わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

戦後という巨象への鎮魂歌

象のはな子が亡くなったその日に、オバマ大統領が原爆ドームの前でスピーチをした。

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現職大統領として初めて広島に訪問し、歴史的なスピーチをした。 ※参考URL
戦後、大統領になった人物は12人。11人の棟梁が触ることのない場所だった。

避けては通れないスピーチである。

オバマ大統領は自己の矛盾を抱えつつ、壇上に立っている。 それが伝わってきた。
これだけでも自分にできるだろうか? それだけで、多くの人がなし得ない勇気の中にある。
この71年のあいだの、ただ一人目の勇気に、最大級の賛辞を贈りたい。
スピーチの内容の素晴らしさもまた、際立っていた。


この行いは、「戦後という巨象」への鎮魂歌だったようにオレは想う。

殺(や)る者、殺られる者、復讐する者、復讐される者、その家族と家族と、そのまた家族……
行き場を失ってもなお、吠え、荒ぶり、啼くことしかできない、大きなモンスターのような巨象。
その巨象は特殊な檻の中でずっと、管理され、生きていた。
その前に立ち、オバマは祈ったのだ。


   「巨象よ、おまえがわかる。 しかしどうか鎮まりたまえ

    多くの犠牲がともにあった。 繰り返してはならぬことだ」


日本の首相がこの檻の前に立ち、どれだけ祈っても通じない、埋まらないものが戦後続いた。
それが祝詞の「主語」のちがいだ。 主語が違えば、決して破られぬ結界があったのだ。
その結界が今回、はじめて破られたことを、昨日オレ自身も感じたのだった。 同族の慰めではなく「むこう側」の家族が祈ること。 その意味の深さは行われて初めて気付くものだった。
のみならず、オバマは人間の闘争の歴史をインフォームしてみせた。
人類のより大きな物語を読み聞かせ、その「ありふれた哀しみ」を、示してみせたのだ。


国家は犠牲と協力で人々が団結するストーリーをこしらえ、優れた功績を認めるようになります。しかし、自分たちとは違う人々を抑圧し、人間性を奪うため、こうしたものと同様のストーリーが頻繁に利用されたのです

 


ストーリーの利用。これほどの自己矛盾もそうはない。
だってアメリカよ……ストーリーの構築が一際好きなのは…… しかしオバマは言い切っていた。
つまりどういうことなのだろうか?

我々は等しく、「人間」なのだと言っていた。 ゆえに等しく、矛盾した存在なのだと暗示しながら。
そして人間であれば必ず死ぬ、という絶対と、同じほど自明の理をオバマは訥々と言い続けた。
まるで、医師によるインフォームドコンセプトのように。まるで、神父か牧師の、説教のように。
巨象よ。おまえの哀しみは、他の丘や谷でも起こり得ている、われわれの哀しみなのだ。
この真実を貴様に伝えよう。そこにあったどちらかの行動ではなく、等しくである。



もはやこれは祈りだった。
この自明の理をつぶさに示すこと、これが、巨象にたいするレクイエムだった。



巨象の唸り声がかすかに聞こえた。
それは撫で下ろすような、唸り声だ。

巨象は待っていた。
いつからそれを待っていたのかわからないくらい、巨象はこの日を待っていたのだ。



 

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一夜過ぎれば、いろんなノイズが駆け巡る。

予想したように、(日本人が思う期待値ほどはとてもとても)世界的注目度はうすい。
とくにアメリカ本国ではきっと、静かなものだろうと思っていたが、どうやらその通りのようだ。
たしかに対トランプ用の言論もリアルタイムで感じたし、G7自体がどうなのか、あるいは2期目のこの晩期のパフォーマンスをどう考えるか、はたまた、彼の望む、核のない世界。この「絵空事」感をどう捉えるのか、という問題もあろう。 しかしだ。



それらが「なんだってんだ?



意地悪く書けば、もはや影響力は経済分野であれ低く、落ちぶれる日本という「辺境の地」の話だ。
世界のだれが注目すると言うのだ? しかしそんな定規はあまり必要なかろう?



そんなバランス感覚なんてこの、
極私的な「いのり」に比べればどうでもよいのだ



どんな思惑であれ、ライターが書いたにせよ、自らポケットに入れる瞬間がある。
会場の情報量もバカにしてはいけない。 それこそ英霊たちが飛び交っていたにちがいない。
多くの迫力を背と胸に感じながら立つということがどういうことかーー。
極私的に「想う者」同志が、静かに寄り合い、祈ったのだ。 巨象を前に、目を閉じ、祈ったのだ。




それだけで充分だ。