ちた時代劇であれ、技術が王道だからクオリティーがめっぽう高い。
「修羅」は低予算であり、登場人物は少なく、ロケーションも少ない。
しかし今こうして軽く45年経って見ると、そのクオリティに舌を巻く。おそらく当時は小品で文字通り「変化球」であったろうが、今見るととんでもない。王道の時代劇だ!とオレは言い切っちゃいたいくらい、しっかり硬派である。それも勧善懲悪のつまらん時代劇とはわけがちがう。

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(☝照明による映像美にも注目)


ストーリーは、、、などと紹介はしない。面倒なのでそこは不案内でよろしく。
裏切られて大金をかすめ盗られた素浪人の復讐劇だ。それも、とってもとっても女々しい復讐劇。
いくつか忘れられないシーンがある。

それは「人が矢面に立ったとき、いかにして、はしごは外されるのか?」 ということ。
それは「人が鬼になったとき、どんなとどめをさすのか?」 ということだったり。

主演の三人、中村賀津雄、三条泰子、唐十郎がとってもイイ。とくに唐十郎
冒頭の、唐十郎の目の演技の正確さにおどろいた。が、そのうち彼自身どうでもよくなったようだ。
それくらいこの泥沼の復讐劇は、そんな小細工がぶっとぶほど、たまらんのだ。ちなみにオレはこの映画を見てようやく、ケン・ラッセルの「サロメ」がどうして生首なのかを身体で理解できるに至った。本当に。

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(☝三条静子さん、お綺麗です(ってこの写真で言うことか?))

松本俊夫アバンギャルドな実験映画作家ということだが、劇映画もすばらしい。もちろん本作でも時間軸をいじったり、妄想と現実の撮り方を敢えて混同したりしている。
しかし、それがなんだろうか?
これくらいで「わけわからん」とかいう人は本当に帰った方がいい。ぜんぜん驚かないし、むしろ今見ると「とても現代的」で気持ちいいからもっとやってくれって感じ。マルホランド・ドライブ的気持ちよさと言っていい。それに劇映画・実験映画などそんなくくりは意味がない。



マルホランド・ドライブ的気持ちよさ、でいえば1988年の「ドグラ・マグラ」がかなりキテる。
これも一見に値するよ、奥さん。 見たほうがいいよ、旦那さん。
たしかに主演・松田洋治氏の演技は当時っぽい。そこは目をつむってほしい、みなさん。
しかし「チャカポコ」桂枝雀の言いようのない恐ろしさ。大林宣彦をぶん殴ったような世界観。「ツィゴイネルワイゼン2」のような気高さと中毒性は見事。
松本俊夫、という不思議な映画作家とそのスタッフたちの仕業である。

f:id:piloki:20160912183517j:plain 枝雀がすごい



2作ともゲオでカンタンに借りれるよ!
いい時代だぜ、まったく。