豊潤で、とても良い映画を見た。
(C) Buenos film / Taikan USUI (C) Buenos film
◎言語とアイデンティティ
中国との関係などその政治的な玄関をどうしても経由しつつも、そこに深入りしない。
作り手たちは、そこじゃないと注意深く迂回する、しかし一点のみ、政治的な疑問符をのぞいて。
中国にたいする苦渋の決断として
「現実的な譲歩」をしてまで
ダライ・ラマが守りたかったモノは
いったいなんなのか?
いったいなんなのか?
この問いで、この映画は本格的に幕をあける、と言っていい。
そして幕があいたとたん、観客であるボクは涙することになる。
「どんなに辛いことがあっても、
自分を卑下してはいけない。
自分を卑下してはいけない。
誇りをわすれず、頑張るんだ」
これらの励ましが、彼らにしかわからない「言語」(おそらくチベット語)でダライ・ラマから語られる。この励ましにおいて、信心深い彼らはいよいよ泣き崩れ決壊する。
異国の地の彼らにとってそれが、どれだけ「ありがたい」言葉だろうか?
どれだけ救われるだろうか?
その光景(の字幕)をみて、グッとこない方がおかしいし、ここにこの映画の本質・ヘソがある。
つまり私たちは何人であろうと、言語であり、アイデンティティー なのだ。
語弊を恐れずに言えば「迫害」「難民」「マイノリティ」であることもまた、ひとつの「旅」だ。
そしてその旅は全世界共通の問題である。
だって考えてもみて欲しい。
皮肉にもチベット人たちも失い自分たちに気付いた。それはダライ・ラマ本人が語っている。
また「言語」ゆえの閉塞感も、同時に看破している点があまりにも見事だ。
また「言語」ゆえの閉塞感も、同時に看破している点があまりにも見事だ。
◎質問と解答、問答
これは「言語」についての映画。
だから「言語化」という作業にこだわっている。
だから「言語化」という作業にこだわっている。
この映画はダライ・ラマに訊きたい日本人の質問を発表する。彼はどう答える(言語化する)か?
が、これは質問自体が答えのようにも写る構造になっているんだ。
なぜなら「質問」そのものに、そのヒトの個性ひいてはその国の民度が嫌でもでてしまうからだ。
なぜ、勉強するのか?
それは自分「外」に答えを求める「中華思想」そのままに思い、民族的な持病を写す。
むろん、的を射るような普遍的で切実な質問も多い。記憶が確かなら(たぶんあれは)故・川村カオリも生前の質問者としてこの映画に登場する。その問答が残酷にして、美しい。
対比するように衝撃的だったのが、チベット寺院での手を打ちながら問う「問答」という修行。
「一つの問題をどれだけ細分化できるか(ッパン)」などと手を打ち、修行僧同士が答えあう。
「一つの問題をどれだけ細分化できるか(ッパン)」などと手を打ち、修行僧同士が答えあう。
なんてレベルの高さだ、と思った。
そしてその光景は単純に、羨ましすぎた。いいなぁ・・。くりかえすが「質問」それ自体に智惠と生き方があらわれる。
そしてその光景は単純に、羨ましすぎた。いいなぁ・・。くりかえすが「質問」それ自体に智惠と生き方があらわれる。
◎チベット仏教の真髄
ダライ・ラマが守るもの。
それは言語と、もう一つがチベット仏教それ自体だ、とボクは感じた。
何のために
仏教を学ぶかが大切であり
仏教を知らない仏教徒で
あってはならない
仏教を学ぶかが大切であり
仏教を知らない仏教徒で
あってはならない
魔法ではない。般若心経を唱えるだけではダメだ。
その意味を知らなければ、とダライ・ラマは言う。
この映画のクライマックスはラダックでの巡礼だ。この美しさは表現できない。
◎プライベートフィルムとして
この映画の感想が長くなるのも無理はなく、何を書いても足りず書けば書くほど芯をまるで喰わない。実に多くの要素がこの映画にはある。
もう一つ、感想が長くなる要因がある。
それは企画者であり撮影をしたのが、級友の薄井一議だからだ。
彼とは中学・高校の同窓。
で、ランチをともにしてた仲だもの。
で、ランチをともにしてた仲だもの。
この映画のモノローグは、彼・ウスイの視点で語られている。
その語りは(別に級友であることを差し引いても、)距離感として正しく思う。
また、これはきわめてプライベートなロードムービーだ。
級友として、だからなのだろうと思う。よりナマに感じてしまった、二つの「音」があった。その音とは、カメラを持つ者の息づかいだ。それは、この旅を目撃し歩ききった者の息づかいだった。
ダライ・ラマとのファーストコンタクトでの、大きくつづく鼻息。
そして、ラダックでのうめき声。
それらを、ボクは忘れることが出来ないだろう。
それらを、ボクは忘れることが出来ないだろう。
最後に。
これはロードショーで見て欲しい作品だと思った。
これはロードショーで見て欲しい作品だと思った。
関東のヒトは、渋谷ユーロスペースがいい。なぜなら映画を見終わった後、パーンと渋谷の街に出されるから。それこそ「無常」を感じるに最良だ。