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わが心のBlog

by Hiroki Utsunomiya

戦争と若さ

コラムやエッセイ
【作品への付き合い方】は年齢や、考え方によって、かわる。
そのことを教えてくれるのが、ボクの中ではこの作品である。
松本零士「ザ・コクピット」。
 
theCockpit.jpg
 
我が家の蔵書としてあった小学館文庫の「ザ・コクピット」。(装填もえらく素敵。)
これに触れたのは中学生くらいだったろうか。松本零士が持つ「自己犠牲」と「プライド」の精神。
その両翼を、世界大戦をモチーフに余すところなく伝える、1話完結型の劇画だ。
 それもTV文化麗しき92年か3年ごろ、たしかクリスマス特番でアニメになり、熱狂しながら見た。
当時、高校生だった。そのときとくに重要だった「音速雷撃隊・桜花」がアニメ化されたのだった。

 

 1994とあるが放送は前

 
アニメは原作に忠実かつ衝撃的で、熱狂した。
これは実写化したい! 映画化したい! と当時本気で思っていた。只ならぬ、バイブルである。
今見ても(この特番はのちにビデオ化した)素晴らしい作品に相違はない。 それはまちがいない。
 
が、しかし・・・
 
今となっては諸手を挙げられない自分がいる。特攻をまったく美化できない自分がいるからだ。
当時より、はるかに知識がついたから? 正直そうだろうと思う。
 むろんこの作品は戦争の「哀しみ」を伝える。しかし松本零士特有の「あこがれ」も拭えないのだ。
それは、どうしても。
ボクはこの時を経た「自己のズレ」を想うとき、当時の軍国少年を思うのだ。つまり、
 
 
若さは、それだけ本質を見誤る場合がある。
 
 
どんなに自己犠牲がかっこよくても、駄目なモノはだめだ。
当時熱狂するほど「かっこいい」と思えたモノ。それは時を経ると変化する場合がある。そうして、二つも三つもレイヤーが増えることが、経年なのか・・・と思うと切なすぎるが、しかたない。
 
ボクは、こう思うのだ。軍国少年ができあがるのは、当然なのだ、と。

自己犠牲とプライド。 ここをくすぐられると少年はイチコロだ。そのヒロイズム自体は悪くない。
しかし実際の「自分ならどうか」という絶対的質量と想像力の天秤が、「若さ」という代物は苦手だ。
 


ザ・コクピット。
スタンレーの魔女」とか「死神の羽音」とか!最高なエピソード満載! なのだが!
とにかくこの作品との付き合い方は、確実に経年によって変わってしまったという話。